ここでの村上春樹なる存在を、最初に定義しておこう。世間の評価がかなり高次で確立した著名人のシンボル、と言うこと、まずはそこからだ。セレブリティ、イコール著名人と言うことだ。
(なお、今回記事はじっくり読むといろいろなヒントや個人情報も入れ込んだ…)
#stayhome #stayhomesavelives
(下の写真は本文とは何の関係もありません)
◉本題の前に前座として(失礼!)まず世の中(経生財民)
最新、実務的な話から入ります。
実際には前座なんかじゃない。
元々は独立した『取材対象』の紛うことなき主役。
著名人(セレブ)の部類なので、そのお名前を出させていただきます。
『元』ファイナンシャルプランナーの和泉昭子さん。
(下の写真は本文とは何の関係もありません)
彼女に初めてお目にかかったのはかなり昔。だから少し昔話をする。
私が勤めていた某電機メーカーの会社に「年金とか諸々の"金周り"の」
セミナーに請われて講演者として来られた時でした。その印象は、
チャキチャキのフリーランス、というもの。お話のし方とか、
特に表情が明るくて、話は分かりやすく、態度がキビキビしているのが特に好きになりました。
その時むろん初対面。なので彼女がどれ位のポジションにいらっしゃるのかは存じませんでしたが。その彼女が、昨日と今日「社会経済ジャーナリスト」の肩書きで、フジTV 昼のメジャーなワイドショーである「バイキング」にご出演でした。
そこで、コロナ経済対策と民衆の受け取るお金の問題について解説。
強めの意見をガンガン歯に絹を着せずに言っていて
えっ、あれっ🤯、あの和泉さん?と驚いた。
僕の記憶メモリにデータとして刻まれた、そのままの彼女が画面の中にいました。
会社でお会いして講演後にメールで直に質問をしたら、
「例外的に個人の相談ケースにお答えします」、としてご返事をいただいたこともありましたっけ。あの頃からざっと14,5年以上経っているのかもしれない。
なのに、外見的に全くお変わりなく(歳とらないのかこの人⁉️)、そこも驚いた次第です。
なにより時の流れに上手に乗って、格段にステップアップとパワーアップしていて、感服しました。
👉 最初にTwitterで、社会経済評論家と書いてしまったが、肩書は「社会経済ジャーナリスト」でした。そこ重ねて訂正しておきます。
"" バイキングに2回連続で出てたよ。お金の話のプロだから、新型コロナウィルスの特措法で補償問題が喧しいこんな時には、彼女はまさに適役なんだね。これがなかった時でも、きっとあちこちで普段から講演したりして、その有名さを高めて来たんだろうなぁ。""
👉 周りに知的なセレブリティー人(定義は、人にプラスα以上で話のできる人。
それは必ずしも『教師』でなければいけないわけではない…)を集めたがる、知り合いになりたがる、そんな自分の自覚あり。でも相手側はこちらをどう思っているか知らない。
そもそもそんなことは全く気にもならない。感覚的に近いのはこちらが勝手にSNSで相手をフォローしてる感じ。SNSが今の世の中既存で周知のツールとなり比喩として使うにも便利な世の中になったものです。
(大昔の通信手段はこれ👇)
👉 元々「お前は、はなしがりくつっぽいよな」と友人から言われたことがある僕。
例えばセミナーに出てその終わりには必ず、何か質問とかするのが己の使命みたいに。
体の中にその力が常在戦場的に存在してる。何かを常に探し歩いている。
人はそれを好奇心というのか?たぶん探究心だな。人と議論したいのか?そこはよく分からない…。
自己反省はまず的確な分析から。
すっかり脱線、前置きがこんなに長くなりました。やっぱり理屈っぽいのかなぁ。
さあ、やっと本題に入ろう。
経済の実務(経生財民)とは真逆の、対極にあるもの。それは文学小説でしょうか。
文学の定義って何?
人の生き方をテーマに据えて、そこに焦点を当てる。
丁寧に美しい言葉を選び、文章化して芸術的に綴る、あるいは解説や評論を語るもの、
であるという意味において、二つの事は共通かも知れない。
だが、かたや超現実論、かたや超夢想的である。
いよいよ、本題です。#7bookcovers
👉👉 村上春樹の書いたものを
「初めて面白いと思い」ながら読んだ。
この春2020TOKYOのオリンピックが新型コロナのせいで一年延期されてしまった。
それはついこの間の話。
ウィルスの大問題で世界中が行動制限を余儀なくされた。
ずっと外出自粛の要請が続いている土曜の昼下がり。
自宅ではない、電車が見えるある場所で、訳ありで誰にも遮られずに1人静かに息を潜めている。
そこではじめからからおわりまで村上春樹を読んだ。彼の世界観に呑みこまれた。村上春樹ワールド初体験…か?
村上春樹を初めて面白いと思ったのは、まず、特定ファンが春樹に熱狂する理由の片鱗が見えた気がすること。特に女性。
描写が高等な、いや高邁な国語でいわゆる文学的という?言葉遣いが丁寧なんだな。そして、それだけでは無くて、驚くほどインテリ過ぎるよね!という点だろうか。
例えばこんな風です。
(引用)1
音楽大学に進み、高名なピアニストの指導を受け、その後推薦されてフランスの音楽院に留学した。シューマン、メンデルスゾーンといったロマン派の後期から、プーランク、ラベル、バルトーク、プロコフィエフのあたりまでが彼女のレパートリーの中心だった。鋭く感覚的な音色と、タフで完璧なテクニックが彼女の時だった。(引用ここまで。) 👉うーん、知らない名…
彼の文化や音楽、芸術面の知識集積が惜しげもなく(…しかし丁重に言葉遣いを選びながら、彼が尊敬する読み手に対して…)披露されているんだな、と言うこと。それが以下引用の通り垣間見える。
(引用)2
2人は音楽の話をした。(途中省略) 2人の音楽の好みには共通するところがたくさんあった。(途中省略) 中でもベートーベンの32曲のピアノソナタを音楽史上最も重要なピアノ音楽であるとみなしていた。そしてヴィルヘルム・バックハウスがデッカに遺した録音はその基準となるべき解釈であり、並ぶもののない見事な演奏であると信じていた。(引用ここまで) 👇
行動描写の比喩として、セレブは知っていたり、普通人は知らなかったりする、広い世界のある領域における何か代表的な比喩対象が次々にこれでもかと繰り出されてくる事。
小説には当然補足なんかないから、読み手は、ほお〜っ博覧強記だなぁ、とやられてしまうんだな。
(引用)2' …博覧強記の続き、
ウラジミール・ホロビッツのモノラル録音時代のショパンは、特にスケルツオは文句なしにスリリングだ。フリードリヒ・グルダの弾くドビュッシーの前奏曲集はユーモアに満ちて美しく、ギーゼキングの演奏するグリークはどこまでも愛らしかった。
(引用ここまで)
(引用)2'' …博覧強記はさらに続く、
スヴィアトスラフ・リヒテルのプロコフィエフ演奏はその思慮深い留保と、一瞬の造形の見事な深さの故に、どんなものでも注意深く聴く価値があった。ワンダ・ランドフスカの弾くモーツアルトのピアノ・ソナタはあれほど温かく細やかな配慮に満ちているのに、どうして過小評価されているのだろう。
(途中省略)……え?それって誰ですか? 他にも音楽関係ではこんな名前がどんどん出てくる。
マルタ・アルゲリッチ、ジュゼッペ・シノーポリ。全然聞いたこともなく知らない名前。
でも、ですよ、知っている人にはもしかしてこういうのがむしろクラクラくるのだろうか。
そして名を知らない人には「ふうん、なんだかすごいことを知ってる人なんだなぁ」
と思わせる何か。そうなのか? 村上さん⁉️ 意識してるのかなぁーー;
(引用)3. さらに続けると、
「君があのろくでもないジャック・ケルアック的な格好をして 〜 くわえタバコをしながらごしごし手を洗っていると、(途中省略) 魚の切り身にはとても美しく焦げ目が付いていた。芸術的といってもいいくらい淡麗な説得力のある焦げ目だった。かぼちゃのニョッキが数個と、極めて上品に配置されたエンダイブのサラダが隣にあった。デザートはクリーム・ド・ブレーですみれだけが食べた。」(引用終わり)
……この件なんぞはフレンチ?レストランで女性が好んで食べたりするメニュー的話題が描写される。だから特に女性は自分の身に投影してみたりして場面想像で「うっとり」したりするんだろうか?男性的な人には嫌われる感じがする。
『芸術的といってもいいくらい淡麗な説得力のある焦げ目』ってどんな焦げ目なんだよ⁉️
👉と言うことで。僕も村上春樹がちょっと好きになって来た。(ええっ?)
「話が理屈っぽい」と見られている僕。
これって春樹への尊敬か?憧れ?見習いたいということ⁉️
それこそ、もともと僕自身が性格的に村上春樹的なのかも知れない(👈恥ずかしげもなくよく言うよ)
だから逆に冒頭から少し読んだ時点でいつも彼の作品を読み進む気持ちにはならなかった理由が思い当たる気がする。それはあったかも鏡を見て自己嫌悪するというような。そう、覚えている。いつもの嫌悪の予感がせり上がり、本を手に取るのをやめてきた。あれは一体何だろう。認識できない、言葉には表せない。
年齢的なことも含めて今までは、単に喰わずぎらい、だったのかもしれない。たぶんそう。
もしかしたらの仮説。
SNSが当たり前になり、人々が否応なしに言葉をより慎重に選ぶようになったこと。
自身の表現するくせ(癖)がある程度、年齢とともに変わって来た?
今、この頃だから感受の気持ちが自然と変わり、彼の受け止め方が微妙に変化したような…。
(下の写真は本文とは何の関係もありません)
次も彼の著述を読もうかなと思う。きっとそうなる。おやおや、いつの間にやら、彼のファンになっている?
終わりに追補(追慕…かもな。
※ 大きな病院に、ある手術で九日間滞在していた最中の、浮世離れの期間に、読んで、同時に書いておいたブログ原稿。
それを二回三回、四回と頑張って推敲したものです。書き直しが多くなりました。後で読み返して嫌になったらまた書き直すとも思うけど。一旦は気持ちの区切りとして、公開するもの、になります。病気療養や介護の現場感にまみれながら、僕自身以外を具に(つぶさに)観察してきた中。そこは非日常。
村上春樹の「スプートニクの恋人」は、座右の銘でもないけど、一服の清涼剤。もしくは、精神安定剤でありました。
#7bookcovers
無事に退院でき、回復も出来た。
その全てに、どうもありがとう。