ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

ときおり人生の思いを綴る雑記帳|andy-e49er | ID-Zerv 2b trusted @Accurasal

”流山おおたかの森” と”松ヶ丘の野馬土手”

野馬🐎土手の記憶

〈独白、はじめます・・・〉まだ仕事は週四日勤務で続けており現役です。社会貢献のため。でも半分引退したような、ちょっと余裕ある 後半生 をいま過ごしています。

ゴールデンウィークは5/2火曜だけテレワークで相談員の仕事。一日を過ごしましたがそれ以外実質的にはほぼ9連休的。5/3,4 一泊で孫を連れ家族三人、我が家に遊びにきた後は持て余し気味の時間があり、少し長いこんなブログを書いています。
内容が退屈なものだったら、ゴメンなさ~い、です。 (・・; 

▼▼▼

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☝️おおたかの森・駅前広場は流山市の新たなセンターか

f:id:andy-e49er:20230506110301j:imageところで

☝️先日あの美しい『あしかがフラワーパーク』行きの時に桐生から乗った〈わたらせ渓流鐵道。気まぐれに降りてみた昔の足尾銅山炭鉱口の最寄り駅の一枚。

本題です。

 ゴールデンウィーク終盤の六日土曜。昨日に続いて今日も南風がとてもひどい。(1年前の5日と6日の天気は悪くはなかった記憶がある)本来なら外出は控えたいところだが、決めたことがある。帽子🧢をかぶって出かける。

昨年亡くなった母の記憶を辿り、自分の小学校時代に触れる懐古的ちぃ散歩に出かけ

◉ 神奈川県地元の最寄り駅を午前10:04発で、今日のぶらりちぃ散歩の最初の目的地は松戸市。昔、高校生途中から、就職して相模原市矢部の独身寮に移る時まで、およそ六年間移り住んだ町。当時は新らしく出来たばかりの路線〈武蔵野線〉の新駅だった私の〈昔の〉住処。今は住人を失ってしまいやむなく留守宅となった。
 本来の用向きを済ませ、軽く腹ごなしをしてから次の町へ移動。ぶらりちぃ散歩、次の目的地は流山市。小2から高2年まで住んだ町へ、電車下り我孫子方面へで二駅、向かった。(松戸市に越してくるまで。都内から引っ越して小2の夏休みから住んだ社宅跡を訪ねる@松ヶ丘)

パート1️⃣ みなみかしわ

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☝️これがどこなのかは後ほど説明します。

 そこは60,70年くらい前から開発された町。基本的な性格としては、都心へ通う多くのサラリーマンのベッドタウンとなったのだろう。1丁目から5丁目があり(70年代当時)、警察機動隊の拠点方面基地とか、水道なのか何のものか知らないが鉄骨で組まれた背の高い「タンク」が1号から順にいくつも点在していた。そこを自転車で順に探し回ったりしていたら、夕方まで何時間も子どもたちが誰一人帰宅せず、親たちの騒ぎになった(機動隊に捜索を依頼した!?らしい)遠い記憶なんかとか、懐かしい。

  • あのタンク。何のためだったのだろうか。

1960年代の中頃から1970年代へと、高度経済成長期の日本。都内へも電車で1時間程度で通えるから中学から都内の私立へ進学する友人が多くいたと記憶している。まさにサラリーマンの一戸建ての夢を叶えるような土地柄ではなかったろうか。それが半世紀も経てば当然ながら

【様変わり】

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☝️正面に見えるのが国道6号線(水戸街道)。信号の右手奥が南柏駅。半世紀の月日が経って駅前にはこんな風に住宅マンションが複数立ち並ぶ。便利だろうな。

 ここ、住居表示的には千葉県柏市だが、そのJR南柏駅から国道6号線(水戸街道)を渡ってその奥へと入った広い住宅街は流山市になる。その一部、五丁目の辺りをぶらりぶらりした。

(出典:Wikipedia

(一部を抜粋して引用する)江戸川利根運河を利用した水運で栄えた白みりんの産地として知られ明治期には葛飾県庁が置かれていた。

1950年代以降、江戸川台松ケ丘を皮切りに住宅開発が行われ始め、現在に至るまで住宅地として開発が進む。1970年代までに流鉄流山線東武野田線東武アーバンパークライン)、JR武蔵野線が市内に通るものの、それぞれが市内で接続せず、地域ごとの繋がりが薄い市となっていたが、2005年つくばエクスプレス(TX)開通により、それらの地域が結ばれるとともに東京都心へのアクセスが向上した。つくばエクスプレス(TX)の流山おおたかの森駅を中心に良質な住宅都市として開発され、子育て世代を中心に人口が増加中である。その住環境のよさから、「千葉の二子玉川世田谷区)」と称されることもある。

地名は群馬県赤城山の山体が崩れ、大きな欠片が利根川を下って流れ着いたという逸話に由来する。 

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 さて、松ヶ丘について少し説明しよう。ここ流山市と隣接する柏市との境には高さ2メートルに満たない土手が非常に長く連なっている。明らかに歴史的に辿れる、人の手による構築物と分かる。内部は土の堀になっている。土手の仕切りが長く続いて市制を区切っている。この土手を登った先の森というか林などがずっと長く町を取り囲んでいて、その一部はそこそこのスペースが開けたりしていた。小学生の頃、遊び場として友人たちとよく遊んだものだった。

江戸時代、徳川家のお馬の生育を担っただかの、関東六カ所のうちの一つがここだそうで、今では歴史説明の看板も設られている。失敗したのは、その立て看板の写真を🤳撮り忘れたこと。後でキーワード検索しようとしてもデジタルな説明ページとかは全くヒットしない。正式な名前も覚えていない。まぁ仕方ない。

↓奥の方に左右横に広がっているのがそれ。流山市の公式ホームページ(Website)には、『流山市|都心から一番近い森のまち』と描写があるが正しいと思える。証拠映像がこれだろうな。
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▼この看板に名称が出ていたのを文章の見直し、校正していて幸い見つけた。

"野馬土手"

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⬇️見つけました!
松ヶ丘の野馬土手(日本一) 画像多数あり
https://g.co/kgs/LP69yb

 一般的庶民たち家族が所有するごく普通のよくある家々の群れが固まってそこにあるのが、流山市松ヶ丘。さすがに半世紀、開発開始の1950年代以降から数えるならば70年あまり。

今ではあちこち町の風景がすっかり変わっている(特に電車の駅とその周辺)。小学生の頃に見ていた記憶の中の私の近所。その当時の一戸建て住宅のほとんどが新しい設計の建屋へ建て替えられたりしている。

 よくある話だが、変わらないのは "道筋" そして "高低差" である。残念ながら町の北の縁を東西に形作っていた道路に隣接していた長い松林は、とっくの昔にだろうが、全て開発しつくされ新たな住宅街へと拡大された町になっている。なにせ後で触れるバスのルートでは、「松ヶ丘6丁目」という昔はなかった丁目が追加されているし、「流山市立東小学校」(←リンクをクリックで表示あります) へと続くカーブして段差ある尾根の様だった道筋の内側にあった谷のような低地は坂になり、ここも全て開発され尽くして「西松ヶ丘(←リンクをクリックでGoo地図表示されます) という町名になっているのだ。

卒業したのはこの小学校。同級生たちはいまもみなさん健在だろうか?? 連絡待ってます。1964年の卒業です。

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☝️平面図で見てもイメージは異なるが。

何枚か写した家々の写真。その間を走る道や交差する道筋とか角にはどれも見覚えがあり、「知っている」町だと感じる。

故郷があるようで、ない私のような引っ越しばかりの人生を送った人間にとり、ここは唯一幼少期の記憶とともに懐かしさを感じる自分が遊んでいた当時の町だ。

"松ヶ丘"と野馬🐎土手

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上の写真で左の先に公園があるのが分かる。
✳️ 遠い昔・小学生の頃 遊んだ公園は変わらずそこにまだあった。母親たちと子ども連れが数家族遊んでいた。しかしその通りの商店はほぼ全滅。いずこの町も同様だ。今は中途半端に日用雑貨ではない店などがポツポツとある。統一感はなく歯抜けした古びた通りに思え残念だ。なぜか政治家の事務所があり、その間口のドアがいっぱいに開いて、人が多く雑然とした内部を片付け、整理していた。その先の一番の角地の建物は周囲を取り囲んで解体作業していたのも象徴的。

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☝️今もある夏祭りの時にはやぐらが立てられて盆踊りしていたあの公園。土団子を作って端っこに隠して乾燥させ、カチカチにしたっけ…w

さらに書いておくとすれば、公園右手に進んだ突き当たり、広場的な道路。今どき珍しくスペースが広くロータリー的な形。3箇所くらい存在しているが昔のまま変わらない。あれは信号などない、いかにも住宅地の中の道路なのか、それとも広場なのか。不思議な空間を今に残している。昔のまま変わらず。

向こう側にあった本屋(小学校同級生の伊東書店)はなくなり普通の民間住宅に変わった。しかし三軒並んだ左端だけが『大村庵』という蕎麦屋。昔からあったが、明らかに建て替わって綺麗。この店は今も事業継続、健在だった。

✴️ さらに私が暮らした社宅アパートの向こう側隣近所にあった商社の社宅だか独身寮(当時の社名は『日綿実業』だ…)の広大な敷地。そこは一切合財が全て更地にされていた。

新たな住宅用建設地として売り出し中。ただ区割り的なアクセス道路は無さそうなので、まだどうなるのかは予想出来ない。とにかく南柏駅から徒歩10〜15分圏内だから価値は高そうだ。東側は例の土手〈野馬土手〉で区切られ、北は行き止まりのため車の通り抜けもない。静かなよい、価値の高い住宅地になるだろう。

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この写真の左手が柏市との境を仕切る江戸時代から続く野馬土手。奥方向に南柏駅がある。

この辺り、間違いなく第一種住宅専用地域だと思う。戸建て以外だとしてせいぜい低層マンションだろうが、このエリアの全体の雰囲気からすると考えにくい。そのうち出来るとしても老人ホームではなかろうか。
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境界の外側(柏市)から馬を逃げないように造られた堀のある "野馬土手" 越しに松ヶ丘5丁目を見る。(元はここの敷地に商社の独身寮があった)
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売り出し中の立て看板  ”HITO-TOKI" があり、当日の強い風に旗が🚩はためいていた。
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北西の角地側から整地された広大な土地全体を望む。奥の緑は、この売り出し地に隣接する別の戸建てが建築途中。

 ところで私と家族が住んでいた "北斗荘" 社宅はこの手前の土地にあった。鉄筋コンクリート4階建て。住戸は全20戸があったと記憶する。東西に長く、南側は庭、北側に自転車置き場。周囲を白いコンクリ壁で囲い、北側に空き地があった。空き地は幅10m ✖️ 東西に30m くらいはあったか、よくそこで三角ベース〈草野球の簡易版〉をして小学生時代に遊んだ。

 

パート2️⃣ 流山市 からちぃ散歩 

流山おおたかの森” へ向かう

◉ 南柏駅常磐線は快速化している。茨城県取手より向こうからの中距離列車も走る。基本は取手または我孫子駅始発。柏、松戸、北千住のあと上野駅に向かう。南千住、三河島、日暮里に止まり、鶯谷を横目に終点上野駅となる)

南柏にはメトロⓂ️千代田線直通の各駅停車だけが停車する。江戸川を松戸駅の後、鉄橋で越すと東京都になる。金町は葛飾区。亀有は漫画で有名になった。東京メトロに切り変わるのは足立区『綾瀬』駅。荒川を越えたあと地下に潜り、足立区・北千住駅(東武のほか、メトロ千代田線/日比谷線/半蔵門線直通、JR常磐線、そして近年開業したTX線も通る一大駅になった・・・) のあとは町屋、西日暮里(JR山手線、京浜東北線乗換え駅)。そして文京区に入って千駄木、根津、湯島、新御茶ノ水、大手町へつながる。その先は代々木上原以降、小田急線とも乗り入れているから、かなり便利。ちなみに都立上野高校は千代田線の根津駅下車が最寄り。私の通学の駅。

北千住駅東京23区の北東部、足立区の南西部に位置する千住(せんじゅ)地区中央部にあるターミナル駅。当駅には4社5路線が乗り入れており、JRの常磐特急以外の全ての旅客列車が停車する。各線相互間の乗り換え客が多く、1日あたりの乗降客数(2018年度)は約160万人と世界6位の利用者数を誇り、JRグループにおいて、普通列車のみが停車する駅では日本最多と、当駅は足立区のみならず日本有数のターミナル駅である。

 

南柏駅(みなみかしわ)

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その駅前から出るちぃバス🚌を使い、50年前の記憶の姿から様変わりしているその町を眺めてみよう…と常々思っていた。そして適当なところで降りたら無目的に徒歩で散策でもして、最後は電車に乗って東京都を抜けて神奈川県まで帰ってくる『プチ散歩』をすることにした。

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このミニバスは「(流山)ぐりーんバス」といい、たぶん12人乗りだと思う。路線図と停車は下記で見れる。
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☝️後でもバス路線の前図の掲載があります。「野々下」という街は東武の豊四季に近い。

この路線、使うのはもちろん南柏駅からの方が便利な住人だけですね。
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途中、東武アーバンパークライン線〈昔は野田線といったが今も公式には野田線らしい〉の豊四季(とよしき)駅を通る。豊四季駅が近い人はぐりーんバス南柏乗車で普通はいませんね。

✳️ 基本ルートの性質としては、ず〜っと地続きで途切れることのない流山市柏市〈豊四季付近〉の道幅5、6メートルと狭めの道、住宅街の内部を右へ左へとジグザグしながら通り抜けていく。

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☝️東武バス路線図。右下から中央への黄緑色で表示のルートを通った。

流山ぐりーんバスの南半分(地図から切り取り)

一番最後、直線の大きな通りに出た後は一路真っ直ぐに  “流山おおたかの森 駅に到着した。初めて来た新しい街。

駅前広場…なんとなく東急田園都市線たまプラーザ駅と同じく的な設計思想を感じさせなくもない。・・・と書いたあとに流山市についての個人ブログを見たら、千葉の二子玉川と書いてあった。

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地図の右上に位置するのが〈三輪野山〉で "大鷹(おおたか)" が棲む森なのだろう。首都圏では珍しい自然だ。おおたかの鳴き声http://javascript:void(0)

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✳️ おおたかの森SCと駅前広場などから広々としたこのエリアを特に意図して開発したのは誰の目にも明らか。それで、つくばエキスプレスの(高架型)駅舎も、東武アーバンパークラインの(地上を走る)駅もともにかなりスペースをゆったりと確保している。バスターミナルはショッピングモールの反対側に設定されていてこちらも大きくなかなかのものである。

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〈TX〉と称されるつくばエキスプレス流山おおたかの森駅改札前は広々。新しくてキレイ。

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☝️〈TX〉改札を出た右手に隣接する東武線改札も明るくてかなりの広々感に驚く👇
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東武線きっぷうりばと東武線全路線図。なかなか見栄えがしており、気付くのは東武線ってすごかったのね〜・・・ということ。

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東武鉄道全路線図(同社Websiteから)

因みに、東武佐野線の「佐野駅」へは墓参りで年1~2回行っている。その隣「佐野市駅」が佐野厄除け大師への最寄駅だが佐野市から佐野へは鉄路がほぼ180度近くカーブしていて、佐野駅からも自転車なら5分で着ける。

流山おおたかの森S・C
お店はこれら2路線の交差する四方向の一角に広大な敷地をこれもまたうま〜くレイアウトして複数の建屋が並ぶが、それらの間は床を木製にした柔らかな感覚の空中廊下でつないでいるのがまたなかなか壮観。というか全体の規模の大きさに結構驚かされる。

中庭的な駅前広場は、さながら緑の公園であり、人々がゆっくりと座れるのも⭕️

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改札プラットフォームの周りを取り囲むようにショップが入る複数のビルディングがプロムナードで繋がって作られている。店も多種多様。生活に必要な何でも全てが揃う。ニトリからロフト、高島屋もある。シネマも観れる。
おおたかの森SCと駅前広場などはニューファミリー層にはとても便利だろう💮

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比較対象として頭に浮かぶのは、練馬区の光ヶ丘かもしれない。一時期言われたいわゆる "ニューファミリー" 向けの大規模開発エリアとなっている点で、かなり類似点がありそう。けっこう似ているかもしれない。

流山おおたかの森VS柏の葉キャンパス!結局、どっちに住む?そもそもどんな街? 
https://atsuimori.com/sumai/develop/vs/

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☝️ほんのひとつの商業施設の建物。他にもふたつ以上が点在していたと思う。
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東武線に隣接 S・C 棟の側から、空中廊下で眺める、つくばエクスプレスの高架線〉
なかなか流麗な近代的フォルムで駅前の緑の広場と併せて機能的な美しさですね。
S・C内には数々の飲食店があるのですが、あえてこういう自由な空間を作り、和ませるアーバンライフ風の設計や企画は近代よく見かける不動産業界・飲食業界一体となった街づくりを感じさせます。これから子どもを育てるファミリーに住みやすく良い環境だろうと思います。

(出所) 流山市公式ウェブサイトの写真から

(同上)

(C) 本はてなブログに掲載している写真は引用を付している以外は、全点・作者本人撮影です。
(2023/5/6土曜)iPhone