ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

ときおり人生の思いを綴る雑記帳|andy-e49er | ID-Zerv 2b trusted @Accurasal

年賀状 雑感

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🔺三つという「数」はいつも分かりやすく縁起も良い

今日・12月28日土曜は、午後の後半から夜七時半まで年賀状を作って、書いた。

「作った」といっても、我が家ではその年の代表的な写真🤳なんかを使ったオリジナル作品創作なんかをするわけではない。単に翌年の干支の絵とご挨拶ことばがセットで、定型的に印刷された市販の "年賀はがき" を郵便局やお店で買う。そこに自宅パソコンとプリンターで宛名書きをする程度。そこまでの作業をパートナーがやってくれる。🙏🙇 (^◇^;)…

 私がやることは出す相手の確認。それも我が家オリジナルのノートには長年の履歴が記帳されている。そこに、昨年(というか今年ですね) 年賀状を送ってくださってこちらが受け取っている人、及び、今年ご不幸があり欠礼のご連絡を頂戴したお相手などのデータが、アナログで記録されている。なのでやることは、昨年(2024年・今年正月に) 届いた相手の方に今年(来年2025年元旦) ウチは出すのかの一応の確認作業。そんなことで、パートナーとの共通の相手である家族とか姻戚、共通の友人などを除くと、自分の手でメッセージを書き付ける相手はざっと40人くらい。パートナーと合わせ80枚に届かない程度の分量。

たぶんもっと以前の頃には枚数が三桁はあったが、亡くなった親族とか、他の理由などから少し減ったのだろう。そんな作業をしてこの歳で頭に浮かんだことを少し書いておいてみよう。

    • 退職した最初の会社➡️ ここでは在籍した後半、年賀状を含めて会社内 "虚礼廃止" となり ( 形式的な ) 挨拶は省くことと組織的な命がくだった、ということがある。そこで改めてみると職場の部下とか自分の後輩、目下の人とのやりとりがほぼない。
    • 逆に自分より年齢が上の元上司とか、先輩など目上の方は今もあり、続いている
    • 仕事以外のプライベートに属する方々で目上の方も少数ある
    • 友人筋➡️ 会社同期入社の相手が圧倒的に多い。一部は昨今、電子メールなどで賀状は辞める人が出てきた
    • 会社「同期」は専門職カテゴリー面と、入社時の同一部門、気の置けない "奴ら" と、2通りに分かれる。現在も飲み会などで定期不定期でも会うことがある人、そこに来ないから会う機会のない人に分かれるが、賀状やり取りのあるなしが明確な理由はわからないが分かれている、一方学校関係…
    • 大学同期は体育会テニス部関係と学科クラスメート。ともに数人だが、親しいかどうかを評価して人を選んで出しているというより、過去のやり取りの継続の形だ…つまり親しくてもなぜか出していない相手もいる👉なにゆえこの差がついたのか?今となっては不明だ
    • 肉親が両方とも他界し、年齢的にその兄弟、つまり伯父と叔父叔母も数人が他界したり、ホーム入居で出さなくなったり、が起きてきているのが現在

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親しいか、それほどでもないか、メッセージを書くときに📝文字通りなんとなく認識することになるのは、スラスラことばが出てくる相手と、う〜ん何を書こうかと考えてしまう相手。そこで距離感を認識するのだ。年一の確認作業のような再評価のプロセスに、結果的にはなっているのかもしれない。

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(賀状は、正月🎍🎌元旦とかの一種の儀式。しあわせを招く猫の置物のようなものだろうか…??)

 しあわせを、仕合わせと書けば、相手との心の交流はやはり、「仕合わせ」であり、それは、相手を慮る心の発露。だからこそ、受け取って(幸せ)な幸福感や微かな満足を覚える。人生の機微を表す " ツール " だろうか。

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さて、年賀状仕舞い (終い) …である。ときに墓仕舞いも昨今話題に上っている。世間では皆同じ類の検討が起きている?ようだ。

 実は今回そのことが念頭にあった。例えば年賀はがきスタイルを辞める。そして「LINE」とかfacebookなど、ソーシャルメディア上の "電子的な連絡" へと暫時ものごとの進め方を変えていく。手間を省いて楽になろうとも考えた。

👉そこで、冒頭の作業(相手の確認)に取り掛かった。しかし…だ。宛先確認をしているうち、ふと辞めるのは簡単かもだけれど、では相手がLINEなどを使っていないとどうなる?という思いも出てきた。当然のことながら、そんなさまざまな相手方の対応をシミュレーションしていて、結果的に導かれた結論はなにか?

✴️ 今回は葉書の「表」の差し出し人記載スペースに「シール」を貼る作業からスタートした。シールには私のメールアドレス、携帯番号にLINEのアカウントID の三つを記載した。

当初は、これで「次年度からLINEでお願いします」…とか想定。シール通知情報も決めた。

しかし、

➡️ 年賀はがきの年一の送付くらい実は大した手間でもないじゃないか…相手とのつながりって年一回だけが、貴重で大切なんじゃないか、という素直で自然な気持ちに気づいたのだ。

むろん背景にパートナーのパソコン作業の存在がある。これは大きい手助けだ。だからこそ自分の手間はさほどでもない。厳然なる前提。

✳️ 結局、シールを貼るだけで、メッセージの裏側は例年通りのひとこと手書きメッセージ📝のスタイルを続けることにした。

  • LINEのつながり申請を下さる相手は、今後どうするか、改めて考えよう

例えば今、自分の頭の中にあるようにこのままの健康が続いてあと2年3年と今の仕事を続けていく。現在の延長の生き方ができるものとする。さすれば年賀状仕舞いは(あまりこうは書きたくないのだけれど)古希の時点でまた考えればよいのかもしれないな、など頭に浮かんでいる。

さきほど9時台。しっかりと冬の服装を着込んでマフラーにマスク姿。外へ出た。三百歩を歩き郵便ポストに📮重たい賀状の束を投函した。気持ちよく晴れている年末・師走の後半、朝の清々しい空気は心地いい。一年にたった一度しかないこの動作。この気持ちを大切にしておこう。そんな気分を味わった日曜だった。

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facebook & Instagram にアップしたメッセージ

【年末のご挨拶】晦日まで、あと三日。
今年一年、みなさまにおかれましては、よい365日を過ごされたことと思います。

facebookInstagramつながりの、私のご友人のみなさま、今年一年はどんな年でしたか? 

誰もが年々等しくひとつずつ歳を重ねていく。そこに差はありません。宇宙と地球、世界の国々・人類、そして私たちヒトは確実に老いていく。自然の摂理。

不思議ですね…ソーシャルメディアでのこのつながり。
お読みいただく方、そして年一の年賀状の方々、今年リアルにお会いした方、お会いできていないあなたへ。

これらさまざまなお付き合いの濃淡の中、私はこうして生かされています。そのことに「ありがとうございます」🙏

ゆく年に有難うの感謝を、くる年に向かい皆様の御多幸をお祈りして、また来年もどうぞよろしくお願いします。

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(旧Twitter: Xから BURGERKINGJAPAN 投稿)

サクラメントに初着任した’87、生まれて初めてのアメリカン🍔burgerが BurgerKingのFlame-Grilled Whopper でした。今日持ち帰りで食べたけど、昔のまま。🍅トマトとタマネギ🧅に懐かしい味のドレッシングで変わってなかった。Macより大きいのでお腹いっぱいになって本当に大満足でした。