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メディア情報と道徳倫理、そして(経営)判断

例えばこういう行為を是とするか非とするか

(補足しておく)米下院議員議長ペロシ氏が訪台の情報が流れると中国政府が猛反発していること。ほぼ完全なる脅しは牽制より強い発言。

報道内容と報道機関には主張がある。当然だ。左だったり右だったり中道だったりする。自由主義だからどれも認められている。妨げることは違法行為、憲法違反である。

信仰の自由。宗教の自由。内心の自由

  • それら「素材」(情報 - piece information) を取捨選択・調達・獲得してくること、あるいは意識せずに人が触れること、これらは当事者の「加工」への生産準備だ。
  • 具体的な生産や加工に値する行為とは、情報の受け手の心と頭による評価や判断。それを下すのはそれぞれの "ひと" である。だが、そのとき問題の核心は何か?
  • 評価や判断を下すその『基準』は何か?と問えばそれこそアルゴリズムと言える。
  • AIではない生身の生きている人間による、善悪の基準や基本的判断(力)は、多分に子どもの頃から営々脈々と培ってきた(学校と個人生活における)学習や経験値などだろう。
  • であればこそ、学校が提供するカリキュラムの、倫理、道徳、思想、宗教、哲学など。それに加えて個々人が読んだり見聞きしたり触れたりする、素材がその人の血となり肉となる。判断はそれらに基づく。
  • 結果的に、倫理、道徳、思想、宗教、哲学など『liberal arts』が人の評価や判断という生産行為後のアウトプットを産む、人の心、感情や判断脳の根本を形づくる "栄養素" になるだろう。

これまでの日本経済界。誰もが認める優れた企業経営体とそれらの経営トップを見れば、彼らの共通点は、『哲学や道徳的に優れた人格者だった』点だ、と思っている。しかも勇気やガッツがある。

ところで、話は少し延長するが、以下の報道だ。世界に冠たるこの大メーカーはいま、一体何を考えているのだろうか。根本的にこれでいいのか、私にはとても疑問に思える。

大学だって会社だって、伝統、DNA、培ってきた理念そして製品の "思想" が大切だと確信している。

なぜって? それは、選ぶ側 にとっての「情報」素材だから。

選ばれる側が間違ったブランド訴求をして何が得(徳)になるのか。

▶︎この方向性は、英断か、はたまた愚行か? マーケティング、つまり、"売らんかなの思考回路" による誤った事業判断となるか? 

▶︎評価と結果は、時間の問題。一年を待たずにわかることだろう。

これまでクラウン車のファンだった、高い年齢層や富裕層の人々を裏切る結果に落ちて、ブランドを毀損しなければよいが。製品ブランドだけでなく企業価値を毀損しないか?

それともあえてそうしてでも、なんとしても訪れること必至の電気自動車時代、デジタル・コモディティの世代には、会社が人が生まれ変わりたい、ということなのだろうか。

挑戦やイノベーションに、結果として正しいものもあるだろう。事業は所詮は結果が全て。過程は全く評価してもらえない(それが正解なのかは違うとも思っているが)。それで全くよいとは思っていないが。

マーケティング、事業戦略に、間違いや大失敗、失策も多いのが世の常ではないか。

別の視点(支点)が働き、経営的な意思判断が働いて、組織内部や企業文化のショック療法を、いまの経営陣があえてこれで狙ったとしたら…? 

世の中のトレンドより少しだけ先を創造する者が勝つ。市場を形成する。吉と出るのか?

私はしかしながら、これは  liberal arts なかんずく道徳 ( 『徳』に叶う正しい道筋 ) に反する、悪い判断、間違いの判断 だと思う。

How が違ってる。逆説的に言うと、この私の想定がうまくハズレたら、この会社の従業員は逆にしあわせになれるとの期待も込める。

P.S. 

あ、そう言えば…。昔々、自分の会社、職掌での中期計画の新たな立案過程で、真剣に悩んで。伝手を頼み、この会社の本社に出向いて、意見交換したことがあった。

生産と調達の領域では『生産革新』方式が神様のように群を抜いて、製造企業の間で高く評価されていた、あの時代。そんな古き良き時代最後の頃だったのかもしれない。

  • ノキアしかり、GEしかり、ジーメンスしかり、生き延びている巨大企業は必ずどこかのタイミングで大変身を遂げていることは、記録しておこう。
  • そのとき、メディア情報やコンサルの提言、調査レポートは大事な素材、材料の一つでは足りえるが、核心的・中核的な判断をするのは全て生身の人である。
  • さすれば、その意思決定する人の思考や思想や夢や勇気が最後にものを言うのは当然すぎることだろう。

追伸と追悼、8月6日。黙祷。

メディアと政治権力。どっちもどっちではないか。