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東京の副知事になってみたら(2010/6/6)

『東京の副知事になってみたら』‐ 猪瀬直樹 超おススメ。
◇引用(P.187)まず必要なことは歴史認識で、自分の位置を、この国の居場所をつかむことである。そうすれば何を自分がしたらよいのか、わかる。結局、みな政治家の悪口を言って溜飲を下げているのだ。あれがダメ、これがダメと。そうではないと僕は思う。僕は作家として、作家だからできることを考えた。直感の力、記録し伝える力、という武器を駆使した。ビジネスマンなら、エンジニアなら、公務員なら、中小企業の経営者なら、スポーツマンなら、男でなく女だから、それぞれができることを提案し、提案するだけでなく実行すればよい。意見を言うなら、言ったぶんをやってみよう。事実にもとづいてやろう。形容詞で語ることは避けよう。(終章・成熟国家ニッポンの未来、から引用)
◇引用(P.36)他者との対話が出来なければ、外国でのビジネスも、いや外交すらできない。試されているのは英語力ではなく日本語力なのだ。活字離れ対策とは、読書力、対話力、言語力、そして歴史認識、その全体をいかに再構築するかということ。(途中略)
・元外交官の北川達夫さんの話:フィンランドの小学校での「論理的」問いかけ
・つくば言語技術研究所長の三森ゆりかさんのドイツの言語技術研究・実践の話
(途中略)わかり合えない状態から自分と相手との間に理解を形成していくコミュニケーションが「対話」なのである。
PISAテスト: 労働市場グローバル化して、ある種、国際的な人材の基準を見出していく必要に迫られてきた。国際的な人材の基準のなかに言語に関わる能力があり、英語だろうが、日本語だろうがフィンランド語だろうが同じ能力をはかっていく。言葉の違いを超えた言語力をはかっていく。そういう観点のテストで日本の国語のテストとは大きく違う。
 グローバル化した社会では、価値観の共有が期待できないと認め、それを前提としてなおかつコミュニケーションを続ける能力、技術が求められるのだ。
(途中略)三森さんは考えた。日本側に不利に展開していくのは外国語での交渉というハンデイのせいではなさそうだ。日本側に交渉の組み立てや展開をどうすればよいかという論理が欠如しているせいだ。考え込んでしまった。(第2章・石原慎太郎と言語技術、から抜粋・引用)
◆私の感想:『東京の副知事』になってみた猪瀬直樹氏が主体的に遭遇する、地方行政という都政、首都トーキョーの位置づけでの国政との関わりの中で、一種の(国の官僚という)異文化との出会いとそのギャップを埋めていくための論理的な考え方と実践的な行動を綴ったノンフィクション手法のものがたり。
 行動様式と思考がグローバルであるべき、ということを考える上で、「論理的」であること、が語られていて大変に興味深く読んだ。
 フィンランドの小学校での教師と生徒の対話のやりとり、ドイツの少女と母親の何気ない会話という2つのエピソードに、幼少の頃から「論理性」をしっかりと教育する欧米の実態が淡々と描かれる。非常に分りやすく強い説得力を持っている。
Sent: ━━Thursday, September 23&24,2010━━
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