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経済安全保障、私の半導体ビジネス

経済安全保障と半導体ビジネス

パートI. 【経済安全保障】

折しも8/10、岸田政権の内閣改造高市政調会長が担当閣僚に任命された。エネルギーから食料、そして半導体のようなグローバル戦略物資を国内で確保できる調達体制の構築、そしてまた軍民両用テクノロジーの輸出規制などの安全保障の重要課題に経済面から取り組む。

日米「経済版2プラス2」始動 

合意内容の裏を読み解く

日経ビジネス電子版から⬇️

日米「経済版2プラス2」始動 合意内容の裏を読み解く:日経ビジネス電子版 2022.8.2 明日まで無料で読める▼

https://twitter.com/mhosokawa/status/1554244567285002241?s=21&t=OEwnjmOfuSq3rd06LXWeuA
著者 : 細川 昌彦氏
明星大学経営学部教授(元経済産業省中部経済産業局長)

https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00133/00082/?gift=A7E49hynh0qgiU%252BvQ43LOhtQjQ2OeCLqYXD4TGb8AJw%253D&n_cid=nbpnb_gift
(引用)  

日米両政府は7月29日、米ワシントンで外務・経済担当閣僚協議「経済版2プラス2」の初会合を開いた。日本は林芳正外務大臣萩生田光一経済産業大臣、米国はブリンケン国務長官とレモンド商務長官が出席した。成果として、共同声明と4項目の行動計画を策定した。

中国、ロシアを念頭に日米が経済安全保障で連携して対抗していく重要なエンジンだ。率直に評価したい。

(中略)日米の共同開発について⬇️

半導体の巨大なユーザーが存在してこそ量産工場が成立する。そこがGAFAを抱える米国の強みで、日本の弱点なのだ。せっかくの開発の成果である量産を米国に持っていかれる可能性もないわけではない。

この続きは、8/11へ。

経済安全保障法制からデュアルユース・使用者権利へ - Andyの雑記帳blog (andy-e49er) ⁦‪@Accurasal‬⁩

 

さて、これについては過去を振り返り、一言発信をしておきたい。以下 ; 

パートII. 【私の半導体ビジネス】

➡️ 1980年代後半。莫大な資金をかけ企業買収を行なって米国メーカーを獲得。そこからの人的労務面訴訟を抱えながらも、別の新天地 (※)に巨大な半導体工場を新規建設。

(※) Roseville, California. 

ウェハー拡散の前工程から、検査組立・出荷の後工程までを一貫で備えた日本の米国現地生産を苦労して立ち上げた。

💮当時のアップルやその他コンピュータメーカーに販売・納入していたことがあった。

いゃ、当時何代目かに社長に就任された、今は鬼籍に入られた、橋本氏ご本人がまさにアメリカにおける販路を自ら率先開拓したそうだ。

  • 北米に赴任する前。地方の半導体子会社社長や技術部長の時代、生産責任者の立場であるのにその職掌を超えて、トップが辞めろと言うのを押し切って何度も渡米。
  • アメリカ本国へ渡り、一人売り歩いてアップルやコンパック相手にメモリ製品の販売網を築き上げた、と聞いている。
  • 橋本さんは体格が大きく文字通り豪快な方。後年、二度目の米国勤務時にサンタクララの社長室にご挨拶に伺ったことがある。金曜日 (T.G.I.F. ) には上下デニムの私服を着ておられ、驚いた記憶がある。噂通り豪快な大物で、スケールの大きさに驚いたことが懐かしい。
  • ご自宅に従業員をたくさん呼んでパーティをすると卓球台もあり、テニスコートもある自宅。ヨットも乗りこなし、スポーツ万能だと聞いた。
  • first nameはH。だから、H. H. ▶︎今でいうスポーツブランドのHH より、たぶん有名だったかもだな。別名、BIGハシモト。これは工場側にスモール・橋本(サマ)がいたから(笑)…。楽しい昔話です。凸と凹

橋本氏の他、工場側には別の超豪傑トップのK氏(後年は蘭ASMLのシンガポール社長)もいらして、工場勤務の私はたいそうお世話になりました。

  • サクラメントからU.S.50で西へ2時間のレイクタホ、スカーバレーへは複数家族でスキー旅行にも行きました。楽しく充実した5年にわたるアメリカ勤務生活でした。

それら、豪傑ヒーローたち幹部が開拓した、北米販売と現地生産は、全てが歴史の彼方に埋もれたか。とても残念なことだ。

私ごときがなんとか、それを語り継ぐことはできるものだろうか…。

▼▼▼▼

Silicon Valleyと半導体産業

f:id:andy-e49er:20220802101240j:image

↑残念ながら下記のリンクはもう有効ではないようです。

https://twitter.com/chikawatanabe/status/1024496615304785920?s=19

かなり前に公開された、渡辺千賀さんのTwitter ( @chikawatanabe ) から引用、転載します。

以前、facebookに掲載した内容から、こちらのはてなブログへ転載しています。以下続けます

◉ Silicon Valleyがシリコンバレーたるゆえんは半導体産業であり、半導体製造装置企業群、そしてStanford大学。ヒューレット・パッカードの創業garage。スティージョブズAppleですから…。Varian, Applied Material (AMAT) なんて知ってますか?

カリフォルニア州 道路 "237" 号線の終端地はマウンテンビュー市。そこから降り、数分も走れば、米軍の滑走路がある軍事専用空港の Moffet Field 近く、Elis Street (エリス通り) に半導体メーカー企業の源流である『シュルンベルジュ』社出資 Fairchild社 がありました。

◉ そして NEC Electronics (former Electronic Arraysを日本電気が買収) もその真向かいにありました。

そのビルで海外出向中に課長試験を受けた…♪と言うことは古すぎて忘却のかなた。
メモリIC (256K DRAM)の半製品Si Waferを、Singapore、Scotland、Ireland 3拠点にそれぞれ輸出。これらの海外組立工場でいわゆる後工程としてアセンブリーと検査からpackagingまで行い完成品の半導体モリー製品(当時は "DIP" パッケージ品)をカリフォルニア工場へ逆輸入。

この『グローバル・サプライチェーン』のハンドリングを調達部門から一人現地へ出向して担当していました。輸出入と国際生産管理と共に、米国製半導体製造装置用のスペアパーツを現地調達し、日本の半導体生産基地へ供給、製品・半製品と設備周りのサプライを担当していたことを懐かしく振り返ります。

Apple Computer(当時)やCompaq(今はHP)などに日本ブランドのメモリ製品を販売、納入していました…

➡️ 今はマイクロンに買収され米国メーカーになってしまった旧エルピーダメモリ(前のNEC広島)、いまも車載用半導体などで高いシェアを誇る明日の優良企業・ルネサスエレクトロニクス(母体は、日立製作所三菱電機NEC日本電気)ともに、ますます頑張って欲しいと思っています。

▲▲▲▲

ここでひとつ挿入

以上、こんな駄文は『蟷螂の斧』に過ぎないが、1980-1990年代の当時のこのメーカー北米生産拠点は、まさに黄金の斧🪓であった、に違いない。

➡️ 次に半導体事業の経営について見ておきたい。

当時の北米からの撤退や中国への技術供与など一連の半導体ビジネス、経営決定の裏に何があったのだろう?

ひとつのヒントがここにある。それは、部品をセット機器の側に供給すると言う本質的な「立場」の違いゆえの、困難な事業体質にある。

以下は、最新の半導体逼迫時の半導体業界(供給者) 対 ユーザー業界(需要家) の利害不一致の象徴的な実話としての例である。

これに続けて以下の指摘を残しておこう。

  1. 日本の総合電機メーカーは、コンピュータ部門のほか通信機器など、最先端半導体を必要とする”セット事業” を抱えていた。【事実】
  2. これら社内ユーザーから単なる一部品ベンダーとして(不平等的に)扱われ、場合によってはむしろ外部の資材取引先以上に、過剰で過大な要求(短納期での数量供給や強烈な価格低減)を受けていた。【知られざる社内事情】
  3. そうして相当な無理と苦労を強いられたのが、社内半導体部門だった。 【脆弱な社内での政治的立場】

このように二律相反する事業…社内需要家と社内供給者を並列同等の事業セグメントとしてともに社内に抱えること。経営者にとっての舵取りは当然難しくなる。売上と利益という経営数値の客観的なモニタリングだけに止まらない何かが生まれる。つまり、ユーザーサイドからの不満などの "バイアス" や雑音、である。

社内序列。セットメーカーとしての部品ベンダーに対する、上から目線による 強烈な "オレ様意識" が出ることをどうしても避けられない。立ち位置が異なり、搾取する側・される側と言う相反する関係性を断ち切ることが出来ない。

セット機器事業と半導体・電子電気部品事業の両方を保有するコングロマリット的総合電機と言う業態、それ自体に大いなる保有ドメイン自体の経営構造の矛盾があったこと、それは否定できない。

最先端の線幅ルール設計と製造プロセス自体のの開発は莫大な資金とリソース投入を要する。資本の金食い虫だ。しかし、製品世代ごとにトップシェアメーカーは入れ替わる。後発メーカーは生産量が増えた頃に投入するから、市場価格は下がっており、利益を取れない。赤字に転落。▶︎不採算の赤字事業は辞める、というごく当たり前の経営判断が成り立ってしまう。

総合電機の大いなる自己矛盾だった。

(2022年9月2日 追加記入…半導体ルネサス)

( 2023/9/3 追加記載 ) 出典 : 『日本の電機産業はなぜ凋落したのか…体験的考察から見えた五つの大罪』桂 幹 ( Miki Matsura ) 著、集英社新書 1961年大阪府生まれ。86年、同志社大学卒業後TDK入社。

 振り返ってみれば、日本企業の高付加価値の実態は、ユーザのニーズよりメーカーの都合を優先していた感が否めない。それでも日本市場では消費者の日本ブランド信仰に助けられてなんとか生き残ったが、海外市場では全くと言って良いほど受け入れてもらえなかった。ユーザーニーズにそぐわない機能を加え、その結果コストが上昇して割高になっていたのだから、ヒットしないのも当然だった。

 世界の中でユニークな家電製品が溢れる日本市場は、独自の生態系を持つ島になぞらえてガラパゴス市場と呼ばれている。その呼び名には、本流から外れた日本企業を揶揄する意味合いも込められている。高付加価値の名のもとに多機能化に走り、「画期的な簡易化」を軽視した日本製品が力を失っていくの1台的な結果だった。

👉著者は日本電機産業の凋落の原因の一つを、デジタル化によるものごとの「画期的な簡易化」を見誤り、高付加価値や高品質のものづくりに囚われたすぎた、と喝破している。