ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

ときおり人生の思いを綴る雑記帳|andy-e49er | ID-Zerv 2b trusted @Accurasal

「国際政治」恐怖と希望 (高坂正堯)から…付録あり

まずは先に付録としての最新ニュース。別件の【速報】…米国では6時間ほど前。拾っておく

アメリカ合衆国の次期大統領選挙の民主党候補にして、現職大統領の…バイデン本人、Xで表明は6時間前。

#バイデン撤退 #Biden drop out. 👉 #カマラハリス支持

21日午後1時45分、バイデン氏は上級スタッフらに心変わりしたことを明かし、撤退を伝えたという。そして、その1分後にX上で表明した。(Reuters 記事から)

出所 : バイデン氏、撤退表明1分前に側近へ連絡 2日間で決断=関係者 | ロイター

タイム誌はたった今、
Why Joe Biden dropped out をポスト。
ti.me/3SiC6km

https://x.com/time/status/1815125029299896527?s=46
を発信。
(日本メディアでは(7/22JST) 先程NHK朝9時の5分間ニュースで "項目のみ" 掲載、説明なし)

f:id:andy-e49er:20240722093814j:image バイデン本人のポストはこちら▶︎ https://x.com/joebiden/status/1815087772216303933?s=46

✴️ まだまだこれから。投票者の心理、ケネディの去就など、変動要因は少なくはなさそうだ。以下の調査結果は少し意外だが『ほぼトラ』ということもなく面白くなりそう。🇺🇸大統領選挙はとにかく何が起こるか分からない。過去のヒラリーのケースもある….。予断は許さない。

(☝️7/24水曜JST、旧twitter 私の投稿から)

  • ハリス氏、支持率でトランプ氏を2%ポイントリード 米大統領
    By ロイター編集
    2024年7月24日午前 5:35 GMT+96時間前更新👇
https://jp.reuters.com/world/us/WNMOCBFNZFLTDCSQKOD5UNQN2U-2024-07-23/%20

この動画、なぜかスカッとするぞ(笑) ^_^ ; 👇

https://x.com/brandonkhill/status/1815571248824701317?s=46←カマラ・ハリス演説

(7/26 Reuters報道から)

✳️ いろいろ情報が出てくる。
当然、11月に向けた意図的な発信だろう。

少なくとも競争相手との差異としてのこのような “前向きな評価” が、この報道を知った人に、favorable な材料として受け入れられる可能性がある。まだ支持を明確にしていない層には有効な材料になりうる。👇記事へのリンク🔗 https://jp.reuters.com/world/security/ZMJS6RIOI5MC3EYZXW7LZXR7MY-2024-07-25/%20

私のついこの間の投稿👉大統領選びの根本と民衆心理 (U.S.A.) - ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩


私の関心は、"米国次期政権の世界への影響" 、そしてそのNATO との関わり、また日本への影響。(為念)  世界の平和が理想的な希望です。

アメリカ大統領には、自制も含めて世界 (そして国際政治 ) の向かう方向を決して間違わない人になって欲しい。

▼本題に戻ります。「国際政治」恐怖と希望

f:id:andy-e49er:20240708000042j:image

この項は後から追加した。(8/19, 2024)

日本経済新聞の編集局長・山崎浩志氏

【Editor's Choice】編集局長が振り返る今週の5本(2024/8/17)のメール記事から

「夏の読書、プロが薦める3冊 リーダーや専門家が厳選」日経ヴェリタス 2024年8月10日から

▼「政治家としての覚悟、歴史に学ぶ
衆院議員 前原誠司

2冊目は政治家を志すきっかけにもなった「国際政治」です。1931年に日本と同盟関係にあるドイツが共通の敵であるソ連と不可侵条約を締結し、平沼騏一郎内閣は「(国際政治は)複雑怪奇」という言葉を残して退陣。本書は国際政治の力学を理解せず、対応できなかった当時の判断に対する痛烈な批判で始まります。高坂正堯先生は徹底的な現実主義に立脚した上で、諦めることなく平和を模索していました。

ロシアによるウクライナ侵略が今なお続いています。力で現状を変える試みは当然認められませんが、国際政治は現実の問題として歴史的な経緯や力の行使などの積み重ねの中にあるということはいつの時代も忘れてはいけません。京都大学では高坂先生の講義を受講し、松下政経塾に入る際にも推薦状を書いてもらいました。私の人生を変えた本です。(衆院議員 前原誠司氏)

🇯🇵の進む方向に、影響なしとはしない。

これから記載する国際政治の考え方と照らし、"力による現状変更の試み" への対抗など、世界の平和へのインパクトがどう出るか。国際政治には各国の思惑と内政(予算と方針)事情要素が高度複雑に絡み合う。予測不能。この後、大統領選挙の行方と、その先の推移を見守るしかないだろう…金融や為替がどう動くのか。

 

▼▼さて、本題。

(私の感想) この一冊日経新聞書評での元外交官の大学教授からの推薦だった。著者の高名さは (私がどこでどう知ったのか全く不明であるが) つとに知られており、早速手に取った。

 読み始めると内容の考察レベルがとてつもなく高い。思索の深さ。論理明晰。史実、特に欧米列強国の歩み、外交と戦争史実から分析的に整理し語られる。歴史的哲学者の思考を引いている。学ぶべき中核的思考が手に取るようにわかり、それらが頭に入る名著。

👉そこでどうしてもノートに書き写したくなり、このテキストデータになったことを明記する。

「国際政治」恐怖と希望(改版) 高坂正堯  (中公新書)    気になったところを抜き書き ; 

…なお、後段に本書の目次を掲載しておく…

◉ 第2章 経済交流と平和

1. 経済と権力政治 P.89

(18世紀のある論者はこう述べている)

権力政治の本質は利益の交錯にあり、経済政策の本質は利益の一致である。前者は戦争と失望と破壊へと導き、後者は社会統合、協力、そして労働の成果を自由かつ平和に分けることをもたらす。

◉ 序章 問題への視角

各国家は力の体系であり、利益の体系であり、そして価値の体系である。したがって、国家間の関係はこの三つのレベルの関係がからみあった複雑な関係である。国家間の平和の問題を困難なものとしているのは、それがこの三つのレベルの複合物だということなのである。しかし、昔から平和について論じる時、人々はその一つのレベルだけに目を注いできた。

言いかえれば、国際社会にはいくつもの正義がある。だからそこで語られる正義は特定の正義でしかない。ある国が正しいと思うことは、他の国から見れば誤っていると言うことは、決してまれではないのである。そこにも緊張と対立が起こる可能性がある。

(注意) 以降は、引用部分はフラットに普通の表記とし、逆にブログ筆者の感想、コメントの方をかっこくくり形式とします。※ 本件は個人ブログの備忘録としての個人の学習用途、後日の復習、副読の意図である。(著作権侵害しない)

◉ 第2章 経済交流と平和

I. 経済と権力政治 P.93〜

他国の富の二重の機能

(前略) 経済力の対象とそのあり方は、国力の基本的な構成要因として、国際政治における権力闘争に大きな影響を与えるものだからである。大体、富は二重の性格を持っている。それは自由放任の経済学説を解いたアダム・スミス(1723〜1790)によって認められているのである。

  • 隣国の富は、戦争もしくは政略上の交渉においてはわが国に危険を与えるけれども、通商貿易においては利益を与えるものである。というのは、武力衝突が起こったときには、その隣国の富はわが国にまさる陸海軍を備えることを可能にする。しかし、平和が保たれ、相互に貿易が行われるときには、隣国に富があるからこそ、わが国の物産は高い価格で売ることができるのだし、市場を見つけることができるのである。(国富論)

アダム・スミスはこの富の二面性を指摘することによって、「他国人民の繁栄を懸念の目で見、他国の利益を自国の損害とみなす」重商主義的な考え方を批判した。それは当時の歴史的文脈においては疑いもなく正しいものであった。

しかし、隣国の富が平和のときには利益を与えるけれども、戦争のときには危険を与えるものであり、そして、国際社会において戦争と権力闘争が大きな比重を占める以上、隣国の富を喜んでばかりはおれないのである。
 1815年のウィーン会議から1870年代の終わりに至る半世紀は、「イギリスの平和」と呼ばれるように、イギリスが指導的地位を占めたが、それはイギリスが他国に先駆けて工業化に成功し、世界経済において独占に近い地位を占めたためであった。

例えば、国力を表すと言われる鉄の生産を見ると、1870〜74年のイギリスの銑鉄生産は年額平均640万トンで、ドイツ、フランス、アメリカ三国の合計年額平均520万トンを上回っていたのである。紡績業についても石炭の産額についても、同じようにイギリスは圧倒的な優勢を示していた。それは文字通り「世界の工場」であった。それに加えて、イギリスは世界の各国に資本を供給し、海運業においても独占的な地位を占めていたのである。

 もちろん、経済的な富はそのまま他国を支配する力ではなく、平和の19世紀前半には他国に恩恵を与えるものでもあった。イギリスはその優越した地位を懸命に使ったし、特にイギリスが海軍国で陸軍をほとんど持たなかったために、他のヨーロッパ諸国に直接の脅威を与えなかったことは重要である。

また、イギリスが多くのものを輸入しなければならず、常に入超であり、その入超を外国に投下した資本の利子と、海運業及び技術輸出による収入でうめていたことは、通貨のスムーズな流れを確保し、他国の経済にもその場所を与えるものであった。

 とはいえ、イギリスが「世界の工場」の役割を務め、他の諸国が原料及び食料の供給者となるという分業形式は、経済的にイギリスに有利であっただけでなく、国際政治における権力闘争ということを考え、国民国家の独立ということを考えるときには、他の諸国の満足し得ないものであった。当時の国際経済の構造は、一応は、諸国家の間の協力関係と言うことができたけれども、イギリス以外の国のイギリスに対する依存性が相当高いものであったことは否定しえないのである。そして依存関係があるところ、支配関係が生まれやすいことは言うまでもない。

この本を返却する期限があと三日。予約がなければ1週間は延長可能。だけど、集中して読まなければ効果がない。▶︎延長した

◉ 第2章 経済交流と平和
II. 権力政治と経済交流の分離

米ソの勢力圏…(割愛) ▶︎(ソ連アメリカ資本による収奪の話) それに対して次の項目 : 

支配 - 従属関係の終了 P.108〜

しかし、こうした一方的な関係は、実力による圧迫を伴わない限り、長つづきするものではない。そして、現代は軍事力を使用することへの制約が極めて強い時代なのである。

1つには、軍事力の破壊力があまりにも大きくなったため、それを使用することの危険性が増大した。それはすべての戦争を不可能にしたわけではなく、したがって、軍事力は使用されるかもしれないという可能性によって影響力の源泉となっているし、その意味で依然として国際政治の決定的要因であるけれども、しかし、軍事力が容易に使用され得ないものになったことは行否定し得ない。

(中略)…

この変化は西ヨーロッパにおいて、最も明白に現れている。大体1950年代の半ばには、ヨーロッパ諸国は戦争による破壊から立ち直って経済発展をはじめたし、欧州経済共同体における経済統合の成功は、アメリカ経済にあまり劣らない実力を与えた。それに米ソの対立は、両者が現状を実力で変えることの不可能を知るとともに、凍結していった。

「国際政治」恐怖と希望(改版)
著者 高坂正堯 (中公新書)   目次👇

前書き

序章 問題への視角
I. 権力闘争の変質

II. 国際政治の3つのレベル

第1章 軍備と平和

I. 勢力均衡

II. 軍備縮小

III.  軍備規制と一方的段階的軍縮
第2章 経済交流と平和

I. 経済と権力政治

II. 権力政治と経済交流の分離

III.  エゴイズムと相互の利益

第3章 国際機構と平和

I. 強制力の問題

II. 世論の力

III.  国際連合の意味

終章 平和国家と国際秩序

I. 国際社会と国内体制
帝国主義論/平和国家の現実/「悪は弱さから生まれる」

II. 現実への対処

国家の行動準則の欠如/現実主義の立場/絶望と希望
参考文献

(出所 : 終章 平和国家と国際秩序 I. 国際社会と国内体制「悪は弱さから生まれる」からの長文。とても大事な結論に近づく。抜粋し引用

 例えばルソーは、世界平和相互に独立し、あまり交流を持たない孤立する状況でしか生まれないと説いた。明らかにその理想状態は、現在の世界では実現しそうもない。しかし第二章で検討したような交流の危険を考え、南北問題の解決が諸国家の融合によってではなく、逆に諸国家の独立性の回復または維持によってなされることを考えると、ルソーの理想境はここにがぜん現実味を帯びてくる。

 また、第1章における検討も、第3章における検討も、諸国家の主権の否定が問題を解決し得ないことを示した。すなわち、自己の問題は自国の中で解決すること、他国を羨望しない事は、平和な国家の重要な条件なのである。『エミール』の中でもルソーは語っている。

 "一切の悪は弱いことから生ずるものだ。子供は弱くなければ悪くない。強くしてやれば善くなる。なにごとでもできる人は決して悪いことをするはずがない。"

( 引用部分、続く )
たしかに、自国の経済を運営することができず、自国の独立を守ることができない国は、他国に積極的に危害を加えることができないにもかかわらず、混乱と戦争の原因になってきたし、今もなおその事情は変わっていないのである。もちろん、経済的にも軍事的にも、効率的な独立は問題にならない。しかし、相互依存と独立はけっして矛盾しないのである。

 ただ、そのためには、独立を保つ力は制約されたものでなくてはならない。カントはそのための条件を問題にした。彼は永遠平和のための第一確定条件として、「各国家における公民的体制は共和的でなければならない」と述べたが、それは、そうすることによって国家の力を制約するためなのであった。彼がこの条件をいかに重んじたかは、彼は世界の諸国家がさまざまな体制を持つことを許容し、それを望ましいとさえ考えながらも、この共和制と言う点についてだけは一致しなければならないと考えていたことから明らかである。

 この場合、カントの用語法の共和制とは、だれが政治権力を持つかということではない。それは権力の行使の仕方、統治の方式に関する区別であって、共和制とは専制の対極として、政治権力の行使が制限されていることなのである。

  •  カントは共和制の特徴として、(一)人間の権利を(多数に依存しないで)保障する、法によって規定された自由、(ニ)権力の分立、(三) (自由選挙と結合した)代議制、をあげた。

それが権力の制限を十分にもたらすものであるかどうかは別としても、カントは民主政治を共和体制と区別していたことは、注意しておく必要がある。カントは民主政治において多数の専制が起こることを認識していた。それから見ても明らかなように、彼は世論の機能についても単純な楽観主義などを持ってはいなかった。世論の力への盲信は、後世の通俗化によっておこったのである。そして、国際機構に意味を与える国家体制が、世論の力が強い国家ではなくて、その権力が制約されている国家であることは、第3章における分析から明らかである。

 このように見てくると三つの章における国家の三つの属性についての検討は、平和的な国家の条件について、次のような教訓を与えているものとして、まとめることができるように思われる。

  • 平和な国家は、その独立を守るだけの力を持っていなくてはならないが、
  • その軍備によって国家が軍国主義化されていてはならないし、
  • その軍備を十分に規制することができなくてはならない。
  • 経済的に言えば、他国に支配されざるを得ない国家も、他国を支配しなければならない国家も、ともに平和な国家ではない。
  • そして、国家の権力は制約されていなければならず、言論の自由の欠如、多数の専制、ある理念への狂信などは、国家権力の制約を著しく困難にするものとしてしりぞけられなくてはならない。

(注) 本メモ📝において、段落の区切りは本書にできるだけ忠実に書き写したが、一部上の記述のように、⚪︎で区切りをつけて後で読み取りやすいように工夫を施したこと。

(抜粋と引用を続けて、II. 現実への対処 から)

国家の行動準則の欠如

混乱した国際政治の状況は、測り知れぬほど大きな困難を各国家に投げかける。なぜなら、混乱した国際政治の状況は、邪悪な国家が存在するからおこるのではない。またそれは人びとの道徳的堕落によって説明されるものでもない。混乱した国際政治の状況とは、各国の行動を規律する準則が弱まり、他の国がいかなる行動様式を取るかを理解できないか、あるいは信用できない状況なのである。

現実主義の立場

 こうして国際社会における困難状況に直面した場合、人びとの態度はニつに分かれる。その一つはこうした混乱状態を直接になおそうとするものである。この考え方がある大国の力と結びつかないときには、国際連合国際法を強化しようと言う考え方になる。しかし、国際社会の分権的性格がそういう解決法を可能にしているのである。国際連合の力を頂戴しようと言う考え方が、いかに不可能であり、望ましいものでもないかは既に述べた。その議論は国際法についてもそのまま適用することができる。

 国際法は強制力によって裏付けられていないから、各国が一般的に承認している原則以上のものを作ることができないし、また、作っても破られることが確実なのである。ルソーの言葉を借りれば、それは「ありえない」計画なのである。逆に大国の力と結びつく場合には、「ありうる」計画となる。しかしそれは、すでに述べたように現代の十字軍戦争(聖戦)を生み出してしまうのである。

 それは対立の原因そのものを除去しようとすることを断念することから始まる。確かに、現在の世界における対立は、いくつかの正義が対立し、国家の行動を規律する準則がないことによって起こるけれども、それを直接に除去しようと試みる事は、無意味であるか、あるいは混乱を助長するだけであるからである。(中略)

 国際政治においては、対立の真の原因を求め、除去しようとしても、それは果てしない議論を生むだけで、肝心の対立を解決することにはならないのである。それよりは対立の現象を力の闘争として、あえて極めて思想的に捉えて、それに対処していく方が賢明なのである。 

 それは例えば、医術で言う対処療法と似ていると言えるかもしれない。医師はある病気の原因がわからないとき、あるいは患者の病気の原因を直ちに良くすることができないときには、表面に現れている病状を治すように努力する。

この後の、高坂正堯先生の、本書のまとめや結論の記述ところは、本書をまた読み直して復習することにしよう。最後の小見出しでは、

絶望と希望、と記されていること。大略

しかし、希望することを止めてはならない。

最後の三行だけを抜粋してメモを終わろう。

(注) 本ブログはオーナー自身による備忘録やメモを兼ねるものです。ここでの掲載内容は全て後日、この一冊を読み返すための『手がかり』として、多く引用、テキストデータを利便性のためだけに残したものであり、公式に外部へ向けて発信する意図はありません。

✴️ 最後の三行だけを読んでもこの書の主張は理解できない。なぜならその重要な核心と本質的な主張や議論は、中ほどにたくさんが散りばめられ、各章での議論を深めているからである。従って、中心的な議論や著者の自説というものは最後だけを読んでわかるものではなく、ここでのテキスト抜き書きの抜粋と引用を持って、この書の要約を構成できるものでもない。

戦争はおそらく不治の病であるかもしれない。しかし、われわれはそれを治療するために努力し続けなくてはならないのである。つまり、われわれは懐疑的にならざるをえないが、絶望してはならない。それは医師と外交官と、そして人間の務めなのである。〔本書の最後の三行を引用した〕