Andyの雑記帳blog (andy-e49er) ⁦‪@Accurasal‬⁩

内外について個人の思いを綴る雑記帳です|andy-e49er | Twitter@Accurasal

わずかな差、それは『態度』

f:id:andy-e49er:20240113154653j:image

冬の夕景(日本のどこか)

Threads、attainments_presence のポストから  そのままを引用 : 

おはようございます☀❄️
もう金曜日。頑張りましょう😊

【リーダーシップの備忘録】

人はほんのわずかな差で、
大きな違いを生むことがある。
そのわずかな差とは、態度だ。
生まれる大きな違いは、
前向きな人間になれるか
成果が上がらない人間になるかだ。

(W. クレメント・ストーン)

☕️ 今だからこそ分かること。気づくこと。ありませんか?

 何気ない会話をしていても、反応が薄い人もいれば、話が弾む・あるいは弾まずとも何か前向きな感じを相手に与える人もいる。そのごくわずかな違いが、ときに大きな差になる。

👉昔、三つ年次が上の人と海外出張に、複数人のチームで出向いた時のこと。タクシー乗車時に隣に着席した後輩の私の対応が薄かったり、今ひとつだった(のかもしれないなぁ…)と、後々、ふと気づいたことがあります。

今回はその話をします。

  • 同列の職位の先輩(仮にPさんとする) が、道端に何本も並ぶ街路樹を見て「あれは、たぶん "タイサンボク" じゃないかなぁ」 とかを、ごくなにげにつぶやいたのです。いゃ私に向かってそう言った。
  • そのとき私は今で言えばスルー。たしか、"あぁそうですか?" くらいの、気のない受け流し をしたのでした。
  • 実は心の中で「この人、若いのにこんな草木の名前を言って年寄りくさいな」と瞬間に感じて前向きな受け答えをしなかった。

その時は意識になく分からなかったのですが、そのことを何年も経ってから、別の場面でふと直感的に気づいたことがあります。その話です

 

後年▶︎ずっ〜と長い時間が経ちまして、当時課長職だった彼Pさんと私。P先輩が部門トップ(役員クラス)になり、私はその下に大勢いる部長の一人になっていました。

 あるとき部門全体の飲み会がありました。そこでたまたま目にしたのは、自分と同列クラス管理職の人(仮にK氏) とかなり親しげに長い時間隣り合わせで会話するPさんその人がいました。その数時間の会では席替えの機会があっても、Pさんは私と声を掛け合わせることが一度もなかった。こちらもそのチャンスはありませんでした。

昔一緒に海外出張したりで、話す思い出はあるだろうに。あれはまぁたまたまかもしれないし。さて実情は確かに誰にもわかり得ません。誰もこんなひとときのことは気にもとめないものです。私がキニシスギ君でしょう。

でも私には、Pさんが私よりK氏と "うまがあい" 親しい。それはおそらくK氏の方を "買っている" のだ。逆に私のことは眼中になく、つまりそれは実に、人として部下として私を気に入ってはいないのかもしれないな、と "直感した" ことがありました。

ま、これは考えすぎだと言えばそうでしょう。だが、意外と真実と本質を見抜いたのではあるまいか。そう思うのです。

 さらに年数が経ち、われわれは皆、立場が変わっていきました。それはこのPさんがもっと偉くなったときでした。Pさんの会社に私が転籍できないか。それは親しい別の先輩 (昔の上司 Zさん) に声をかけられて、その流れで面談的な感じにまで至ったことがあります。

その時に、最終権限を持つであろうあのPさんが受け入れてくれることはなかった。私本人に間に立つ方から説明された理由は、まさに正当かつそうだなと、納得できる十分な理由と説明ではありました。完全に同感し諦めた。

しかし、思ったのです。直感です。あれはPさんが私のことを個人的に好きではなく買っていないから、最終のNOという決を下した。そうではあるまいか⁉️、と。

f:id:andy-e49er:20240113170124j:image

以上は、どこの誰にも、そしていつまでも真実は分かり得ない、そんなことがあったことすら当時の人も覚えていない。ある会社組織の中の狭い世界でのほんのひとときの話です。公開も公表もされることのないよくある『人事』の話の一つ、です。

 さて最後に付記すると、別段このことが悔しいとか、当時が悔やまれるとか、残念だとは正直思ってもいません。むろんやり直したいとも思わない。たまたまそのタイミングで希望の一つが成就することがなかった一つのケースだし、自分もそのときそちらのキャリアへ行かず今の方が絶対に正解で、本当によかった、と認知もしているそんなことは全て分かっている。でも…それでも、直感は告げるのです。心の中に一つの想いは残っている。

それは仮説としての、人事の意思決定プロセスと "メカニズム" です。それは最後、結局、その人のことを好きか / そうではないか。買っているか / 違うかの判断が人には必ずある。

  • あの海外出張で最も近付いたその時に、もっとよい受け答えをしてコミュニケーション良くしておいたらどうだっか。もしかしたらその短い瞬間で相手はこちらを好きになり「買ってくれた」かもしれない。そうならこちらの人生はあの後、変わっていたかもしれないと。考えたりするのでした。

✴️ 人生にはこういう瞬間が一度はある。でもそのときが訪れても人は気づかない。知りようもない。けれども気づかないことのリスクを頭に少しだけ刻んでおいたらより良い未来が来るのかもしれない。

もちろん全ては運だけでなく、不断の努力その積み重ねこそ大事ではあるのですが…。それでも、もしかしたら未来が規定される(かもしれない)要素となるTPO ( Time, Place, Occasion ) でとる態度であなたの今後の道がふたつ・みっつに分かれることがある。そのことに気づかないリスクを知っていたなら、より良い未来があるかもしれない。そう告げたいだけ。〜(^^) ;;;

人はほんのわずかな差で、
大きな違いを生むことがある。
そのわずかな差とは、態度だ。

もしもこの駄文を読む機会に出会ったのなら頭の片隅にほんの少しこんな話も笑って入れておいたらいかがかな?

いつか何かが違ってくるかもしれません。

滅多に人に説教したり、上から目線でものを言わないワタクシからのささやかな助言として、書き残しておきます。