ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

内外について個人の思いを綴る雑記帳です|andy-e49er | Twitter@Accurasal

自分の部屋に名画🖼もしゴッホ

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父の日の日曜日。今週末は梅雨入り前で、割と静かに、心も落ち着いて過ごしています。そんな朝に目にした芸術関係の文章が目に留まり。

出所 : 日本経済新聞2024年(令和6年) 6月16日(日曜日)

文化28面 記事txt全文。電子版コピー、内容が好きなので

もしもゴッホが、 

鷹野隆大
2024年6月16日 2:00 [会員限定記事]

数億円もする〝名画〟が、しかも自分の好きな作品が、自宅に飾ってあったなら……

心配で夜も眠れない、という現実的な話は別にして、そんな様子を想像して楽しんでいる方もいるのではなかろうか。少なくともわたしは若い頃からそんなことを考えてきた。

わたしの関心は、美術作品の価値とはどういうものかを確かめたい、というところにあった。美術館という特別な場所で、特別とされている作品を鑑賞しても、その真価を理解するのは難しい。もっと身近な、日常をともに過ごすなかでこそ見えてくるものではないか。要は、特別という前提を外して眺めたときに、それでも価値を見出(いだ)せるのかを確かめたかったのである。

もちろんそのためには桁外れの財力が必要で、実際には夢想するだけで満足していたのだが、先日、ひょんなことから、この夢を実現する機会を得た。

場所は国立西洋美術館。今年3月から5月にかけて開催された現代美術作家とのコラボ企画『ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?』という展覧会でのことである。

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この展覧会は欧米の古典的作品を扱う西洋美術館と、日本の現代美術作家との間の影響関係を探ろうとする企画で、出品作家は同館のコレクションのなかから自由に選んで展示して良いという。西洋美術館といえば名画の宝庫。この話を聞いたとき、即座にわたしは会場に〝部屋〟をしつらえてそこに名画を飾ることを考えた。本当の自分の部屋ではないものの、この話が来て以降しばらくは、「自分の部屋に飾る作品はどれにしようか」という妄想が止(や)まなかった。

いよいよ作品選定の日、わたしは西洋美術館に赴いた。担当学芸員の方とカタログを眺めながら検討するのかと思いきや、いきなり展示室へ。ズラリと並んだ名画を前に、「この絵いいですねえ」などと呑気(のんき)に呟(つぶや)いていると、「では、これは鷹野さんの部屋に」と学芸員さんの声。どうやらここで実地に選定するようである。

俄然(がぜん)スイッチが入ったわたしは、自分が所有するなら、という基準で館内をチェックし始めた。そして気に入った作品を見つけて「これを」と指差すと、学芸員さんが「では鷹野さんの部屋に」とメモを取る。まるで自分が大富豪になったかのようである。こんな経験は二度とできないと思いながら、最終的にゴッホクールベクラナッハなど6点を選んだ。本当はもっと欲しかったのだが、スペースの都合でこれが限度だった。

作品が決まったところで、次の問題はどんな部屋にするか、である。自分自身の部屋を再現する気はないものの、平均的賃貸住宅のようにはしたかった。そこでモダニズムを象徴するシンプルなデザインで広く普及しているIKEAの家具で揃(そろ)えることにした。ただし、モデルルーム的にはしたくなかったので、使用感を出すよう心がけた。

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こうして、書類が散乱した事務机の前にゴッホの「ばら」(1889)。寝起きのまま乱れたベッドの頭上にはクールベの「眠れる裸婦」(1858)。ぬいぐるみが放置されたソファの背後にはクラナッハの「ホロフェルネスの首を持つユディト」(1530頃)等々。およそ名画が飾られそうにない空間に作品がかけられた。

わたしは展示作業期間中、度々会場に赴き、少しずつ〝自分の部屋〟に小物を持ち込んだ。ある日、思いつきでその部屋の事務机で作業をしてみた。作業の合間、ふと手を止めて顔を上げると、そこにゴッホの絵。疲れたときには緑が目に染みる。生い茂る草のなかに点々と浮かぶ小さな薔薇(ばら)の花が緑の鮮やかさを引き立たせ、それがゴッホ特有の絵具の盛り上がりをキラキラと輝かせて見せた(ただし実際には絵具に光沢はない)。

完全な〝日常〟ではないものの、美術館にいることを忘れそうなリラックスした状況下、わずか50センチの距離でこの作品を眺めていると、まるで息でも吹きかけられるように画面の息遣いが伝わってきた。とっさに「意外にポップな絵かも」という考えが脈絡もなく浮かんだ。やはり名画にはただならぬものがあるなぁなどと思わず独り言を口走ったが、すぐさまこれを長年抱いてきた疑問の結論とするのは早計であると思い直した。

心残りだったのは、セキュリティの関係でこうした日常に近い状態での鑑賞体験を来場者に味わってもらえなかったことである。知り合いは「特別料金を取って閉館後に滞在できるようにすればいいのに」と、なかば本気で話していた。

蛇足ながら、内覧会の日に見知らぬ人が「このゴッホは本物ですか?」とたずねてきた。滞在型の鑑賞はしてもらえなかったが、常ならぬ鑑賞はしてもらえたようである。

作者 : 鷹野隆大 たかの・りゅうだい 

1963年福井県生まれ。写真家・美術作家。東京造形大学教授。2006年木村伊兵衛写真賞。22年芸術選奨文部科学大臣賞。

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