Andyの雑記帳blog (andy-e49er) ⁦‪@Accurasal‬⁩

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外資で働いた16ヶ月

(書き下ろし)

写真は2018年8月の頃。ちょうど今日の日付 8/16。TBSの隣にある、赤坂ビズタワーの30階フロアにいました。スタートアップのIT外資海外でデザインされたERP製品の日本語製品化と客先試験導入の苦労(の一部)を味わった、あの3年前。
コロナ禍の今、facebookの写真投稿で振り返ったのを潮に、少し思い出話に浸ってみたい。そう思い、書いています。

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 某メーカー向け;自由貿易協定("FTA")(国際取引の関税・税務処理の判定~記録保持~監査対応)プロセスのERP製品。その、初の日本語製品の試作開発・導入プロジェクト。
ERPコンソール画面でFTA用語の日本語化や、日本語ユーザーマニュアルの作成(スクラッチで Zeroベースから)などを担務。画面表示のプロセス判定前後の挙動など、技術面の仕様もある程度は知らないと、マニュアルを正確には作れません。そこはずいぶんと苦心惨憺しましたが、今となってはたいそういい思い出になっています(苦笑…)

 よき思い出は、やはり K女史👩。(超やり手の女性。翻訳の “派遣さん” だが、FTA初心者なので随分とQ&Aで対話しました。今思えばあの方は相当な頭脳の持ち主でしたね。実は彼女、もと有名金融外資にいた人でした。そこでは社長直下でM&Aを手がけたやり手マネジャー。勤務は佳境時に徹夜の連続。他県のご自宅まで毎晩TAXIで帰っていた、人事マネジャーから頼むからホテル住まいに変えてと言われたのを蹴った、と豪語する、まぁ凄腕の女傑である)だから、あのプロジェクトでは「影の実力者」でした。

 

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 この人と2人コンビで、毎日が楽しく仕事してましたっけ。会話にはレベルがあるわけですが今思えば、会話が楽しかった。そして数回二人での昼メシ時に、サシで、誰も教えてくれない外資でのお作法』とか教えてもらったり…。こっちがずっと歳上なのに、アネゴみたいな人だった。実に為になった。何より、働く勇気をもらった。自分がアメリカ時代の事務所で多々経験してきた経営や管理のノウハウなんかより、何より自分の処遇対応のために、実に有益でした。^o^


 某エレクトロニクスメーカー時代は、(実はFTAとは何の関係もなくて)長く管理畑(オペレーション系スタッフ)とその海外取引交渉・折衝、いわゆるアライアンス、とマネジメント系が専門でしたが、この外資会社の職場では真逆。年齢も関係なしのIT最前線。製品の使い方では、ビシビシお客から容赦なく叱られる。外資本の大手有名企業とは言え、所詮日本国内ではごく小規模な会社です。その製品ソリューション事業のお試し型の最前線タスク。製品担当チームの一角にいたのだが…。実にキツかった。

所属は製品インプリチーム。(貿易専門家として入社したのですが、そういうポジションはなくて、タイトル的には Lead Consultant )アジア人の英国MBAホルダー上司や豪州・NZ人の上層部(つい最近、彼はMITのマスター出と分かって驚き)とハイレベル情報のやり取りをした。実は彼の英語は私はとんど聞き取れてなかったというオチも。
毎日の自分のタスクは割と自由裁量が高い働き方で、そこも充実していた。だから顧客対応が超ツラいけど、楽しかった。

番外編:日本語のマーケティング記事も、会社blogに書かせてもらった。実にいい勉強になった。今の貿易系の仕事にも生きている。

 昼飯は職場の仲間と出かけたり、一人だったりと毎回違った。(途中入社ながら)”同期” とは連れ立って休憩時間によく珈琲を飲みに行った。

      • 赤坂は店がバラエティー豊か。メシの種類と店舗が数え切れぬほど多くあるエリア。いくらでも行先はあるけれど、16カ月で行ったのはおそらく30くらいだろうか。中には自分が好みで常連化した飯屋もあった。今頃、コロナ禍でどうしているだろうか。

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誰かと連れだったり、独りでだったり。変化の毎日。そこそこ高くて美味いものも、まぁ結構いただいてたしなァ…。英語だけの昼(横メシ)も多かったし、海外からのスタッフ(営業系だけではなくプロジェクトタスクの助っ人とか)もよく行き来しているから、毎回パーティーのように賑やかな仕事場だった。変化が多くて、毎日ぜんぜん飽きなかった。 

 

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有能な女性たちが周りに何人もいたあの雰囲気、大好きだ。全員バリバリのキャリアウーマンだし、MBAホルダーも多いし、とても刺激になった。気の合う女性の友達がいてくれてありがとう。

 

「生え抜き」とか言う類がゼロという会社の「社会」と「文化」を味わった。そこではその瞬間、「今」の仕事の力や話だけがリアルに Workする世界。そんな世界観は挑戦にあふれて刺激的だ。  

 ずっと日本の伝統的な企業に在籍していたために、(こういう平凡で実に月並みな言い方になってしまうが、)外資にいる人たちは、大学/大学院を海外で出てる人もたくさんいるし、基本は当然ながら外から転職してきた人ばかり。だから実に個性豊か、話も面白い、能力が高い。ほぼ全員が当たり前のように英語の会話もペラペラと凄いし(TOEIC900でもついていけないレベル)、仕事の会話より日常のチャットがNativeなので、そこは(聴き取れないことも多かったけど雰囲気で誤魔化して:笑)
本当に日々刺激をもらった。今もずっと当時に感謝している。

(……実は、途中、私もちょっとメンタル危なくなりかけた…。なんとか、それまでの長い別会社での社会人経験と「年の功」とかで騙し騙し、乗り切った)

自身 長〜いcareer の中でも、これはラッキーな方の時期だと思う。今も、いくつかの場面を懐かしく思い返せる。当然ながら、「一期一会だった」けれど、本当にありがたくて、とても充実の時期だったな、と思う。

ここ、外資系企業に2度目の転職で出会えた、その重要な布石は、この時に至るまでにいくつか存在していました。その話、いずれ書きたいと思います。


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続けて、たまたま今日 LinkedInで興味深い紹介動画を見つけたので、触れておく。

● ちなみにこの動画でも公開されているので、書いてしまうと、2018年2月に 米国の Solution製品で、世界に700社のFTAに関する国際取引税務のERP製品ユーザーを有する、"Integration Point" 社を買収。私が退社したのは正式にはまさに2018年1月末であり、私が体感してきた元々のFTA製品から、シフトした ということになる。

● 扱い製品それ自体を入れ替える(しかも自社設計ではなく買収した全く別の企業の系列へChangeする)ということは、ユーザー対応から、設計開発陣、製品をソリューション営業するセールス・マーケティング、全てが変わるということ。変わらないのは、製品のニーズの根幹にある世界のFTA(日本では「EPA経済連携協定)のルールだけである。会社は事業を大幅に入れ替え、それに伴い人材も流動化する。

K女史と私が話し合っていたことはまさにこういうタイミングのことであったわけで、この点、私は会社を変わった(ここでは、=退社した)ことについて、全く後悔も何もないのである。

在籍していた(世界で有名なこの)会社の、日本国内のMarketingプレゼンスで変わった(進化した)ことが宣伝動画で理解できた。当時インプリや製品機能のプロダクト管理で足りなかったところとかを補っているのであれば今現在、貿易ソリューション(国際取引、税務、法務)でコンサルを必要とする企業に個人的に紹介をしてもよいかなぁ…という気も。さらに進化変化していると思える。


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おまけ👇