写真は投稿内容と基本無関係なるも関連していなくもない
16年前、2006年のキャリアチェンジ。ここで、突然、仕事や所属がガラリと変わった(社命で異動させられた)。青天の霹靂とはこのこと。何が変わったかと言えば、全く畑違いのソフトウェア事業に携わることになった。
基本は自身の職種での特命タスク(新規の大きな業務改革特命)ありでの人事異動なんだけれど、タイミング悪しく会社内部の組織的問題が起きた。そのため会社都合から行く先の所属が宙に浮いてしまったこと。結果、便宜的・窮余の代替案として、全く新規に設置される畑違いの職種チームに自らの特命タスクも併せ持って異動。畑違いのプロパータスクを出来るリソースがなかったから私がそれも担務することに落ち着いたのだ。その新規チームに籍をおいて二重活動を実行する、という全くもって変則的な異動になった。
- 誤解語弊を恐れずに、すごくわかりやすく歪曲して言えば、二重スパイみたいな感じになったとも言える。
これはイレギュラー中の異例となる特別な措置だったんだと思う。(今となっては笑って済むが当時はなんだそれ⁉️の感もあった。しかし個人の力では何も出来ないことである。)
あの時の、ベンチャー投資, 経営企画, M&A, Silicon Valley, インド子会社つながり等々が関係key wordとなる会社時代の3名が再会。それもまことにひょんなキッカケで。今回コロナ禍の中、3年以上も超えての久々の再会。小杉で五時から三時間ほど飲んだ。場所は私が旧知の店を予約した。きっかけとは先日フランス人社長来日からの連絡のつながりが関係しているから、人生って勘違いなんかも混じり面白い。
よかったこと▶︎ バックグラウンドの異なる人と飲んで話すと頭の使い方・刺激の受け方が全く違う。随分とリフレッシュした。
不思議なまま▶︎ そしてその場で歳下T君から言われたことだが、当時あの若い年齢でなぜ私のポジションが ”主幹” だったのか⁉️ 今日まで確かに謎のままである。本人も当時肩書の変更にはとてつもなく驚いた。(えっ、なんで突然そんなにエライ肩書きに変われるの?と)そんなことも言われたら思い出してひどく懐かしい。
まぁ、人生には必ずいくつか不可解な不可思議さもつきまとうことがある、ということだ。
- 16年前、2006年のキャリアチェンジで長年の資材購買職・調達の世界から変わった
- 事業推進グループでソフトウェアアライアンスを担当することになった👉興奮した
- いきなりSilicon Valleyのスタートアップに直接投資。株式購入契約の締結からやることになった👉契約には四苦八苦した
- 転勤も伴い府中から田町に変わった。本社ビルではなく別の駅前直結ビルの最上階にデスクをもらった👉通勤便利💮
- ソフトウェア事業の人たちと仕事をすることに変わった👉当初はドキドキ。とまどいもあった
- 程なくしてJETRO『認定貿易アドバイザー試験(当時)』に合格、資格をゲットし、個人の成長は達成できた。念のために書き添えておくが、この資格は廃止され別組織に引き継がれているため、公式には『JETRO認定貿易アドバイザー試験合格者』と名乗る必要がある。
- 新しい仕事仲間と全く面識のないゼロから知り合い、所属も何もかも全てが変わった。断層のキャリアチェンジ。人生大きく転換👉実はこれが当たりで、楽しかった
- キャリア幅が拡大。後年2017年のIT系外資転職に結果的に繋がった👉素晴らしい幸運
- 米国とフランスのソフトウェアベンチャーの投資経営で事業推進した👉やりがいMax
- この周辺から監査役監査対応やリスク管理にウィングを拡げた👉今の貿易アドバイザー稼業に結構役立ってる
当時を思い返しても、実業の遂行は裏方のスタッフとは根本的に違うわけで面白くてやりがいがあり、仕事と人間関係ともにとても充実していた。パリにも出張した。Silicon Valleyにも足を運んだ。楽しかった。
あの頃の輝きを今は持てないけれど思い出して、心の在り方として自ら変革を目指して行こうと思える、よい再会と会話・会食でした。
番外編👇
経団連が『経験者採用』に改める←中途採用を言わない指針を出した。
— Andy Sierra 雑記帳 (andy-e49er) (@Accurasal) 2022年11月7日
👉 (基本は新卒ばかり) 採用する自分たちの側のことしか頭にないから、新卒に対する”中途”となっていた。
▶︎日本語の”差別(的)表現”とそれによる一種パワハラに気づいたのは◎として改めるの今頃かと思った。体質古く、変革遅い。