Andy.S の雑記帳 (andy-e49er)

内外について個人の思いを綴る雑記帳です|andy-e49er | Twitter@Accurasal

キャリア - 世界をめぐる旅 ( Vol. 1 ) …人生は変わる

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(続き…統合されてた文章を分離独立しました。)題して

"キャリア・世界 めぐる旅・人生観 変える" 

ものづくり輝く 主役は「ひと」
夢が生まれる ここは「聖地」池井戸潤氏 随想にインスピレーションをもらいました。(ものづくり)を地で行く私の会社生活。入社当時・最初の配属先の話からキャリアの思い出を書いてみます。

(第一回)ものづくり、ことはじめ…仮題

 

 一口に「会社」とくくってみても、実にバラエティーに富んだ、ありとあらゆる事業での、対外取引とリスク管理・契約交渉でのさまざまな仕事をやらせてもらいました。

文字通り「総合職」的な会社生活。それは、1980年台と1990年台を中心とした JAPAN as No.1 (* エズラ・ボーゲル世界に誇るものづくりを実践し、体感しました。
(第一話)になるかどうか?…とにかくまずは書き下ろしました。

 

 それは神奈川県横浜市緑区にかつてありました。電機メーカー。いくつかある事業(当時は、分類として、伝送・交換・無線・制御などとしていた)のうちの、無線通信関係の工場です。『事業部("プロフィットセンター" )七つ』※

※ SBU としての活動 : 製品の開発と設計を行ない、設計図や仕様書を基に、必要な材料や部品を仕入れ、あるいは外注加工を使います。それらを駆使して自社設計製品の製造から検査・品質管理、アフターサービスまで(ものづくり)全てを行う。
自社ブランドの製品(もの・ハードウェア)をお客様に出荷して、販売からの売り上げを立てる。売上げと原価管理の単位。

 *SBU : Strategic Business Unit.

経営における各事業の単位。コストセンターとして原価管理を行い利益を上げて、事業としての going concern の基礎となる組織単位のこと。(筆者による定義)

 マイクロ波通信機器、衛星通信機器や空中線(アンテナのこと) をそこで技術者が研究開発の上、設計して仕様を決める。製品の技術仕様や設計図面に基づいて、部品や材料を調達。あるいは、外注先の工場を持つ中小規模の("下請け")取引先に発注して調達します。

 

 製造部は、いわゆる "こうば" です。
フロアには常に油の匂いが充満していました。それら製作フロア(現場)は、事業部や部品から完成装置までの、さまざまな ”ブツ” の製造をする生産設備の機械や工程別にされています。

因みに私の所属する購買事務所があるのは事業場敷地の前面側。敷地の玄関口、幅16mの鋼鉄製の門扉から、横に長く、一目では一度には見渡すことができない 横 200m くらいの 長~い 3階建ての建屋表側です。思い出してみればあれは、南東の角でしたか。
敷地内に建てられた正四角形の真ん中よりは、表寄りに面した建もの屋根の下に位置する、200mの長〜い「中央通路」を隔てる、正四角形後方の2階建て工場部分。その区域のあちこちに、製造工程や生産設備毎に区分けされ、整然と配置されていました。我が事務所からは中央通路を横切って、鉄製の防火扉を開けた向こうに1階フロアを製造部門が占有していました。

 私はバイヤー(購買担当者はそう呼ばれていました)として、当時であれば特に入室管理(禁止)されていない、どこの製造現場にもアクセスはできましたので、ときおりフロアを歩いて見回ることも可能でした。(立ち入り禁止区域や特別管理の箇所を除いて)

 製品の品質管理部は基本的にオフィスとして、パーティションにより一般の廊下通路からは隔てて囲われていました。そのような職場は、天井にさまざまな配管がむき出しで張り巡らせている上から、「札」がかかっていて職場名称が表示され、そして廊下からは区分けされているから、立ち入るのは稀でした。
 製造後の製品(通信機器など)は製造現場における立会い検査の上、製造フロアもしくは事業場建屋後ろの "出荷場" で特別梱包されます。それから、生産管理部門の日程管理に従い、配送車に載せられて客先へ出荷。それらの生産工程のイロハ全てを一環で行っている工場。私の会社ではそこを「事業場じぎょうじょうと呼んでいました。

 事業場は、かつては関東地区に五ヶ所ありました。その一つ、無線通信事業は七つの事業部門(一部は「開発本部」で製造機能はなし)をまとめて『横浜事業場』と呼ばれました。

 マイクロ波通信と衛星通信、ミリ波通信開発、それから人工衛星🛰などの宇宙通信 ; X-band や S-band など、さまざまな周波数帯の通信機器、そして先端のテクノロジーを開発して内部製作("内製")する、『デバイス』と呼ぶ一種のモジュールやコンポーネントまで。たくさんのエンジニア達が日々の地道な努力から産み出す研究の成果として、部品から通信システムまでを開発、設計から製造・出荷、そして売り上げる仕事です。社会の通信インフラを支えており、社会貢献の誇りに満ちていました。

www.soumu.go.jp

セールスする営業部門は本社機構(本社ビルや地方の支社支店)にあるので、営業マンはここ事業場には所属せず、彼らがお客様(各国の通信大臣ほか多数)をお連れして工場見学するときには、会社の会長・社長や事業部幹部がショールームを中心にご案内していました。世界各国から通信大臣などの政府要人もここに頻繁に多く訪れていました。

 私が配属されたのはその「工場」である "ヨコハマジギョウジョウ" のマイクロ波通信関係の一事業部の中にある、部としての購買部でした。

 残念ながら、今その土地は、売却されて、大型資本のショッピングモールに変わっています。(横浜市内)  

40年弱の日々、それらはほぼ「歴史」と言えるわけで、携わる仕事も場所も多種多様。その後は、人事異動・いわゆる「ローテーション」により、国内・海外とさまざまな職場と役割へと変わりつつ、多くの上司・先輩・同僚・部下と、退社まで長くを勤めさせていただきました。人としての「成長」の原点はここにあると思っています。

(…続く)

次回は、"ポルトガル🇵🇹出張の記憶" を辿ってみます。
(9/5 (日) 日本経済新聞 The NIKKEI 『バングラデシュでの遠征』🇧🇩(松岡修造氏)随筆にヒントをもらい)

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