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転職前提の『働き方』

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↑7月の強烈な太陽、これでも夕方

今週まだ梅雨明けしていないが、強烈な太陽、高温多湿が厳しく、体に負担がかかりました。

@shu_yamaguchi 山口周氏の発信から引用 : 

作業と仕事を混同しない。暇そうに見られのが嫌だからといって作業に逃げない。日本の労働時間の長さが問題になってますけど、これも「作業への逃避」が原因だと思ってます。(2023/7/8 出所 : Twitter)

日本の会社ってまだこんなか⁉️  私の驚き。

『暇そうに見られのが嫌だからといって作業に逃げない。』▶︎それをより正確にいえば、

  • (周囲や上司から、あるいは隣の部署から) 暇そうに見られのが嫌だから、何かやらなくてもいい"作業" を手にして、忙しそうに見せる、何か余計な作業をすること、これつまり=本質的な仕事から逃げている。

◉ 実際そのような一面がないこともない。

自分の経験(もはや旧聞に属するけれど) だと、しかしこれは社歴浅いとか若い年齢層の方々、事務職の人の対処法とか便宜的な会社内での過ごし方…時間の使い方。確かにそういうふうなこともあったように思うし、全くなかったとは思わない。自分自身もあったからそこよく分かる。

だが違う。何か責任のある立場についたならばこんなことはない。そのことも事実。

  • やらなければならないことは何か?考える
  • まだ着手してないことがあるだろう。そうして自らやるべき「仕事」を探し手がけるのが管理職(主任、係長、課長辺りのクラス)の平均的な勤勉さ(だった)と思う
  • そうだったと思い出すし、確信する

少なくとも自分の現役時代は自分を含めた周囲も皆そうだった。日本の大手企業では。。

このような「作業への逃避」を行なってしまう担当の行動・プラクティスの背後にあるもの。いったい何か?推測と仮説になるが

それは、

  • 暇 (ヒマ) そうにしているのが嫌だ
  • 実際に暇なのは嫌だ、面白くない←真面目
  • 仕事がないと周囲から見られてしまう
  • この仕事のポジションが無くならないか
  • もしかして自分の力量を疑われないか

という人として普遍的な心理だ、と思う。

時間を持て余す時、人は直感的に自分のそのときの意義や意味を問いかけるものだ。それで何か危ない❗️とわかる。そう、リスク意識があるのだ。平均的な勤勉さを有する日本人従業員なら大概そう感じて行動を自ら制御している。そう思っている。だがしかし彼らに責任はない。

✴️ このような勤務の無駄が起きる責任はマネジメントの側にある。業務の割り振り、リソース配分や目標管理の問題がある。あるいは実際に人員の配置が偏っている。なのにそれを黙認したり自分では変えられずに上にも進言せず放置しているからだ。よくあるパターン。

行き着くところ、上位上司、管理職という経営組織総体で社の慣れ親しんだ振る舞い方や仕事の差配。『稚拙』、不足、なのだ。指摘する者がいない。それはもの言えば唇寒し。あるいは会社総体で、昔経験した高度経済成長時代、誰もが同じように働きづくめで、みんなが平等に忙しかった。そんな遠い昔から引きずってきた悪しき習わし。美しかった働く日本人の、その頃の感覚を引き継ぐ職場全体のDNAがなせる技なのかもしれない。

 定時で帰ればいい。暇なら時間休暇扱いでも、いゃそうでなくても帰ればいい。必要ない作業なんか止める。マネジメントはメリハリをつけよ。比較してみよう、実体験から吐露する

✳️ 私が長年勤め上げた日本企業を辞めて、その後、時期を置いてある外資系企業に転職した時、強く感じたこと。会社、企業による違いはあるだろうがどうだろう。これが典型的か?

  • 放任主義である(先)、成果主義(後)
  • ゴールや目標ややるべきことだけ指示
  • そもそもJob description で採用されてる
  • あとはほとんどと言っていいくらい何も干渉されない、仕事のやり方も本人任せ
  • 逆にいえばほったらかして指示もこない
  • 勤務時間内、自分の裁量で、職場を離れてスタバに行く的な行動が可能(実際そうだった)

※ 日本企業が長い私には。このプラクティス、罪悪感たっぷりなのだが…よく親しい同僚(彼は転職に長けていて成績も抜群の営業)に誘われコーヒーブレイクに同行していたなぁ。

  • 働く場所に全く囚われていない
  • 時間管理、場所管理は自分で行う、その結果が出るも出ないも全て本人責任
  • パソコンだけでなくスマホでメール・チャットは飛び交い職場にいなくともミッションは降って来る。業務の波あるのが当然
  • 休祭日も必要なら仕事している
  • 月〜金、9時から5時にガリガリガリ勉的なやり方は(たぶん)馬鹿にされる

要点をまとめよう。

▶︎なんでもスマートにこなす専門・プロならではの "時間の使い方" と、結果重視の経営。

▶︎その代わり成績の悪いセールスや業務必要性の課題が終わった間接業務はポジション・クローズされる。▶︎そして、

お金による解決💰▶︎転職、というサイクル。

✴️ 人は転職することで大きく成長し、さまざまな経験も獲得して栄養とし、人間として一回りむけて行く。

 

山口周氏のツィートから想像が膨らんだから、こうしてたまたま書き溜めてあった下の話に繋がった。(笑)

【転職・転社、普通のこと】
以下、ヒマ人のざわめく(ざわつく) 独り言。
(いつもの長いSNS、すみません。)

最近、暇つぶし空き時間にみるLinkedinです。

▶︎ Linkedinを見ていると昔の取引先関係者とか職場で一緒だった人、知人の “その後の去就” が分かってたいへん興味深い。

以下、並べてみます。

・某欧米資本投下の世界企業(A社)での短い15ヶ月間で上司はざっくり3回ほど変わった。その最後の方の、ニュージーランド人・会計士資格のマネジャー Ms.M.S. は私より後にやはり転職し、今回更に2回目の転職で別企業に行くらしい。日本で一度だけ私の先行きの面接をしただけの人。たぶん1時間くらいしか話してない。

・最後、辞める前に日本オフィスで、便宜上私をみることになった日本人の一番まともな? I氏は、その後、あのMicrosoftに移ったらしい。この人はエリートになるだろう。

・A社(そのGlobal Tradeシステム事業部門のみ)で2017/8〜2018/末 に勤務した。私が採用になる前からそこにいた人+後に途中入社してきた人たちでざっくり数えられる限り、軽くふた桁を超える。皆、辞めて転職。残っているうちの名前まで知る人はたったひとりだ。

  • 特にセールスは全部入れ替わっている。改めて外資系はスゴい。そう感じた。カネによる解決が定着している。

・同じく上司のふたりが、B投資会社によるA社買収のとき分離分割された別の社に転じた。今その親会社は超有名な英国系資本傘下に変わっている。M&Aは当然で普通

・当時仕事で知り合ったカナダ🇨🇦企業の社長。尊敬している専門家でプロフェッショナルな彼も、あるあるだと思える通り、自分の会社を身売りした。その買収側会社の高級幹部へと立場が変わって今に至る。先日Linkedinでプロ質問が来たのですぐに返答しておいて、有り難がられた。こう言うところは日本以外はオープンネットワークだし、そっちが普通だ。

・会社勤務時代にベンチャー投資・協業したフランス🇫🇷企業社長は新しく会社を起業して今はそちらの会社CEOだ。数ヶ月前に日本出張前に連絡をもらった。東京で会い藁焼き鰹を食べてビジネス交流した。こういうのがうれしい。

カリフォルニア州半導体一貫生産工場は、事業撤退・売却されたから。当時の知り合いはとっくの昔に、みんな違う会社にいる。

・ちなみに半導体事業部門は本体組織がその事業から全面撤退して別会社になったから、当時の同僚や後輩は全て別企業、別メーカーにいる。日本資本、米国資本、オランダ資本、台湾資本、中国資本。

・米国東海岸事務所は私の次の代で閉鎖。当時のアメリカ人同僚たちは全員違うキャリアを得た。逆にこれが向こうの社会では普通。

・ボストン時代の大所取引先SVPとかVPなど "重役" は全員が当時と違う会社にいるし、幾人かはLinkedinでトレースできている。

・米国一流企業のジャパン社長だったM氏は今はNPO的な第三セクター日本社長。

・業務提携していた数社欧米取引先・パートナー企業の社長や上級幹部は当然全て入れ替わっている。

そんなことで、私が大卒入社で最初に勤務した日本の会社の人以外は、全てみなフツーにキャリア開発、つまり転職をしている。そして強調しておくのは、実際こんなことは書くまでもないことなのだ。ブログで読んだこともない内容だと思う。海外では何も取り上げる話ではない日常茶飯事だから。

そんなこんなで、背景として横たわる人の流動性日本特有か?と言えそうな働き方、これまでの多くの社の経営手法、日本型マネジメントの総合的な"エコシステム"により、日本は構成され続けていること。そこから今の日本の産業社会と経済の停滞度合いは測れるのかなと思ったりのある日。

以上の通り考えると、今後は1社だけで一生を過ごす人は減っていくのでは?副業も増える。

同じ会社にずっといる人間の方が稀だと言う感覚は普通になっていくだろう。そっちの方がグローバル標準だ、ということに気づくだろう。

こんな風に本当のことを言うと嫌われるのが建前論に縛られた狭いニッポンの社会慣習かなと思いつつ、この際ストレートに書いてみた。

次の世代の若い人への参考か刺激、あるいは他山の石にでもなれたら、路傍の足として取るに足らない私ごときでもうれしい。

この長い駄文を最後までお読みいただき、どうもありがとうございます。