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 帰国、さいたま市

 横浜市内の自宅マンションに帰る選択肢もあったが今度の勤務地は埼玉県奥(群馬県高崎近辺)の製造工場。このため一家で大宮駅の近くに引っ越した。長女の中学受験があり彼女を家族全員でサポートすることが大切と判断したのだ。北米転勤時5歳でKinderから入園。一旦Belmontで小学校へ入学。そのあと西へ転校を余儀なくされた彼女。日本語学校もボストン日本語学校からサンフランシスコ日本語学校サンノゼ校へと転校させた。新たな友達に馴染むまでに一年や二年はかかる。はたで見ていてもいろいろ友達作りには苦労をしたようだ。アメリカでも転校、そして今度は馴れない見ず知らずの「さいたま市」へ降り立って、また一から「転校生として」生活することになった。それらを身近できちんとバックアップするのが父親の務めだと思った。結果的に単身赴任要請を断った。規定で家賃補助をもらえることになったので、その分コスト的には会社に迷惑をかけたかもしれない。分かっていたがそれも自分の人生。
 土地勘が全くないため、アメリカから大宮駅至近のパレスホテルへ投宿。不動産屋を3軒品定めの後、一人の小さめの不動産屋さんに頼み、一日で数軒の借家候補を車で家族4人時差ぼけの中、見て回り翌日に速攻で決めた。目が回るくらい忙しい。その間2週間くらい大宮駅前のパレスホテルに投宿。次女は小学校で先生に住所を聞かれて「パレスホテル」と答えたらしい。(微笑み)
 いま思えば、今回の家探しには一回目のサクラメント、2回目のボストン、サンタクララ、帰国時のさいたま市(大宮)と、日米4箇所での家探しの苦労と経験で培った選択眼が大きく活きていたように思える。