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 東海岸の記憶

 さて本人は一足先に1997年3月にボストンに着任。

 まだ真冬の寒いボストンでダウンタウン郊外のBelmont、Reservoir近くの、2階建てTownhouseの2階フロア(3LDK相当+地下室半分、ガレージ一台分、庭あり)を借りた。Payson Roadの家はボストンから2号線でBelmontで降りて60号をWatertown方向へ走ったところにある。

 大家は住宅メンテ業を自己経営するアルメニア人のZavenという男だ。自分の持ち家数軒を人に貸していて家の修理は自分たちで行うという生業の人だった。彼と奥さんは子どもはいないようでBelomontでも山手の山の中、ひときわ大きな邸宅に住んでいた。この家に2年間住んだので最初と次の年の家賃値上げ要求での賃料交渉では、いろいろ「楽しいタフな英語交渉」を経験させてもらったなぁ。彼に「お前はタフネゴシエイターだ」と、言われたときは嬉しかったし、お世辞だろうが俺と一緒に働かないかなんて言われた。お互い気持ちも通じ合った。そんな日常の経験が仕事にも自信となって役立ったかナ。ここは緑が多く閑静な住宅街の中心。住むには安全でとてもいいところだった。Burbank Schoolへは坂を下って徒歩10分だった。上の子の手を引いて学校へ連れて行ったものだ

 冬は雪が降ると、Reservoir(円形の貯水槽が緑の草で覆われ、真円形の丘になっている)周囲の斜面で子どもたちはそり遊びが出来た。大人でSkiをやってる人もいた。がしかしそこはやはり家賃が高いので、結局知り合いの日本人が帰国したあと近所のGlove St.一戸建てに伝手を頼んで引っ越した。このとき交渉はWifeが行ったが交渉相手は町の不動産屋のRitaおばさん。苗字はIsraelさんだった。このようにBelmontには外国から留学や教えに来ている人たちとその家族、医師や弁護士など専門家で各国からの多彩な親と子が来ていた。雅子さまハーバード大学ライシャワー博士の紹介でこの街に住みBelmont HighからHarvardへ進学した。ここはInternationalというのにぴったりの町。小さいが落ち着きのある静かでいい町だ。バーバンク小学校のOpen School(International Day)で我々日本人家族たちは手巻き寿司を振る舞い、浴衣姿の娘たちが当時のBoston Globe誌の一面を飾った。
バス通りに面した古い白い外壁の家だったがガレージは屋根付き専用1台分、2階建てのその家は当然ながら「階段」があって子どもたちは喜び、それを滑っては楽しんだ。クリスマスパーテイなんかも日本人家族で集って行ったり、楽しい日々を送った。隣に白人家族のBrendanさん一家がいて、時折話したりもした。小学校にはぐっと近くなった。

 家は地下室が大きいのだがその半分がPlay Roomになっていた。Backyardに出られる階段付きの出口がある。映画Home Aloneに出てくるような地下のStorage Roomがあり洗濯機はここに置くのだ。ボイラーもここで冬の間の「燃料タンク」もでかいのがあった。そして蜘蛛の巣も。。 とにかくアメリカ「らしい」家だった。裏庭はあまり使わないが十二分に広くて大きかった。裏庭が面する隣家との間には垣根はなく、大きな数本の木などで仕切られていたが長女の同級生の家だった。(日本では転勤族で経験できなかったがここでは近所に友達が住んで公園や学校に囲まれた環境で健やかに過ごせる)冬の時期、会社から帰って夕食後の夜9時10時に家の前の歩道を雪かきしたことが今となっては懐かしい思い出だ。