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危機の思想

危機の思想NTT出版 2011-8-4. 西部 邁(すすむ)、佐伯啓思ほか)
グローバリズム( 世界画一主義 ) 、マーケット・ファンダメンタリズム( 市場原理主義 )というアメリカ仕込みの個人主義の方向において、社会の全面に及び急進的に設計せんとする思想。その経緯の中で隆盛となったのはIT( 情報技術 )であり、逆に衰亡に向かわされたのは、日本の歴史が蓄積してきた人間組織だった。(西部邁
◇ IT(情報技術)は隆盛を見せたが、ITに盛り込まれるのは、フォーメーション(型)のイン(中)にある知識としてのインフォメーション(情報)であり、別名はテクニカル・ナレッジ(技術知)である。
◇ 他方、人間組織(Human Organization)を支えるのは、その組織の構成員や過去からの経験知と未来へ向けての想像力との総和としての、Practical Knowledgement (実践知)にほかならない。技術知が栄えて、実践知が枯れる、それが平成改革の文化的帰結だった。
◇  「危機は技術知の想定外において生じる」だから危機にはPrediction(「形と量」の定まったものとしての予知)やマネジメント(同じく「形と量」の明示されたものとしての「管理」)を施すことが出来ない。
◇ 危機には(大まかな「イメージ」として)Anticipation(予想)が加えられるだけのことであり、危機に対する処置はRuling(実践知にもとづく組織的な統治)として行われる。
☞ なんだか、とっても「耳が痛い」感じがする。それは著者の主張は正しいと思えるからだ。所詮、ITというものは手段であり、目的ではありえない。やはり社会、世の中の役に立つ、社会インフラストラクチュアシステムとしての利活用で、人の役に立つものでなければならないのだと思う。そして3.11.での経験を見るにつけ、「危機においては」情報や命令の的確な統制が絶対必要であり、正しいリーダーが正しい判断基準を基に一定程度の良い意味での「独断専行」を行い、危機の回避、被害の最小化、迅速な復旧、人命優先を目指すべきであると確認した。