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アンナミラーズと変わる時代、若かりし頃

最後の「アンナミラーズ閉店の衝撃 超人気ファミレスが衰退した理由と、「かわいい制服」の果たした役割 

ITメディアのWeb記事を読んだ。外食産業の栄枯盛衰と事業戦略・企画のヒントになりそう。

▶︎🔗リンクはこちら▼
https://www.itmedia.co.jp/busi ness/articles/2207/20/news031.html

上記の分析記事から一部を抜粋して引用⬇️

日本の外食に与えた大きなインパク
 アンナミラーズの日本1号店は、1973年6月オープンの東京・青山店。あずきバー」で著名な井村屋を中核とする井村屋グループ(当時:井村屋製菓の社長だった井村二郎氏が米国を視察。これからの日本の外食に可能性を感じて、アンナミラーズの日本での展開を決めた。

これは全く知らなかった。

 70年代の日本は外食産業の黎明(れいめい)期で、70年に現在は「ガスト」を主力とする「すかいらーく」の1号店、国立店(東京都府中市)がオープン。日本のファミレスの先駆けとなった。71年には「ロイヤルホスト」の1号店も福岡県北九州市にオープンしている。

 今まで日本にはなかったファストフードとして、米国からハンバーガーが紹介されたのもこの頃で、71年に「マクドナルド」の日本1号店が東京・銀座にオープンしている。

時代背景の中、私個人のハナシで恐縮…

⬇️アンナミラーズと私の思い出⬇️

1976年・学生時代体育会硬式庭球部。

◉いまも広尾にある東京ローンテニスクラブに、大学テニス部の同期が住み込みバイトをしていた。コートキーパーのお仕事と、クラブハウスのお掃除などだと思う。

◉あそこの🎾テニスコートは8面だったかな、あって、そこにコートブラシをかける。つまり今は少なくなったクレーコート。表面が硬めの粘土質の土やそれが削れた砂的な表土なんですね、だから毎日プレー後のメンテナンスが大変重要。

◉クラブハウス裏手、外壁に沿った細長い土地にハウスキーパー用の住居棟がある。同期は先輩からその役目を引き継いで、住み込んでいた。

そういうのがうらやましかった。(いわゆる『自宅生』で一人暮らし出来てないからね)

◉ときどき、我がキャプテン、ついでダブルスのペアの部屋なんかに遊びに行った。その時はキャプテンの好きな広尾のアンナミラーズに行き、あの頃のアメリカンな雰囲気のなかで、男同士で(笑) …アメリカンなパイ(って当時は何も知らんけど)を食べながら、珈琲とか飲んで、なんか都会人の雰囲気を味わう20才台の硬派のわれら。長い時間『だべってた』あの頃。アンナミラーズと聞くとまず思うのは、若くして病気で亡くなったキャプテン。彼とのことを懐かしく思い返す。さて店はどうなったのか

競合店の増加
 すかいらーくロイヤルホストが、モータリゼーションの進展に合わせて、郊外のロードサイドを中心に店舗展開していったのに対して、アンナミラーズ都心部、駅前から出なかった。

 また、メニューも、すかいらーくロイヤルホストが、時流に合わせてどんどん変えていったのに対して、アンナミラーズは極めて保守的だった。ホームメードパイ、ハンバーガー、サンドイッチなど、デザートや軽食を中心としたラインアップを変えなかった。

途中経過は飛ばすよ、少し悲しいからね…

2009年には、高輪店と横浜ランドマークタワー店の2店が残るのみとなった。

アンナミラーズ知名度は、ドラマや雑誌で紹介されて、1990年代から2000年代にかけて高まり、「かわいい制服のファミレス」としての地位を不動のものとした。

一方で、それが必ずしも集客に結びついたわけでなかったのは残念だ。

私たちがあの店に行っていたのはたぶん、1978年から79年頃だろう。大学3年4年の頃だ。時代を先取りしていたのかもしれない⁉️

アンナミラーズは本国である米国でも苦戦を強いられているようで、残っているのはハワイに1店のみである。従って、高輪店の閉店後は当面、店内飲食をしたければハワイまで行くしかないことになる。

以上…囲んでいる箇所はIT mediaの引用。

著者プロフィール
長浜淳之介(ながはま・じゅんのすけ)

  • 兵庫県出身。同志社大学法学部卒業。業界紙記者、ビジネス雑誌編集者を経て、角川春樹事務所編集者より1997年にフリーとなる。ビジネス、IT、飲食、流通、歴史、街歩き、サブカルなど多彩な方面で、執筆、編集を行っている。著書に『なぜ駅弁がスーパーで売れるのか?』(交通新聞社新書)など。

➡️ われわれ男子(硬派)大学生、男だけでアメリカンパイを食べに行く。それってどれくらいのお小遣いと頻度なのか?

  • 当時、決して裕福ではなく、奨学金ももらっていた私。一方でキャプテンのS君は、地方出身だが基本的には裕福な部類かと思う。苦学生という感じはなかったし、金の使い方も私のように、ビビってケチることは無かった。

正確な記憶はないが、多くてもおそらく3ヶ月に一度あるかないか位のものだったろう。経営側から見ればお客としてほとんど収益支えを見込めない客層だったことだろう。

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でも、バラエティーのあるなしなどはお店に行く側の若い我々には関係ない。

💮Americanな非日常の雰囲気で、ちょっとプチ贅沢な時間を過ごしていたな、特に広尾というおしゃれな街で…そんな淡い記憶が長く僕の心の中に残っている💮

ありがとう、アンナミラーズ