表題については、8/6 や 8/9 の歴史問題(それは大勢においては "倫理的非難" に傾いている)、戦史上いつまでもやまない "エノラ・ゲイによる投下" の "是非" という日米間や識者の議論はずっと続く。これらはいずれも未来永劫止むことはないだろう。ちょうどアメリカ🇺🇸ニューヨークの 9.11. 大規模テロがそうであるように。
けれどここで取り上げたいのは、むしろ
日本のメンタリティについて
の考察だ。
それって実につらく堅苦しくて、討論としては(日本では特に気持ちの問題に左右されすぎて流されてしまい冷静な議論が成立しづらい精神構造だと思っており、その点において)極めて難しいこと。なので、
このひとりの勝手なblogに単につらつらと細かな理屈を書き始めることなんかしない。
代わりに。刹那的に(瞬間的にという物理的な意味で)自分が他者のを見てTwitterに反射して直感的に書いたことを、再掲しておく。
『核の問題はデリケート』だから、日本では記念日に集中してメディアなどが取り上げるが、議論することそっちの方は『喉元過ぎれば…』的な一面もまたあると思っている。
核の問題はまさに( "コア" )つまり、" 核心 " であって、また心理的に格別デリケートな問題だと理解してる。ひとつには、それは、" 命 " に直結するからだ。
だけど、それはそれとして、冷静に区分けしてここでは、むしろ違う側面『戦略と倫理(情緒・心情)』の方によりフォーカスしてみたい。
👇
💮為末大氏の戦略についてのTwitterの一連の語りがとてもいい。 👉REF : @daijapan
(一例)🔻
戦略に夢と希望とこだわりを持ち込んだら失敗する。夢と希望は自分の姿を歪ませて無謀な戦いを生むし、こだわりはやり方に固執して硬直化を有む。(為末大)
考え方が論理的で、スポーツ理論として正統的だろう。いわゆる間違った『根性論』=精神論、倫理的問題視点を排除する意味でも。
その正論かつ考え方の基軸、立脚点を私は高く評価して、また賛同する。
日本はお隣の儒教国ほどではないが、情緒に流される国で、相手の主張を人格と切り離してdebateすることを教わらずに育つ。なので、政治家は対立するだけ。他は議論すると相手が嫌いになるか、議論を避けるか、見て見ぬ振りをするか。digital、論理、戦略、利害などへの親和性に欠けている人が多いな。 https://t.co/B5AlEtzExK
— Andy S. の雑記帳 (Andy-e49er) (@Accurasal) 2020年8月7日
核(”コア”)の問題 - 雑記帳blogを書いた自分が自分の文章を読み返して思ったことは私もTLに米国時代の心情を書いているLisaさんと同じ「分からない」とても悲しい、ということ。人類は深く考えるべきに違いないとしか断言できない。とメモっとく
— Andy S. の雑記帳 (Andy-e49er) (@Accurasal) 2020年8月8日
👉 https://t.co/ylhxi13UyS https://t.co/oOqegPXYbg