出典 : Reuters 6/22/2022. ”Median price” とは市場での「中央値」です。
Reutersから。販売価格(中間値)は前年同月比14.8%上昇の40万7600ドルと初めて40万ドルの大台に乗り、過去最高に跳ね上がった。住宅ローン金利がさらに上昇したことで初めて購入しようとする人を市場から遠ざけた。
— Andy S. の雑記帳 (andy-e49er) (@Accurasal) 2022年6月21日
✳️米国景気指標の一つで必ず取り上げられる。 https://t.co/nSGUswE3Wj
[ 1 ] 今も記憶していることをお話ししましょう。サクラメント (Sacramento, CA.) は、Drywood Way 7022番地 ( Orangevare市 ) の借家。そこは、3-BedRoom, 2-CarGarage, 1.5 Bath 2Toilet という西海岸で当時1980年代後半としては、ごく平均的な庶民向け一戸建て。表と裏にざっと20~30坪の緑の敷き詰められた庭があります。
そこは当時LAの持ち家を売って、余生を静かに安い土地(しかも当時としては白人の居住が多い)サクラメントで過ごそうと引っ越して来た、老夫婦マクリさんご夫妻が大家さん。
聞けば、彼らはLAの持ち家一軒を売ったら、サクラメントでは家2軒が買えたとのこと。たぶんその購入・移転時期は、1980年前半かそれよりも前だったかもしれません。
新築で購入か、中古住宅に投資したのかは聞きませんでした。私はまだ若く自分では持ち家もない時代。そんなこと(住宅投資)まで全く気が回っていませんでした。
その家を借りていました。バックヤードが広くて芝生が美しい Detouched house (一軒家)でした。家賃は確か、900ドルだったろうか。今は昔。
えっ!Boston地域(イメージ的には首都圏より小さい)で家を持つには年収$181K 必要って、かなり高額。 https://t.co/eQSXtDTFyW
— Andy S. の雑記帳 (andy-e49er) (@Accurasal) 2022年6月22日
それまで(サクラメントで最初に)住んでいた American River Drive という通りの両側・高級住宅街の一角に入り口があります。南北に縦断する Watt Ave. を越すと、アヴェニューに面した広大な土地に立つ Apartment House群は、"Selby Ranch" といい、昔は馬場だったような場所でした。American River (48年者で有名なカリフォルニア州ソノマのGold Rush はこの川の Sierra Nevada 山脈方面へ向かった上流にあり)沿いに横に幅広の土地でした。隣にはまた別のゲートコミュニティがありました。
※ Selby Ranch Apartment Home の Room Plan |
Floor Plans of Selby Ranch Apartment Homes in Sacramento, CA
(上記のWebsiteから一部を抜粋:1848年1月24日カリフォルニアのコロマを流れるアメリカン川のサウスフォーク(サクラメントから36マイル北東)のサッターズミルで、ジェームズ・マーシャルが金を発見しました。)
[ 2 ] 当時の職場 (メモリ半導体米国現地一貫生産の工場) が立地していたのはサクラメント (Sacramento, CA.) の隣町にあたる ローズビル市 (Roseville, CA.) でした。オレンジベールの借家からは、Watt Ave. を真っ直ぐ北上して、I-80 に乗り入れ、真西に走ります。美しいシェラネバダ山脈を遠くに望みながらやや長めの下りをずっと直進して行きます。三車線のこの道が大好きでした。そして車で15分ほどで、ローズビル市です。元のダウンタウンを過ぎて北西に進めば、別の一角というか荒野に出ました。
日本には全くありえない景色。だだっ広い平地の "岩の荒野" の中に突然大型の一戸建て・建売住宅地が多く開発、建築され始めていた。驚いたことを鮮明に覚えています。
その時、彼の地ではたぶん大きな住宅建築ラッシュだったのでしょうね。車で西海岸の有名な大都市へは、 I-80 州間高速道路 (Freeway) で 片道 2.5時間くらいかかる。
だから、さすがにそこに家を買って移り住めば、クルマ通勤で職の多いSilicon Valley のある Bay Area:San Francisco と San Jose 界隈へ職を求めて転職する人はいない;
それがこの土地の強みでした。私の海外出向先の半導体工場は、だからこの Roseville 市の Foothills Blvd. に面した一大工業地帯 (当時はHPの大工場がありました、向かいに) に土地を買い、新規建設してオペレーションを開始したのでした(裏話…)。▼記事リンクあり:
NEC Roseville plant stays open in wake of merger
Renesas will shift production to 8-inch chip line
https://www.bizjournals.com/sacramento/stories/2010/03/22/story6.html
ベッドルームが5つに、バスルームは3つあるような、100坪をゆうに超える工場長K氏のお宅は新築で確か35万ドル💲と聞きました。
そこで我々一家3人のための帰任 Farewell Party を開いていただいたのは、1992年の3月だったかと思います。(この話、いずれ続く)
そしてローズビル工場は日本勢として初の米国現地一貫生産 (ウェファFabの前行程+検査組立、packagingの後行程) でした。今なら経済安全保障真っ只中で存在意義が高いかもしれません。私の若い頃のパート2は、半導体事業ど真ん中でした。オペレーションの中央で仕事ができて幸せでした。そこと『半導体』つながりで関係するのが、たまたま昨夜 TVで再放送されていたこれです👇
BSNHK 1985年 NHK特集「光通信に賭けた男」独創の科学者・西澤潤一、放映を見ている。米国GE社より早く光通信の出口に当たる光信号を電気信号に変換するpinダイオード特許を出願した西沢教授に対し日本産業界や当時の電電公社がいかにひどい仕打ちをしたか、聞いていてとても腹立たしい。
— Andy S. の雑記帳 (andy-e49er) (@Accurasal) 2022年6月21日
世界の半導体の父なのに、日本の産業界はこんなに世界の感覚から遅れ、取り残されていたのかと、愕然とする以上に腹が立つ。途中IBMでノーベル賞を取った江崎玲於奈博士も出てくる、maverick(異端者)でないと云々のコメントは貴重だ。独創性を潰して来た日本のダメ産業界の「昔」をいま反芻している。
— Andy S. の雑記帳 (andy-e49er) (@Accurasal) 2022年6月21日
話がアメリカの住宅と経済から、町の話に移り、半導体づくりへと拡散しました ♪ 当時の鮮明な記憶や、熱い想いが筆を滑らせます。
この辺のエピソードは、また書くこともあろうかと思いながら、今回はここで止めましょう。