Andyの雑記帳blog (andy-e49er) ⁦‪@Accurasal‬⁩

内外について個人の思いを綴る雑記帳です|andy-e49er | Twitter@Accurasal

『戦争はいかに終結したか』歴史からの反省

f:id:andy-e49er:20211205190353j:image

『戦争はいかに終結したか』千々和泰明氏.     中公新書 2021/7/25 発行を今から読みます。

副題 : 二度の大戦からベトナムイラクまで。
日経新聞の文芸欄で見つけた新刊書)

 特に深い問題意識はないが、インド太平洋地域や東アジア・台湾🇹🇼を取り巻く中国🇨🇳と米国🇺🇸、そしてわれら日本を見ている時、いま読むべきかと思い…。(my facebook on Nov.16,2021.)

 ▼▼               ▼▼▼
 WW I、そしてWWII のヨーロッパ戦線から、第3章 WW II アジア太平洋『幻想の外交』の悲劇、2. ソ連仲介策へと、読み進めている。

【取り返しつかぬ痛恨の失策】

ポツダム宣言に対する当時の日本最高指導者たちの認識の甘さ、読み違い…。

こんな事実に愕然として言葉を失う。具体的で詳細なこの史実(詳細)は学校の日本史テキストでは習わない。結果のサマリだけが記述され、個人名ある行動経緯の描写はないからだ。今頃知った…。

 連合国側の最後通牒である『ポツダム宣言』は1945/7/27に “日本外務省がラジオ放送で発出を知った” ものなのだと。

 その時日本が注目したのは誰の署名があるかではなく、誰の署名がないかだった。ソ連スターリン)が署名していないことを自らの都合の良い方に(認識して、つまり勘違いして)受諾せず。

 その背景・理由は日ソ不可侵条約を結ぶソ連に戦争終結交渉の仲介役を期待していたということだ。外交当事者たちはソ連との調整結果を待っていた。それでポツダム宣言を一旦黙殺した。

 しかし結果はソ連の引き伸ばしと誤魔化しに呑み込まれていただけだった。日本はソ連の出方、その心理を完全に読み違えていた。

結果をもとに批判するのは容易いとは言え、交渉する際プランAだけでプランBの保険を掛けてはいなかったとは。あまりに稚拙ではないか。

 知る通りソ連がその後満州に侵攻したことは既に史実になっている。負けを認め降伏する機会を失った戦争指導者たち。その結果は8/6米軍の原爆ヒロシマ投下へとつながっていく。なんたることか。最後は天皇が陸軍を見限り、降伏することを決めた。

改めて当時の政府リーダーのダメぶり(命の大失策)を認識するに至った。命をかけた若者たちを預かる指導者たちにはほんの少し、より広い視野と見識、そして駆け引きの巧さが欲しかった。インテリジェンスの弱さゆえか、無念。
(日清・日露の両戦争に勝利しアジアの中で舞い上がっていた軍部(陸軍)に牛耳られたばかりか当時の外交官や政治家の読み違いもあったのか…勉強不足の私には今は分からない。)

歴史からの反省の大切さを痛感した。忘れずにもっと真剣に学んでいくことにしたいと思います。

f:id:andy-e49er:20211205190410j:image