ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

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「午後の曳航」 三島由紀夫 〔読後感想〕

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三島由紀夫の小説「午後の曳航」は文章が旧文体(というのは正しいか?) 、今は使われない漢字の言い回しのある古風だが、人間それぞれの心のうち、観念的な世界観を描いた作品である。

構成的には、第一部 夏、第二部 冬、という単純な区切りの装い。それに章立てが続く。

だが解説者によればこの作品は、二重の構造なのだという。登 (のぼる) という名の13才の少年と、その母・黒田房子、その相手となる商業貨物船の士官・二等航海士、塚崎竜二が家族を新たに構成せんとするのがこのものがたりの中心である。だが、そこに「首領」という "三日月まゆげ " の怪しげな少年とその取り巻きたちという登場人物が絡んで介在する。しかしだからと言って、江戸川乱歩ものや、少年探偵団の話のような謎解きものとは程遠く、優れて文学なのだ。

怪しげな、というよりも明らかに危険思想と思える登と同年のこの少年を筆頭に、呼び名が一号から五号までの、六人の少年たち。そのグループが、生きることの意義や世界のあり方などを見下す第二の主題の話が重なり合って、全体ストーリーに覆いかぶさってくる。ちなみに登は、"三号" と呼ばれている。

解説者によれば、少年・登や『首領』も、二等航海士の男も、どちらも三島由紀夫自身の心の投影だろうという。確かに三島本人の現実の最後を知れば、彼はまさにそういう思想の持ち主だったのかも知れないなと合点と納得がいく。

 遠い昔、もしかしたら自分が登場する「登」と同じ13才の頃に読んだことがあったか。あるいは読んではいなかったか。この作品が今回初めてなのか、もはやその記憶はない。

 この作品は始まりの情景と心象の描写のとても強い力と美しい書きぶりの文章により、読み手を惹きつける。ものがたりの次はどうなる?と心が躍る。先へ先へと気が急いて、早く次を読み進めたくなる。ストーリーが秀逸であり、それに加えて個人的にも馴染みのある「 横浜の港」を舞台にした点で、親しみを感じる。しかも当時の社会と人々の生き方の様子がリアルに感じて読み取れるところが微細なのだ。

今やコンテナ貨物が普及し、当たり前の国際貿易の時代から想像すら難しい当時の貨物船。荷下ろしの情景が、船の構造に空や海の色を交えてこれほどまでに微細で丁寧に、観念的な描写で描き出す三島由紀夫とは、いったい何者だろう。

いまもあるのだろうかと気になる現実の名を出した昭和の時代、前半の、当時の横浜港・港湾施設。リアルな情景を自然と、心の動きとを絡めてものの見事に描いている。

世界を股にかけた海上交通をベースとする貿易。"舶来もの" で、ハイカラな衣類。そのブランドデザインものの海外からの輸入取引やその商売の様も語られ、興味深い。国際的な海運と今でこそこういう言い方になった "サプライチェーン" の昔の当時を彷彿とさせる稀有な小説である。

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彼の生み出す文と力のある言葉による風景の描写のきめ細やかさが、すごい。文体の美しさは素晴らしい。そして、ものがたりの構成としてストーリー場面の展開がなされるが、さながら映画の映像が、現在場面から効果的に切り替わる。主人公やその他登場人物の心の中にある過去と現在とが行きつ戻りつし、回想するシーンはなんとも効果的に織り交ぜられる。初めから映画の脚本を意識しているわけでもなかろうが、心象風景をその場そのときあった場面の映像として見事に描き、ものがたり展開の形を読者の眼前に映像的に紡ぎ出す。技法なのか?

最後の方になるが、海の情景描写が美しいので、ひとつの実例として書き出してみた。(P.187〜188) 第二部 冬、第七章

沖には真珠いろの雲が浮び、その投影は、まだ春の遠い茄子(なす)紫の海面に、そこだけ仄白い(ほのじろい)却って寒々しい色を与えていた。他には雲はなかった。午後三時をまわった空は、裾のほうほど色褪せた、洗いざらしの、不本意な青の一いろだった。

 海は、しかし、汚れた岸から沖へ向って、代赭(たいしゃ)の濃淡の巨大な網のような汚水をひろげていた。岸ちかくには船の影は乏しかった。沖を数隻の貨物船が動いていた。いずれも小さな、遠目にもいずれも古びた、三千噸(とん)程度の船ばかりが。

第二部のクライマックスは、ハラハラさせる展開だが、終わりかたがまたなかなかである。

ここから先は、この流れで三島由紀夫の作品を続けて読んでいくことになる予感が強い。

新潮文庫

なお、Amazon Kindle の電子版で三島を読みたい。だが調べたがラインナップになかった。どうも三島由紀夫の遺族の意向で、電子版へのデータ化には後ろ向きなようだ。また新潮社が版権を今も抑えているなど、という話をどこかでみた。

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◉ 【補足説明】小説「午後の曳航」 三島由紀夫・著。そしてなんとこの作品の解説が、小説を遥かに超えて、実に文章が難解なのだ。こういう文が "文学" や文芸評論の常?なのか。特に気難しい評論家なのか?…で、凡人の私が読んだがすこぶる難しい。まったく哲学なのか、はたまた文学の一部の形か、という印象だ。一部を切り出してみよう⤵️

以上のように、簡単な象徴と骨組みに分解されてしまう小説に、頭のよい読者は、不満を洩らすかもしれない。しかしそういう人々は知らないのだ。有毒な現実を、清潔な記号と図式に解体させる視線以外に、この世界には語るべきものなどありはしないのだということを。

(解説: 文芸評論家・田中美代子)

" 昭和三十八年九月、長編書下ろし作品として、講談社から出版されたものである。" ( 昭和四十三年七月、文芸評論家)