【序】千々和泰明氏著『戦争はいかに終結したか』中公新書 2021/7/25 発行を今から読みます…と下書きして、読み始めている。
副題 : 二度の大戦からベトナム、イラクまで。
(日経新聞の文芸欄で見つけた新刊書)特にこれと言った深い問題意識などはないのだが、インド太平洋地域や東アジア、台湾🇹🇼を取り巻く中国🇨🇳と米国🇺🇸、そして日本を見ている時、いま読むべきかとふと思い…。
- そして、この日から一年が経ち、その週の少し前に2022年インドネシアでジョコ大統領がホスト役での『G20』、さらにはタイにおいて『APEC』開催があり、🇺🇸バイデン大統領と🇨🇳習近平主席の首脳会談が持たれた。
- 日経新聞のコラムによると両国は互いに相手が自国を貶めようとするものと認識し始めており、新たな冷戦としては危険な二国間の関係へと進んでいることを懸念する論調を載せた。(2022/11/21 補足追加)
紛争の「出口戦略」を考えることは確かに必要。そしてそこに目を付けると実は『はじまり』の端緒の方にも目が向くことを身をもって気付いた効能があり…。
(はしがき)からの抜粋・引用👇
- 戦争の終結の問題を考察する(途中略)この点について本書は、戦争終結の形態は「紛争原因の根本的解決」と「妥協的和平」のジレンマの中で決まる、と言う視点に立つ。👈全編を通じてほぼこのケーススタディ的分析と解説。(やや飽きる…)
- 戦争終結を主導する側は、「将来の危険」と「現在の犠牲」のどちらをより重視するべきかと言うシーソーゲームの中で、決定を迫られるといえる。
第一次世界大戦のことは、もうすっかり忘れていた世界史の「知識」の中の話。それが、『三国協商』やアライアンス(いわゆる同盟)に端を発し、オーストリアの皇太子暗殺から開戦へと拡大して戦争に巻き込まれ(同盟国として仏が独に、続いて英が独に宣戦布告…)と言う経緯を思い出したら、急に "QUAD" が気になり出した。
ただし今の世が当時と異なるのは、悲惨な戦禍についての歴史認識や感覚が人間世界で "ある程度" は(幸いにも)認識共有されている(はずだよな)ということ。
バイデンと習近平のテレビ会談の様子、そして彼ら2人が直接話し合った内容、表現と言葉は異なるが今は同じになること、並びに絶対に歩み寄れない利害不一致で平行線のまま、常に互いに告げるテーマなど。それらを冷静なる識者の評価でしっかりと新聞を読み、自らテレビの映像を交えた報道から知る限り、少し安心もして良いかと感じている。
北京五輪と共産党大会がある2022年。韓国大統領選もあり米国中間選挙も、と政治日程の先々をみる限り、始まることを防ぐことが第一だろう。不用意な偶発的な衝突を避けておく『ガードレール』を二大国のトップ同士がその意思として明確化、形式知化をしておく。そのことが、短期的に日本を取り巻く国際情勢を過度に悲観する必要はなさそうだな、と思えることにつながる。そんな現在がある(2021/11)。この感覚が的を外れていないことを期待したい、
ここで話は飛躍するが、世の中には悪い奴・性格がねじ曲がった輩・己の利益にしか関心を持たぬ者が必ずある。
映画の世界では正義 対 悪、陰謀論、悪巧み(わるだくみ)が話のネタなのが常である。
人間はなぜだろう、平和や平穏より時としてそんな題材や雰囲気を好むのもまた事実。そんな映画作品もフォローし考えたりしている。👇
『陰謀のセオリー』は “ライ麦畑でつかまえて” に即応するJerryが行う正義が記憶に残る作品。一方、昨夜久々見たNetflixでの『意のままに』と言う映画は犯罪モノ・サスペンス。催眠療法か、いゃ人を操る暗黒術でストーカー的なthrillerもの。元の計画は現実のものと知り…更怖 https://t.co/rOpcZJRaff
— Andy Sierra 雑記帳 (andy-e49er) (@Accurasal) 2021年11月20日
この世で最も恐ろしいもの。それは間違いなく人間そのものである。正しく美しい者があれば、邪悪を正義と考える対極の醜い者、その両者がかならずあるこの世界。バットマン vs ジョーカー。邪悪さや間違い、事件・事故は無くならず。弱い者が犠牲となり、あるいは亡くなるのが常、それは悲しい。
ガードレール、無くなるわけにはいかない。
追記(2021/11/21の翌年、2022/11/21のメモ)
13年(11月21日) - Andyの雑記帳blog (andy-e49er) accurasal