ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

ときおり人生の思いを綴る雑記帳|andy-e49er | ID-Zerv 2b trusted @Accurasal

 西海岸の記憶

 2軒、都合3年3ヶ月を暮らしたあと、業務都合により「西海岸事務所」に移ることになった。所属・タイトル・業務は変わらないがRelocation(転勤)だ。シリコンバレー当時の企業マップ(San Jose大学版を引用させていただき)掲載します▼

 この間、東の事務所を小規模なものに変えたので元いたWakefield(Route-128沿線)の Edgewater Business Park から、郊外のRoute498近く、2号線で真西へ行った別事務所へ移転することになった。このRelocationを自分がPlanning。新事務所のSub Lease契約を行い、引越し計画をアメリカ人マネジャーに指示して任せ、移転を果たし、自分は2ヶ月だけその引越し先のSharingするビルの1階フロアにいた。リロケ当時、アメリカ人スタッフらへ自分が西へ転勤して後任がいないことは伏せてた。程なくしてそのときがきた。2000年7月4日アメリカ独立記念日にシリコンバレーに転居。車は生活必需品のため1台ずつ順番に時差で取りに来てくれ、最後に2台目の車とともに家財全てを大型の引越しトラックに詰める。そのあとDepotで車2台とともに大型引越しトレーラーの大陸横断Long Body車に全て積み替えられ、トレーラーは東西大横断した(実際には見ていないが)。 
 一方、本人ら家族4人は旅支度。カナダのケベックへ思い出作りに遊びに行き2泊。一度ボストンへ戻って DowntownのMarriott ホテルに一泊。ここは出張者をよく泊めたので送り迎えなどで頻繁に車で来た馴染みの場所。ホテル玄関や駐車場など全体の施設(Amenity)は一流で素晴らしい。比べて部屋が古いことは意外でやや期待はずれだったが。まぁレストラン・ショッピングに至近で便利なのだ。
ボストン最後の夜を家族で満喫した。(以来、西海岸勤務時に一度だけ家族でボストンへ行ったっきり、Privateでも出張でも一度もボストンの地を踏めていない)
Regal Seafoodへ行って私はお気に入りのBluefishのグリルを食べたなぁ。そしてそのとき初めて、自分の車以外でLogan Airportへ移動。
チャールズリバー沿いの狭くくねくねの2車線道をRaceのように右へ左へと運転してローガン空港へ出張に出た日々がことのほか懐かしい。3年半弱の間に仕事でNY、西海岸、その他の場所へ行くとき必ずこの道を走った。MGH(マサチューセッツジェネラルホスピタル)横を通り、ダウンタウンボストンをかすめてトンネルで海の下をくぐりローガン空港へ行ったものだ。春夏秋冬、幾度となく。運転には自信があり、我がえんじ色のカムリは無事故でどこへでもよく走った。(違反はHighwayでSpeed違反一回:自動車保険が上がった)
 いや今回は話が長〜い。話を戻そう。
 2000年の夏。Sunnyvaleの一戸建て(at Durshire Way) に引っ越し。(こんどの大家は近所に住む中国系アメリカ人山本リンダ」似のひと。旦那さんはルーターで当時世界一シェアのCisco社技術系VP)。この家に決める前、近所の別の貸家で大家が離れたStanfordに勤めているという人などもいたが、我々は「大家重視」戦略で判断決定し、結局それは正しかった。ごく近所に大家が住んでいる方がトラブル時には何かと便利なのだ。Candy(彼女のFirst Name)とは幾度となく交渉、調整、いろいろ家のメンテでコミュニュケーションした。彼女は私のことを「Akita」と呼ぶ。秋田犬はアメリカでも有名?らしく私はいつも犬になった気分がした。(最初はAkiraとちゃんと呼ばれてたがいつのまにかAkita、発音は Aquita、になってた・・<)2年3ヶ月Santa Clara事務所で仕事したあと2002年10月の定期異動で日本帰国となった。
2度合計で11年間の米国勤務はようやくお役御免になった。帰国から数年間は仕事の関係で北米出張が定例的に年4回くらいあったが最近一年間では業務が変わってきたのでその北米出張も途絶えて、ついに海外出張もなくなってきた。