" A Few Good Men " (アメリカ映画) 見終わって、ラストシーンへの盛り上がりストーリー展開に納得して、心が大変スカッとする私がいる。法廷ものが好きなんだな、と自覚する。
他に多くのアメリカ映画・法廷もの、正義をテーマにする司法作品があるが、トム・クルーズとデミ・ムーアのこの作品は特にイイ。
◉ 単なるしかつめらしい法廷もの・司法フォーカスではない。軍の規律やキューバのグァンタナモ基地で起きた軍内部の殺人から始まる、事件対応の話であることがあるだろう。そこが真相究明の香りを放つ一級のサスペンスであり、ちょっとしたスリラーなわけで、ウケる。
✳️ この映画作品は、a. 法と秩序、b. 上に立つ者の判断の正誤や倫理観、それが正しかったのか、それとも正しくなかったか。そのことを鋭く法廷戦術の対話の形により詳らかにする。
👉 また、権威による脅しや権力の腐敗、それを使っての事件の真相を隠蔽する企てを匂わせる。そこに主人公の軍内部のハーバード出の若きエリート弁護士が真っ向から対決。内部統制部門にいるデミ・ムーアともうひとりのベテラン弁護士との三人でチームを組む。
後半で自ら内部告発をしてくれた軍の副官が、大切な証人となり、劣勢をひっくり返す希望の展開を見せる。それなのに、護衛をつけていたにも関わらず、彼はその立場の狭間に追い込まれて自死してしまう悲劇。ほとんど負けに近づいた厳しい状況の中、大逆転して「勝つ」❗️
若き勇者たち三人と被告の軍人2人が、挫折や心の葛藤に苦しみながらも、最後にはそれらを克服する成功物語、とみることもできる。
✳️ 実際そこが重要テーマの一つ。中心的に軍の幹部と、エリート法律家の若手がパワハラに打ち勝つ過程の、立場による暗黙の脅しと対決する自身の軍内部での立場も危うくしかねない人間の葛藤を描いているからこそ、今この時代に見てさらにいい作品だ!と思える。ここが大きなポイント。
その意味で全ての人にウェルカムな内容だから、お薦めしたい。正義を希求するすべての人、法律を学んだあるいは今学んでいる者、司法制度全体の役割と意義を信ずる人はもちろんである。
🔻ここから先、2/6(木)書き下ろし未編集に、加筆した。
一転して、次の関心事に触れておく。
👉日本・安倍晋三政権時代。一つの時代を築いて世界をリードしたと、後世おそらく歴史で評価される「インド太平洋の法的秩序」。
法がすべての上位にある、"法の支配" が、専制的手法の一部国家や「ならず者」たちへの、"正義の対抗軸" として大きく世界で提唱され取り上げられ広く支持を得ていたこと。⤵︎
ガザの民族浄化に警鐘、国連事務総長 トランプ氏の「所有」提案念頭
https://jp.reuters.com/world/security/V6P6YV23PJJOZIG7C5JSJQQYIM-2025-02-05/
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政権トップが (リーダーシップの方向、取り方を間違っていようと正しかろうと)、社会は政治判断という名の下に、良くも悪くも 迎合 や支持に傾くかもしれないことが怖い。民間では表現の自由の名の元、トランプ方針に恭順するかのように舵を切ったfacebook (マーク・ザッカーバーグのメタ)の運営方針の転換が出た。
経営もそうだが、特に世界の方向を決めかねない外交や国際政治の世界、そして国連の力の程度などからみると「法の支配」は、残念ながらニの次なんだな⁉︎ とクレームせざるを得ない。
◉政治は既存の法より上なのか?
確かに法律やルールを作るのも人であり、それを司ること自体が政治の役割かもしれないが。
それでもなお、"Trump2.0" はあまりに法外、身勝手、常識破りの "反法治" だと皆知っている。
大多数が嫌って反対されるような主張がすべての起点にある。大きな方向性だけを(政治決断として、例えば、Exective Orderがまさにそれだが) 言い出して、中身や背景は説明しない。そこは下の者への丸投げでないのか、YESマンたちが取り囲む大いに懸念のあるやり方である。
元々こうした専制的な手法への歯止めとしても本来は法がある。まさに三権分立の概念がそれのはず。だからその概念が生まれたのではないだろうか?今一度、経緯を学んでみたいかも。
そもそも(立法、行政、司法)三権の間での分立による効果としての "抑止" が機能しない場合、われわれは何をどう対処できるのか?
憲法違反として違憲を司法の場に訴えるか、行政不服審査か、国会の国勢調査や証人喚問か。国内では対処する方法があるが、海外国同士の場合、国際司法機関があっても現実には100%は機能できていない。壁がある。現実に戦争犯罪人として告発したロシア大統領を外国滞在時に逮捕して裁くことが出来ていないという現実の姿もある。無力感は否めない。
これらの現実がわれわれが現に生きている世界の政治、経済、金融や株式市場、為替市場を混乱させている。エントロピーの法則そのままに。
もう一度、問いかける。
政治は既存の法よりも上なのか?
法律とかルールは、それを作ってしまった後は施行し取り締まる方にベクトルが向く。なので言い換えればエントロピーの法則の逆。物事は収束する方向に行く(はずだ)。
一方、国会(立法府)の社会活動は、同じくその基軸にあるのは法律やルール。それらに縛られそれらの基盤の上に置かれている。だからほぼそれ ( "法の支配" ) に近いといってよい、とおもえる。
対して『政治』とは何か?忖度なく言ってしまえば、"政治決着" という言葉があるとおり。人と人との表だけではない裏での駆け引きや、利得を計算する心理や、当事者個人やその勢力をバックに持つがゆえの損得勘定も入ってくる。
基盤として表向きは法律を遵守する範囲で正しく行動をしているんだとしても、(例えばトランプ大統領のように) 法律や国際秩序を超越したところで、法外とも思える案を出したり、一種身勝手な己の論理だけに依拠する発言発信を、トップリーダーはしてしまえる、という側面がなきにしもあらず。そうだとすれば、政治と法とは、ときに相容れない二項対立ともなりうるしなりかねない、と考えてよいだろう。
✴️ 2/11付け、日本経済新聞朝刊の、19面コラム『大機小機』(ペンネーム "冬至") 、ここにとても興味深い、現状を鋭く喝破した見立てが語られている。それを一言でいえば、バイデン前大統領が重視していたソフトパワー、それは4年前の就任演説で、
「米国は力でなく模範と言う力で指導力を発揮するのだ」と述べていた。
米国が世界への影響力を維持するには「模範」というソフトパワーこそが大切という正しい状況認識である、
と評価した。対して、次
トランプ大統領には「信頼こそが米国のパワーにつながると言う発想は全く見られない。実効性があると考えて、ゆすり外交をこのまま続けるならば、米国のソフトパワーは崩壊の危機に貧するだろう。模範となる意思を失った米国と向き合わざるを得ない世界にとっても深刻な時代である。
と結んでいる。その通りに、今世界は深刻だ。
もはや「取引外交」と言うより「ゆすり外交」と言う方が正確だろう。2期目に入ったトランプ大統領の対外政策のことである。
コラム記事、その冒頭はこう始まる。