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「愚か者、中国を行く」

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「しっかりとつかむ」必要がある。つかまなければだめだが、つかんでも、しっかりつかまなければ、やはりだめである。

1949年3月13日「毛主席語録」
『愚か者、中国を行く (星野博美)』から。

➡️ 率直なところ、何を言わんとしているのかよくわからないが、政治体制のことか、あるいは人民に対しての思いなのか…。(私の感想)

本の背表紙の短い書評から引用 : 

  • 「交換留学生として香港に渡った筆者は、1987年、アメリカの友人、マイケルと中国旅に出る。中国社会が大きな転換期を迎えたこの時期に、何を感じ、何を見たのか。『大国』の本質を鋭くとらえた貴重な記録。」

(中略) 列車と言う密閉空間にいる時だけは少なくとも未来を考えずに済むからだった。娑婆に出された途端、私たちの頭は未来のことでいっぱいになる。それは素敵な未来などではなく、未来の宿未来の食事、未来の切符、未来の行き先……うんざりするほど考えなければならないような未来だらけだった。乗り物の中は唯一、過ぎ去った時間に思いを馳せることのできる優しい空間なのだ。(第4章から)星野博美

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「愚か者、中国を行く」
いよいよ第5章 シルクロード

シルクロードは、現在ではむろん中華人民共和国になっているが、新疆ウイグル地区は今も国際的に問題の目を向けられているように、イスラム教徒・ウィグル人の(理論上は)自治区である。つまり中国であるとともにトルコやイスラム圏により近い西方と言うことになる。

  • ここでの旅では筆者とマイケルだけではなくイギリス人3人やドイツ人2人外が加わり、ちょっと国際的に行動の上での摩擦が生じて、そのいきさつが興味深いと言えば、まぁ面白い。

“きみはその問題を解決することができないのか。それなら、その問題の現状と歴史を調査することである。”
( 1930年5月 毛主席語録 )
『愚か者、中国を行く (星野博美)』から。

嘉山谷関(かよくかん←真ん中の字は、へんが山,つくりが谷、の漢字。

偉大な万里の頂上の西端 🔻

かよくかんというのは、今で言う税関みたいなものだ」と門番が説明する。東屋の立つ高台に登ってみる。眼下の平原を、ところどころが道路に破られながら、土塀のようなものがどこまでも走っている。それこそ万里の頂上だった。それは確かにちょっとした風景だった。これが北京を抜けて渤海湾に面した山海関まで2400キロも続くのだ。言うのは簡単だが、造るのは大変だ。『愚か者、中国を行く (星野博美)』から。

ものすごい規模の万里の頂上の端っこを目の当たりにした著者とマイケルは「広いね」「何もないな」「すごいね」「確かにすごい」と会話するのだが、奇妙なことに、感銘を受けたものの大した感動が湧いてこないことに気がついていた。🔻

 一生懸命がんばって現地の価値観に慣れようとすると、日常と異文化との差異が狭まる。そしてそのことが、無邪気な感動を妨げてしまう。

 観光して感動すると言うのは、実はとっても難しいことだったのだ。

マイケルが読んでいるドストエフスキーの『白痴』、英語だと "Idiot" を「愚か者」と勝手に翻訳違いをしていた筆者は、敦煌の「モーガオグー」遺跡には行かずにドストエフスキーを宿で読みたいと主張するマイケルと、遂には大喧嘩をする。しかし考えてみれば、英語のイディオットと言うのは「白痴」と言うよりは「愚か者」と言う方が適切ではないのだろうか。ドストエフスキーを1度も読んだことのない私にはそこはわからないが…。

 旅と言うのは、どこまで足を伸ばしたとしても、目的地には何もないのかもしれない。心の底から魂を揺さぶられるような感動や、自分の将来に何らかの啓示を与えてくれるような衝撃的な出来事などを旅に求めたら、一生旅から戻ってこられなくなるかもしれない。そんなものは、旅先にごろごろ転がっているようなものじゃないんだ。

読み進めれば読み進めるほど、この人の思考と文章表現は含蓄が深い。その点では、沢木幸太郎の紀行文とどっこいどっこいではなかろうか。東西の横綱大関位の感じだろうか(笑)

さて、本来は著作権法の観点からして、引用部分とオリジナルの部分とは、後者の方がずっと多くなければいけないのだが。引用を続ける…

中国の鉄道運行システムについて、自分の常識を基準に考えると答えはいつまでたっても見つからないので、ここは鉄道局の服務員になったつもりで考えてみた。(中略)

 つまりどうせすいているから、小さな駅では硬臥の切符ははなから売るつもりがないと言うことでは無いだろうか?(中略)

 ある意味、私は感動していた。人民にとっての状況を良くすることに対してはものすごく徹底的に合理化を拒否するくせに、服務員の仕事を簡素化して、結果としては人民に不便をかけることに対しては、ものすごく積極的に合理化を進めるのだなあと感慨深く思った。合理化の矢印が全く逆なのだ。

 つまり切符ごときに一喜一憂する方が馬鹿だということだった。手に入ろうが入るまいが、どちらも大した問題ではない。それこそがこの世界で生きる人民の持つべき心構えなのだ。

 そして「きっぷきっぷ」と、あたかも生死を左右する大問題のように切符を求めている自分が、とてつもなく小さい存在に思えた。

 理解はした。でもやはり、納得がいかない。

 切符よ、さらば! もうお前には何の期待もしない。

✳️ 第6章ウィグル バックパッカー

(トルファン) 漢字で書くと難しいことになっている。吐・魯・番と書いて「吐魯番トルファンと読むようだ。

  • ここで筆者は今までと違って宿泊所の部屋が男女別となりマイケルとの友人関係が比較的平和になったと言っている。
  • これまで彼らが止まってきたのは、男女混住の多人房(ドーミトリー)だったが、吐魯番はイスラム色が濃いせいなのかドミトリーはなく、男女別に適当にダブルやトリプルの部屋に振り分けられたのだそうだ。
  • 観光するバックパッカー複数人 (イギリス🇬🇧、ドイツ🇩🇪、フランス🇫🇷、アメリカ🇺🇸、そして日本🇯🇵) で車をチャーターしたところで小さな諍いが起きる。要点をかいつまむと、(引用続く)

 トルファンでの観光は結果的に楽しいものにはならなかった。あるべき文化財の数々が姿を消していたから。ある場所では本来そこに文化財があるべきところに白黒写真が飾られこう書かれていた。

「これはイギリスによって略奪されました」

「ドイツによって略奪されました」

 そんな記述のオンパレード。欧米列強の暴挙に腹を立てていたところ、「日本によって略奪されました」と言う文字が目に飛び込、奈落の底に突き落とされる。

ひゃあー

そこにあるべき文化遺産がそこに存在していないという事実は、想像以上に後を引いた。ここは一見すると楽園に見えるけれど、決して楽園なんかじゃない。人々の微笑みの下には、苦悩の歴史が隠されているのだ。

あああ

テーブルを囲む面々を何気なく眺めていた。イギリス人、ドイツ人、フランス人、アメリカ人、そして日本人。このメンツはかつて、眠れる獅子、中国に牙を向けた国々とほぼ同じではないか。愕然とした。

えええ

 阿片戦争をしかけ、まずは香港を奪って清朝侵略の口火を切ったイギリス。仏領インドシナから北上してきたフランス。英仏がまだ手をつけていない華北地方に触手を伸ばしたドイツ。西洋列強に遅れまじと「偽満州国」を作り、中国各地を執拗に攻撃し続けた日本。そして蒋介石を支えることで中国に対する影響力を保持しようとしたアメリカ……。

おおっ

 これらを全てはねのけ、その後には国共内戦と言う、同国人同士だからこそ容赦ない激闘を繰り広げ、想像を絶するほどの血を流して、中国は建国に至った。建国してからこれまでも、静かな時代と言うのはほとんどなかった。

なるほど、そうだ。(かなり飛ばして略して)

 自分がバックパッカーとしてシルクロードへ来た理由は明確には答えられないが、消去法でいくとすれば、少なくとも軍事目的ではなく、略奪目的でもなく、控えめに主張するならば、中国のことをもっとよく知りたいと言う、平和友好目的だった。他の人たち、多かれ少なかれそうだろう。多少偏屈なところが目立つドイツ人だって、自分なりの方法で中国を感じようとしていたのだろう。

(中略) バックパッカーとして真っ先に駆けつけたのは、かつての侵略者である西欧列強、アンド日本の若者たちなのである。

 いくら旅行者が、自分にはそんなつもりはない、といったところで、その事実に変わりは無い。

 自由旅行と帝国主義紙一重バックパッカーはさしずめ、平和的な帝国主義者なのである。

 そんなことを考え始めたら、とてもじゃないが観光も楽しめなくなった。

こんな具合で。歴史と政治をかえりみれば、のほほんと観光を楽しんでばかりいられない気分に著者はなったのだろう。それはよくわかる。

第7章 旅の終わり

人民、ただ人民のみが世界の歴史を創造する原動力である。
1945年4月24日「毛主席語録」
『愚か者、中国を行く (星野博美)』から。

🔻

ウルムチ ( 烏魯木斉 ) から広州へは4泊5日の旅、その社内でのことはほとんど記憶に残っていないそうだ。ここまでの長い旅で切符を手に入れるものすごい苦労で疲れ切ったと思う。

烏魯木斉で広州行きの硬臥列車の切符を手に入れた途端、ブレーカーが落ちたような状態になった。これでとにかく帰れる。そう思ったら、無事香港へ戻ることだけに心が占領されてしまい、これ以上の刺激や発見や出会いを求める気がなくなってしまったようだった。最後の切符を手にした時点で、事実上私たちの旅は終わってしまったのだ。

✴️ 烏魯木斉 (ウルムチ) から広州へは、途中鄭州 ( テイシュウ ) と言う駅で列車を乗り換えるのだそうだ。鄭州河南省の州都。観光名所がないせいか日本人にはなじみの薄い街。しかし、中国全土の地図を開けば鄭州が北と南、東と西の交通の要所であることがわかる。

👇下の地図で見れば確かによくわかる。

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確かにそうだ。

その乗換え駅にはものすごい数の人民がいたらしい。

「ここは駅だよね? と思わず自分に確認を入れる。彼らはただ列車を待っているんだよね? 家財道具の一切合財を持ち込んだような重装備で、駅で列車を待つ人々と言うより、住む場所を追われ、一族郎党でこれから第三国へ亡命する人々のように見える。

(中略)

この人口をどうやって国としてまとめていくのか、それは並大抵のことでは無い。ものすごく強固なカリスマ性や強大な権力、強烈なイデオロギー、人民が共有できる圧倒的な喜びや悲しみ、歴史認識がなければ、この国は統率できない。

 なんでも激烈でなければ、この国を動かすことができないのだろう。(中略)

 激烈……この言葉を胸に刻んだ。

✳️ "愚か者" が中国を香港🇭🇰からはるか西方のウルムチまで行って見て、聴いて話をして、体と心で感じて、そして体得したこと。それは、この『劇烈』という重大な感覚と感想だった。

これで本書のまとめとし、私のこの "夏の読書感想文" としたい。

【最後に】

 群衆の一部であると言う事は、周囲から知らず知らずのうちに守られていると言うことではないだろうか。

 中国の近代は過酷な歴史の連続だった。(中略)

 過酷な歴史を学習した結果、彼らの体内には、大勢で一緒にいれば生き延びられる確率が高くなると言う遺伝子が組み込まれているのではないだろうか?

 人口が多いから群れるのではない。孤立するより、最低限の安全が確保できるから蒸れるのだ。

 そしてその一部になって安心している自分が、実際そこにいた。私もまた、そんな群衆の中の一人だった。

第8章 それから

『愚か者、中国を行く』星野博美

「状況は絶えず変化しており、自分の思想を新しい状況に適応させるためには、学習をしなくてはならない。」 1957年3月12日「毛主席語録」

・8/27 借り出し、9/3 返却

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