
( 👆 "Shwedagon Pagoda" photo by gustavo_hammer25 @Instagram. )
#Yangon #Myanmar #ミャンマー 🇲🇲
1995年のことだったと思う。当時、会社国際部門でアジア各国の 調達市場を調べる企画調査仕事に携わっていました。今では思いもよらぬ "円高メリット追求" がその目的 です。
"アジアサーベイ" の仕事で、チーム出張しました。
この一連の活動では別チームで (一部は🇭🇰香港調達事務所 (IPO) からの参加で3名となり) インド🇮🇳サーベイにも行ったのですが、このときは🇻🇳ベトナムと🇲🇲ミャンマーを訪れました。
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👈Wikipediaから
ヤンゴン国際空港から、予約のホテルへ投宿。その辺の細部の記憶はもうすっかり薄れてしまいました。
▶︎ 覚えているのは、サーベイ出張の準備企画段階のこと。当時ある取引先 (中堅商社)トップの方がいて、昔、ミャンマー駐在ご経験者だったということ。その方の会社に首都ヤンゴン事務所があり、何らかサポートが可能だ...というリーダー格先輩社員の紹介があったと理解。そのチームリーダー3年次上の先輩Y 課長 (部門のトップエリート) がこの方に現地アレンジを打診して依頼。半導体を扱う高名な専門商社の社長がこの件をお引き受けくださいました。それでYさんをリーダーとする3名チームでヤンゴンを初訪問したのでした。
✳️ 当時は、あのアウンサン・スー・チー氏がまだ軟禁はされていなかった頃でした。つまり今に至る、同国の軍事政権が国会の投票を牛耳り、スー・チー女史を犯罪の罪に問う形で拘束し、あるいは軟禁する前の時代でした。
◉ 私が覚えているのは、
- 大きな湖があったこと、
- 空き時間に民藝品の店を訪れたこと。
- 女性がTANAKA と呼ぶ、眉間に白い粉を付けていたこと、それから、勇敢にも
- Yさんが、ホテル床屋で💈ヘアカット (笑),,
その出来栄えは、まずまずでおかしくはありませんでしたが、やはりどこか日本のカットとは異なっていましたね。でも経験値や後日の話のネタとしては◎🙆♂️です!
いつもながらだけれども、仕事それ自体の中身や当時の打ち合わせは、忘れてしまった。笑 もちろん、帰国してからレポートにまとめたのは日本から参加した2名中、下の立場の私でした。(私は企画管理課の課長)
- ベトナム🇻🇳では、北の首都ハノイと元アメリカ占領だった南の賑やかなホー・チ・ミン。両都市の空気感や雰囲気、風景など、対比がかなり際立っていたことをよく覚えています。
- 工業団地視察・・・これはしっかり記憶にあります。なぜならば競合F社が進出 (HDD生産) を決めたという某工業地帯。建設途上の土地を車で周回して、(スパイの視察みたいだね、と笑いながら) いろいろ意識が高まったこと。刺激的でした。
あのとき🇲🇲ミャンマーという国と人々について思ったこと感じていたこと、それは何年も経った今もよ〜く覚えています。彼らの澄んだ眼が印象的でした。
ミャンマーには 絶対にもう一度 行きたい。なにより旧🇬🇧英国が宗主国だから英語が通じる、仏教国で静かで美しく平和。そして何より ”人々の瞳がきれいだ!” の印象が強烈で好ましく感じたからです。
あの国で自分はいつか "何か" をやりたいかも…。
実は、いつの日にかミャンマーに出て行って、何かを「教える」ことができはしないか、などという、突拍子もない夢みたいな気持ちが当時ありました。
そのことを、ずっと忘れていません。

( 出所 : altivexgeo at Instagram )
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上の話、それ自体をここに原稿として書いたのは結構前の話。ところが。つい先日、仕事場の飲み会、赤坂見附の寿司店に8人で行った。その後の2次会で。男性4人で赤坂見附、246沿いの、角にある細長いバーに入ったのです。
すると、フロア担当の若い女性が2人とも、🇲🇲ミャンマーから日本に来ているという子たちでした。そういう外国人がそこで働いているということに少なからず驚きました。◉日本もどんどん変わりつつあるようです。
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彼女たちに
「日本はどう?」
と聞いたら、
"とてもいい"
と言って、笑顔でした。
... それ以上の会話はしてません。
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大学時代。私は専攻所属が法学部法律学科ながら、実際一番好きで集中して受講していたのは『国際政治』クラスでした。法律の話より面白い。3️⃣年時の『国際政治ゼミナール』が、岡部達美教授でした。
ご著書である「日本とASEANの進路」について、ゼミ研究や学習をし、レジメをガリ版印刷で作って、ゼミで発表などしたものでした。(保存してある)
卒業後、会社に入り、アジア諸国やヨーロッパでの調達市場を業務で開拓、検討するにつけ、アジアの国々と日本との関わりについての考えはある程度深まりました。その延長もしくは "名残り香" として、今も気にかけている状態が続いている感じです。
✴️ 自分の国を遠く離れ、こうして日本という別の国にいて、仕事に頑張る彼女たち。
✳️ ミャンマーという国の軍政支配に国の内紛....国際的に大変な民族対立問題なども知っている。日本国政府の同国軍事政権に対する発信が少ないことも認識している。一市民として同国国民の民主化運動を陰ながら応援したい、そんな気持ちです。
👇祈るために🙏日本橋の⛩️神社の写真を掲載🤳

31年も過ぎ、国際情勢それ自体、全体として様変わり。ASEANは、親中国、🇺🇸🇨🇳いずれにも与しない中立、どちらかといえば親日米比など、概ね3つのスタンスに分かれる。
経済的には中国との間でFTA ( ASEAN-China FTA ) や、ATIGA ( ASEAN諸国同士の物品貿易協定 ) など経済連携が進んできた。しかし政治的な面での地域統合には至っていないといえるだろう。世界はなかなか一つの平和な形になれない。
以下は、Wikipediaを含む A I によるデータまとめ⤵︎
🔹日本にいるミャンマー人の数は、18万2,567人(令和7年末現在)です。
国内の在留外国人数の中で8番目に多く、クーデター以降の政情不安を背景に急増しています。出入国在留管理庁のデータに基づく主な詳細は以下の通り ;
🔹在留資格の内訳
ミャンマー人の主な在留資格は以下の通りで、労働者を中心に増加しています。
特定技能: 約10万人規模
技能実習: 約4.5万人規模
留学: 約2.4万人規模
技術・人文知識・国際業務: 約1.3万人規模
永住者: 約4,000人
※その他の在留資格(日本人の配偶者等などを含む)
🔹居住エリア
ミャンマー人は以下の地域を中心に居住しています。
東京都: 約1万6,000人以上
埼玉県: 約4,300人
大阪府: 約3,900人
愛知県: 約3,800人
※データはWikipedia 在日ミャンマー人に基づく(一部推定値を含む)















