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『メビウスの帯』と『三葉結び目』

最近借りて読んだ科学と論理の一冊について。

出所 : SYNC (by Steven Strogatz) 邦題 : 『 なぜ自然はシンクロしたがるのか 』訳・長尾力、監修・蔵本由紀から。

  • 後付け体験の一冊の科学論理本の理解が過去の自分の実体験と結び付く。理解する過程で二者がつながる。
  • 記憶dataの中で2次元平面の文章が一連のリアルな過去として認識しなおされて新たに理解された。

過去記憶が再び呼び覚まされた今回の自分の読書体験。それこそが #SYNC であり、この整理作業は私にユニークで不思議な体験を与えてくれた。そんな風に総括しておこうと思う。

(SYNC訳本から引用)  例えば、紙リボンを2分の1回捻って輪を作ったとしよう。「出来上がった表面には、片面しかないのか、両面ともあるのか?」(中略)

✴️ どこからでもよいのだが、この輪を指でたどっていくと、最後には出発点の裏面に戻ってしまう(「裏に戻る」と言うのは誤りかもしれない。なぜなら、表と裏は同じなのだから、「裏」など存在しないのだ)。その意味で、メビウスの帯には片面しかないのだ。

✳️

▶︎ メビウスの帯の一面と思われる “表面” を辿っていくと反転してねじれた “裏側” に進むが結局この輪には #表と裏 2面は存在しない。
▶︎ねじれた向こう側に物体がいるときこちら側からその姿は見えない。

  • UFOとか異次元などと言う概念はこの原理の延長としての理屈で説明できる不可思議現象として捉えられるのではないか?

✴️ 一方、こちらの図。表面がそのままつながり一周して出発点に戻る。いゃそもそもぐるりとつながっているから出発点は存在しない。企業のブランドロゴや、マークにでもありそうなものだ。

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出所 : SYNC (by Steven Strogatz) から引用
『謎だったのは、三葉結び目状のスクロール輪とははたして、数学および化学上理屈のとおる存在なのかという点である。』
出所 : 『三葉結び目』SYNC (by Steven Strogatz)

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✳️ (読書感想文)とにかく難解な本だ。始めから終わりまで順に読む気にはなれず拾い読みを続けた。さまざまな実験や思考ケースが次々に記述される。ところが書きぶりが自伝的記述にもなっている。だから全体が物語形式で、登場人物とかその修飾なども混在した長い文章の羅列がだらだらと続いていく。

 各章はその実験テーマのときの登場人物まで描写されている。実験の様子に加え、論理的考え方の整理までが並べられている。結果的に複雑となってしまい読みづらい。これでは残念ながら実験結果の主張説明もぼやけてしまう。1番大事な『なぜ自然はシンクロしたがるのか』研究内容の全体像が結局分からず。部分的な理解に留まることになった。

  • 構成や編集の問題はどうだろうとも思ったけれど、土台、著作権(翻訳権)の壁があり構成や順序なども含めて翻訳者は、勝手にはいじれないのであろう。
  • 監修者は訳し方だけを、用語適用を含めてアドバイスしたのであろうか。

おそらく翻訳者の方には大変な複雑さや苦労があったのではないではないだろうか?

 デジャブー。なんだか見覚えがありそうだ。

 私が手がけたこと。2018年。海外で過去に開発され、プログラミングされたグローバル取引を行う企業向け貿易ERPシステム。そのユーザーマニュアルの日本語環境での新たな制作。個々の画面に登場する英語による貿易専門用語どもを、日本語マニュアルとして日本語の意味付けを確認しながら、誰も手がけていないゼロから記述し、作り上げて行くといういわゆる日本語化、日本向けシステムマニュアル、ユーザーマニュアルの制作の日々。その実作業にも似ている。そんなことを思い出した。

 なぜなら翻訳する人が相方にいて、用語の専門的な意味を解き明かし、平易に説明を加える私(監修者)とのペアで、四苦八苦しながらその処理画面を整理していったからだ。そのときの感覚が今さらながら私に甦ってきた。記憶と読書感想との切れ目のない不思議なつながり。

もやもやとした当時の思いが、匂いが思い返された。

✴️ 「三葉結び目」。このどこまで進んでも同じ表の面しか見えない "姿かたち" というものは、まるで株価が乱高下もせず、ほとんど変化しない企業の株価や企業価値のようでもある。株価は上がった方が良いのは言わずもがなだが、下がらずに一定をキープしても、利益を出して株主に配当をしてくれれば私はまた意味があると思う。

 また他人が造ったものをどんと渡され、詳しく知る人からの何らの解説もなしに、急になんとか、誰でもがわかるように説明、記述をしてみろ、形にしろ、そんな要求事項と同じ混沌さ、複雑系の製品開発?にも思えてきた。

一冊のこの読書感想文を完成させブログに投稿するに際して不思議なことに、そんな類似性が頭に浮かんできて、この文章を書き揃えることにもなった。試行錯誤。

▶︎ 心に余裕があって、その人間関係をごく普通に大切だ、重要だと思っていれば、つまり相手へのリスペクトを持っているだけで、人間関係は円滑になる。普通は自然と「○○がいいですね」など相手のいいところをちょっと軽くうらやむ自然なセリフなども出る。私はそうだ。

褒める、誉めるまでもなく、「あっそれいいなぁ」的な軽いノリでよい。ポジティブな相手へのリスペクトは、巡り巡ってきっと自分に返ってくる。もしかしたら倍になって?少なくても同じレベルで戻ってくる。そんな気がする。まるで三葉結び目みたいだ。

 『後付け』で体験したある一冊の科学的論理的志向の読書が、過去の実体験と結び付き、つながった一連のものごととして認識しなおされる。新たに理解されて記憶に定着する。読書は実に面白い。