ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

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『官僚制としての日本陸軍』大著❗️

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Part-I. 日本陸軍の間違いが日本社会破滅させた

私のblog : 戦後70年談話・歴史認識(資料)と教訓 - ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩ で取り上げた法学者の北岡伸一氏の著述として、ご本人が日経新聞私の履歴書」連載の中で紹介した一冊『官僚制としての日本陸軍』(筑摩書房 2012/9/10 初版第一刷発行) を読んだ。

 あまりに、いゃとても細かく緻密に過去の日本における戦争やアジア諸国への "侵略" を起こした帝国陸軍を仔細に描写している。

軍において歴史の裏にある実際の軍の幹部一人ひとりの意志決定の積み重ねが、どう当時の日本を破局へと導いたか。そのことを生々しい実氏名と軍の肩書き、人間関係、そして軍幹部たちの主義主張と行動までつぶさに追っている。(あとから語れば歴史というこの一言だが) 事実を資料に基づき整理し積み上げた大著。とてもじゃないが端から端まで全部は読めない。飛ばし読みするしかなかった。それほど当時を如実かつ忠実に、詳しく事細かに再現する。著述用参考文献リストが恐ろしいまでに頭抜けて数多きことに驚く。度肝を抜かれるとはこのレベルだ。そんな大著であることには恐れ入る。脱帽500%である。

✴️ この1冊から、世間によく知られている通りのあの「シビリアンコントロール(著者の言葉では、民軍関係性)について分析。著者は市民と軍との関係性よりも深く取り上げたいとするのが「政軍関係」つまり政府当局と軍との関係性だ。史実から真剣に学ぶ反省点として読む意義 高く深い。そんな一冊。

✳️ ただ一庶民として役立たせるにはあまりに細かく難解。気鋭の高名な学者による歴史のつぶさな記録書。普通一般の国民にこれを活用させるのはほぼ不可能・困難だ。これこそ国会議員や行政府の人、特に防衛庁幹部。自衛隊の指揮官たちにぜひ読んで何が間違ったのかを学んでもらいたいと思う。その意味の推薦書。

 おりしも自民党総裁選が近い。自民党総裁選びはすなわち事実上の日本の首相選び。その首相が防衛大臣を任命する。政府と軍(自衛隊)の関係性はどうあるべきか。

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日本がその進む道を二度と誤ることなく、

  • 平和な国際社会を展望し、意図して、その維持構築に貢献・邁進をして欲しい!

強くそう願う。最後に以下を引用しておく。

いうまでもなく、戦略にせよ軍事にせよ、その基礎は正確な現状認識である。今、何が起こっているか、日本にとっての脅威は何か、それに対してどういう手段があるのか。こうした認識と、目的の設定と、そのための手段の選択という、軍事にとって最も基本的なものが、戦前にも戦後にも欠けているのではないかというのが、私の関心だった。北岡伸一、本書あとがきから)

▽▽

対して同時期に借りて来たこちら。

Part-II. 地震予知の間違いが日本を破滅させる?

1985年生まれ、2011年、中日新聞(東京新聞)入社のジャーナリスト小沢慧一氏が著した、「南海トラフ地震の真実」(東京新聞)。新聞の文芸批評欄で見つけて予約したものと記憶。

  • 要約すれば、政府や行政のもたらす地震予知やその世間の表明となっている発生可能性の「パーセンテージ」が極めてミスリードであること、その批判書
  • 長々と批判し非難するジャーナリスト的(?) 使命感による告発の書に思える。一般の地震被害者へのインタビュー内容も出てくるが批判材料として記述される

当然読み進めようとは思ったが、先にあちこちパラ読み、「はじめに」と目次、中身を部分速読して、読む気が全く失せた。

「はじめに」で何を書いているかここで引用しておく。

 静岡県から九州沖にかけてマグニチュード(M) 8〜99の巨大地震が30年以内に「70〜80%」の確率で発生するとされている南海トラフ地震。この数字を出すにあたり、政府や地震学者が別の地域では使われていない特別な計算式を使い、全国の地震と同じ基準で算出すると20%程度だった確率を「水増し」したことを、ほとんどの人は知らないだろう。なぜなら、そうした事実は私が取材するまで、政府や地震学者によって「隠す」かのように扱われていたからだ。

(目次)

第1章「えこひいき」の80%

第2章 地震学者たちの苦悩

(途中省略)

第6章 地震予知の失敗

第7章 地震学と社会の正しいあり方は

  • この中のヘッドラインの一つにはこうある…➡️ 予知・予測ができる「フリ」はやめるべき

・あるジャーナリストが、日本社会や政府当局、当時の為政者や行政の不足なり間違いなりをことさらに取り上げ、繰り返し批判的に指摘する本は本質的に「糾弾」の鋭い弾丸または刃物。そう思える。数少ないがいくつか見てきたと思う私にはまったくいただけない。…と言うことで読む気がなくなった。ほとんど手付かず・読まないままだが、自ら感覚を重んじ心のままに。読まずして返却する。なぜならこの手の批判者は一様に同じ特徴ありき。対案やその提言は何もないのだ。否、できないということ

  • 南海トラフ地震の発生確率を政府や当局などが (取り立てて) 大きく取り上げる行為に対して、既に現実に起きた北海道地震熊本地震の被害者たちが "南海トラフの警鐘に比べ自分たちの土地で、地震は起きない、あるいは発生可能性が極めて低い、と盲信していた。それを仮定質問で結びつける手法は、後付けの印象論だろう。そのことで予知側の立場を非難するのは科学的か? 私はそうは思わない。

Part-I. で取り上げた北岡先生の緻密かつ事実をきめ細かく積み上げ、読みきれぬほどの人名や史実、何が誰により語られたかを著した自身の論文を多く活用して作り上げたそんな大作の後に、こちら(批判のための実名なきルポルタージュ)をみる。まず、この2冊を比較すること自体が間違いだ、と思う。これは私のミス。

しかし、ジャーナリストによる自分の取材活動の航跡をなぞっていくスタイルのメディアによる批判書、"あの" 東京新聞の記者が書いたもの、と感じてしまうのだった。(失敬!) これは、アンコンシャスなバイアス、偏見なのか?そう念のため自己に問いかけて、本稿を閉じたい。

(追伸)以上のように書いて本を返却するため積んだ後、ふと思い立ってここ【第4章 久保野文書を追う】だけは今、読み進めてみた。理由は過去の事実を記した高知県の古文書には興味があるからだ。物語としてはなかなか面白い。