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一期一会。クラブハウス、その後

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👆元々の基本的機能の、音声のルームを選択してただ聴くだけの場合のこんな画面。当初から

振り返り。もう使わないだろう…の✍️メモ。

 #Clubhouse  2020/2 当時は招待2人限定の頃、ある友人から急に新規アカウント開設のための権利をいただき、うれしかった。すぐにアカウントを開きそこから半年間程、ハマりにハマったものだった。好奇心が強く新しもの好き、"ものずき" な自分の性格にピッタリハマった。特に当時初の、新たに出た音声ベースのSNSという新奇さ。そのことが大きかった。

 長く凝ったのは、ウクレレを弾く部屋。その他、癒し系のピアノ音楽のルーム、これは複数種類あった。人に聴かせるものから、シロウト的な?ピアニストの練習の部屋まで。あとは、癒し系に分類できるだろう、ハワイ関連の部屋など。

  • どれもルームの主催オーナー彼ら自身からして、このアプリを使うこと、配信することがみんな初めて。だからこその目新しさ、面白さ、トライアンドエラーなんかが強くあった。

私はその他、ジャーナリストが複数でハンドリングする政治ニュースと時事問題の部屋なども結構定期的に聴いていた。

 そして…。 その後、特に大きなきっかけとか深い理由もなく、いつの間にやらウクレレ部屋も聞かなくなり、その存在すらもしばらく頭から離れて。気づけばクラハに一切触らずの日々が訪れていたのだったが、そもそもがそのこと自体を長い期間忘れ去っていた。

 いま冷静に分析すれば、そこそこ何度も聴いて飽きがきた、ということか? 聞かなくなり、気付けば丸3年が経っていた。まるでコロナ禍の始まりからピーク?。そして収束へと向かうのと同化するかのように。

 で、久々思い返して開いてみた。するとなんと、驚くばかりに随分機能が強化されている。表示される画面メニューも随分と種類が増え、明らかにさの見栄えからして大きく変わっていた。 かなり進歩したことを褒めてあげよう。

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 正直、昔ながらの聴き方である①以外の、②や③の画面は全く分からず自分には使えない。SNSは日頃触れ続けていないと、機能が進化しついていけなくなる、ということを自ら実感して確認したこと。それこそが、ひとつの成果?だったかもと。

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 人は、"飽きる生き物" だと思う。

 長い趣味を持ってずっと続けている人を心底尊敬する。

テニス🎾▶︎あれだけ時間をかけ長いこと関わってきた大学と会社での6年間、通算10年相当の時間を占めていたテニスすら🎾もうやらなくなってからかなり久しい。

ロードレーサー🚴▶︎自転車も思い返せば、やはり多分10年くらいやった。そして静かに遠ざかった。理由?2020/4 入院と手術で体力的に遠かったこと。それはきっかけにはなったけれど。コロナ禍は、私が手術のため入院した日に歴史的初の緊急事態宣言日となる。この日を境に一時期の外資系のメンバーたちとも外出自粛などでごく自然に会わなく(会えなく)なった。

 さらに以前を振り返ってみれば、とても長く親交のあった貿易勉強会の若い男女とも多い他業種、多様性のあるいい仲間の人たち。それは今も尊敬する私の先生が主催された自主勉強会。勉強会後に仲間で先生と先生のご主人を囲んで、手料理を囲んで、ワインを🍷楽しみ、和気藹々楽しくパーティしていたあの頃。当時のお仲間と年に一度会って食事したり、飲みに行くという風なルーティン的なこともコロナで立ち消えた。コロナ前に既に勉強会がなくなり、コロナ禍を挟んでそもそも飲みに行くのに誘い合うということが自然となくなっていった。

  • これらはいずれも、とても楽しくて素晴らしく充実していた私の人生でのいい時期だ、うん、そうだったなと思う。
  • でもだからといって今が寂しい、つまらないということでは全くない。心は変わる。

一期一会。よかったできごとや出会いのメモリー。それら記憶は心にしっかりと刻まれていて変わらない。しかし Life is on going. また新たな明日を、同じ朝だが、違った日々を刻一刻と迎えていく。そういうことでいい。

この話、次の投稿へと続ける。👉 無理をしないでいいのだ…和田秀樹氏 - Andyの雑記帳blog (andy-e49er) ⁦‪@Accurasal‬⁩

👉好きならば続く。特にそうでなければ自然と沙汰止みになる。それはちょうど良く、人生はすべからくこの連続だ。そういうこと。