ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

内外について個人の思いを綴る雑記帳です|andy-e49er | Twitter@Accurasal

“ローズビル” の青春・半導体ものづくり世代

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昨日は昼飲みで自分としては珍しい街  下北沢 へ出かけた

長く生きていると、”32年前”のあの日あの時、20代の最後だった自分が、ふと遠い昔に思える

けれども、それは昨日のことのようでもある。生きる不思議さ

人との出会いと会話って不思議だ。一瞬で昔の日々に引き戻してくれる。そしていまいい意味で心が揺れている

たった1日経って、525,600 minutes も、✖️32の毎日も、どれも大切な日々に違いなく

まだ進化、成長を続けていく

いつまでかは分からないけれど

そうして、ときおり人生を振り返ることが増えた そんな思いでblogを書き連ねる毎日を過ごして 👉 “ローズビル” の青春・半導体ものづくり世代

投稿順序があとさき逆転したけど、下北沢の昼飲みより前のこの原稿を校正し、投稿

32年ぶりってスゴイよね〜✌︎ 親子でいえば子どもが生まれ、親子二世代・その歴史

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(写真は自宅の広い庭🪴、5月には花が落ちて葉だけ)

懐かしい32年前を思い返して書いています。

✳️ カリフォルニア州サクラメントから車で走り30分ほどの近郊市ローズビル (Roseville)

そこに工業団地がありました。N社は半導体日系企業として、史上唯一無二の米国半導体工場を開きました。1985年。そのこと自体、もはや昔話となり、世間でも意外に知られていないと思います。半導体生産として当時あまり多くない "一貫生産" 可能な生産工場の "海外直接投資"。"FDI" を挙行したわけです。

時間の彼方でかなり怪しくなった記憶を辿り、思い出せなくなる前にその各工程を、知ってる範囲でもう一度なぞってみます。

  • ミラーポリッシュ(鏡面加工) を施した直径5インチ(当時の主流)のシリコンウェファー ( Si wafer ) 上に
  • 電子回路を焼き付ける生産設備のステッパー(メーカーはNikon/CANON/🇳🇱オランダASML) とか、
  • 回路焼き付けのための "フォトマスク" は凸版印刷とか、もう一社あったろうか…
  • CVD ( 化学的気相法: Chemical Vapor Deposition) 装置や、その後の エッチング、ウェファ "洗浄"などIC/LSI 生産の前行程
  • この辺でだったのかなぁ 私は詳しくは知りませんが、人体に猛毒のフッ素を使ってウェファを洗浄します。昔カイジョー(海上電気) 今は大日本スクリーンとか、なのか。だから
  • 半導体生産は純水生成装置による純度の高い(微細なゴミも全くない)高純度の水が必須。さらに各種化学薬品やガスさまざまな種類も使う一大装置産業
  • そのため建屋の後ろに処理装置・環境装置のいろんなのがたくさん配置されています。内部の生産ライン・工場設備をつなぐ配管はだからとてつもなくたくさん走る複雑さ。ある意味で完全な別世界。さらに、
  • 【Probe Card】半導体に電子回路を形成、つまり、大規模にトランジスタを集積 ( Large Scale Integrate : LSI ) しての前行程処理を施した Si (シリコン) ウェファ。これに対してそのウェファ上に作り込んだ IC 一点毎に微細ポイントの "針" ( probe ) を当てて電気的な機能性能の良し悪しを検査する。そのため 円盤型のプリント基板に複雑配線され極細な針を付けたProbe Card を使って量販検査をする、サプライチェーン
  • "ピーバイ" と呼ぶは Pellet by Wafer の略称。一枚の5" Wafer 当たりの IC良品数を検査計測して判定。このP/B 率が高い程、直行率、良品率が高い。(このProbe Card、私が親会社に参考書用をまとめて報告し手配、調達をしていました)。だから、
  • ウェファ製造ロット毎に品質データをとっておくtraceability (トレサビ) は完璧です。

続いて、

  • 個々の半導体回路チップをウェファから切断・分離するDicing工程は、当時から切り出す位置は自動計測していたんだろうな、実物の工程を見たことないけれど。工業用ダイヤモンドを使った切断加工は、Disko社製の "砥石" 機械を使います。

この辺、公開されている書籍で、より正しく詳しいことが分かると思う。興味ある方は👇

半導体業界の今がわかる!」

  • 『(60分でわかる!)パワー半導体超入門』半導体業界.com 著 定価1,430円(税込)
  • 『(図解即戦力)半導体業界の製造工程とビジネスがこれ1冊でしっかりわかる教科書』エレクトロニクス市場研究会著 / 稲葉雅巳 監修半導体業界志望者、必携の書…定価1,650円(税込)

いずれも技術評論社から

もはや一般的な工程知識は企業秘密ではないと思いますが。一般の方では通常は知り得ないプロセス技術と設備技術の掛け算。非常にデリケート。これ歩留まりに直結するところです。

  • 因みに、2023,24年頃から急速に日米などでフォーカスし始めた「経済安全保障」の貿易政策。例えば、中国製品の輸入に高関税をかけたり、米国からのテクノロジーものの輸出に制限をかけて障壁を与える際なら必要なこと。その対象品の判定チェックの方策としての「原産地判定」の「原産地基準」という概念が、実際の税関行政の上で不可欠になってくること。これが物品の関西分類である(HSコード」で定まる。今はそんなところを研究している。

現場に入る作業員は全て、"タイベックス" と呼ぶ不織布で出来た "白装束" 上下を着て、その帽子もかぶる。さらに足元までも同じ材質のカバーで覆っている。イメージとしては、あの原子力建屋での出立ちと似る。

空気1立方メートル中のゴミのレベルを表すクリーンルームの清浄度レベルの具体的数値まではもう思い出さないけど、完全に空気の清浄度からして微細なチリや埃を謝絶し、そのために完全隔離されたクリーンルームとその中での生産プロセス。外部者は普通、中まで入ってみることは出来ません。

( そこまで書いて急に映像が思い返され ).  某東北県にある某関西系メーカーのガラケー携帯に搭載するカメラモジュール。これがあるとき納期遅れを起こした。当社の製品納入する顧客は契約上でたいへんに手厳しく、納期遅れは延滞金に直結する。そう脅され、すぐに社を代表して部品の督促と製造の監督に出向いた。とにかく調達管理には瞬発力と判断力が不可欠。リアルな行動と渉外活動あるのみ、的な厳しさ。

当時カメラ機能の半導体はCCDか、いゃCMOSか。半導体チップを極小プリント基板に配線で付ける工程のところだけ不良となるゴミを嫌う。なのでクリーンルームが必要。透明な厚手のビニールに覆われ隔絶されたごく小さな畳半畳くらいの工程エリアで製造作業していた。その記憶。レンズはガラケー筐体の方に付くはずだから、こんな感じだったはず。ものづくり懐かしい

 その後、後工程(あとこうてい)としての別の製造建屋へたくさんまとめたウェファを搬送する。ウェファを入れて運ぶ "キャリア" としての箱なんかも必要だった。当時は完全な工場内自動搬送システムはまだ前後工程までは連接されておらず。ウェファを収容する樹脂製の白または透明のケースに入れ人力で建屋間の廊下を運ぶ。行く先は組み立て棟。前工程のクリーン度からは落ちるものの、ここも隔離されたクリーンルームとなります。

  • 「ダイボンディング」という工程では、Bonding Machine というDie すなわち個片の各チップをケースに乗せる装置にかけますが、そのマシンが何台も並び、自動で動く様は壮観です。
  • その後ワイヤー(極細の金線)ボンディング
  • 電子回路を電気的に外部接続する銅リードフレームというゲジゲジ形状の金属の足に金線 (Gold wire) を蒸着。ゲジゲジの接点 "足" ( Leadframe ) と微細加工自動機でつなげる。そのあとに、
  • モールド樹脂により封入。品種によっては高価なセラミックパッケージで包みます。
  • 高温設備で一定期間 Burn-in して、信頼性品質管理の工程で、ロット毎のデータをとる。

これら一連のパッケージング済みの完成品ICやLSIの製品へと仕上げる後行程まで、全てを同一工場内で対応可能。当時の256K DRAM をウェファ換算で月産25,000枚生産していました。

 その後メモリ製品は会社組織が売却・spin-offしてエルピーダメモリ社から、のちに米国のメモリ専業企業に買収されてマイクロン社へ。メモリ製品以外のマイコン(マイクロコンピュータ) やその他ロジック系製品は、ルネサステクノロジーとなり、今のルネサス・エレクトロニクスへと変遷。日本の半導体産業の歴史を一部形作る主役となっていきました。

✴️ なぜローズビルなのか。

当時シリコンバレーから車で2時間半かかるSacramento/Roseville だから、従業員は通勤でベイエリア(サンフランシスコやサンノゼのいわゆるSilicon Valley) からここまでは車で2時間はゆうにかかる。だから流石に会社を変わって転職してもこの地までは遠すぎて通えない。そのため、一度雇って関連したオペレーターなどが、スキル習得の後に、シリコンバレーの他社へとジョブホッピングする心配がいらない、今でいうリスクマネジメント的な理由を考慮して、そんな背景で、Silicon Valleyを避けたのだと聞く。

👉インターステイトハイウェイI-80で、サンフランシスコやサンノゼ地区から北東へ向かい、州都Sacramentoを通り過ぎてから次に現れるのが、ローズビル市。昔は岩ばかりの荒涼としたこのRoseville 市には実は工業団地内があり、ヒュレットパッカード (今のHPE とHP) もあることから、半導体新工場の投資とオフショア生産拠点の進出を決めた。(198x年頃)。通りの名は、Foothills Blvd. 向かいにはそのHP ( ヒューレット・パッカード )がある。

  • 85年に建設開始し、大林組と、日系設備メーカーやのちに薬品やガス類などを供給することになる化学品メーカーなど多くの企業が協力してその立ち上げを手伝ってくれた。

この半導体生産工場を拠点として、自社設備用にも買っていた米国製半導体製造装置用のスペアパーツ(保守部品) を現地の購買部門で調達をして、日本へ自前輸出する。その新事業が立ち上がった。こうすると日本の商社経由 (間接貿易) で買うよりもずっと安い。品目によってはなんと5割も安価で、コストセービングだ、となり......

      1. ....ということで、私は本社の国際資材の部署から派遣された。今でいうとグローバルサプライチェーン周りの仕事。
      2. Sacramento赴任は1987年6月。当時のお仲間と今夜、1992年から32年ぶりに会って町田で飲みました。4人一致して、「あの頃は青春だったね」の総括。(^^)
      3. この話の続き…6/29(土)下北沢で。 32年がゆうに経って、1992年の帰任以来、久々にお会いする方と昼飲みちぃ散歩の Photo journal があります。

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ありがとう、感謝です。楽しかったな。

▼人生は短く、文学は長し。われわれの生きた時代。長くもあり短くもある。長かった現役の会社時代を思い返しながら、都内さまざまな場所を訪ね歩くのもまた楽し。

その一つは下北沢▶︎“ローズビル” から32年、今を楽しむ - ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

そして以前にこの記事を書いた夜はそんな思いで…@新宿の話

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サブナード@新宿 意外に静かで落ち着いた新宿のモールをここに発見。新発見は楽しい。東京の中ってまだまだ変化、進化してるね。2002年の府中勤務時代に京王線新宿乗り換えで三田へ来ていた頃の地下街も。当時はなかった大江戸線青山一丁目から乗ってきて、地下の通りは変わらないけれど、店はずいぶん入れ替わってた。
サブナードの中の、台湾🇹🇼小籠包で夕飯を家族と食べたあと、31がいっぱいで、カフェベローチェ☕️。

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