下書きしてあった "最後の業務出張" 話 に端緒を得て、たまたまTweet されていた脳科学情報を得て、少し考えが深まりました💮二つ、別の話のコラボになります💮
題して、平面記憶・立体記憶、です。まずは、立体記憶から。
これは、実体記憶あるいは実態記憶、リアル脳認知、というものになります。
なるほど、ですね‼️ まさに一昨日の会食はこれ。#赤坂 #藁焼屋#海外からの友人
— Andy Sierra 雑記帳 (andy-e49er) (@Accurasal) 2022年10月19日
そして昨日は1ヶ月+ぶりに職場。#赤坂アークヒルズ #六本木一丁目 https://t.co/oJsCGD6D06
しばらく行っていない場所に行くと、脳の今まで活動していなかった回路に血が通ってマッサージされていくような感覚がある。神経活動網のメタ認知機構としてそのようなプロセスがある。だから、しばらくぶりの場所に行ったり、お店に行くことには脳再生の意味があるのかなと思う。(茂木健一郎)
この Tweet に関連する実際場面は次の文章自体に貼り付けた🔗青字🔗をクリックして、ご覧になれます(リアルな音声が付いてますので電車内ではご注意を!)🔻
"Andy Sierra 雑記帳" / andy-e49er on Instagram: "海外からの懐かしい友人が東京へ業務出張。再会は数えたら10年+経ってる(^^) 2,3年ぶり、外で家族以外との会食(🍻と🍶昔ながらの呑み会) 彼は今はITスタートアップのFounder&CEO、えらくなった。久々にITビジネスの話、互いの家族、プライベート写真など、とても有意義で楽しい邂逅になりました。今日という日に感謝‼️ #赤坂 #藁焼屋 #鰹 店が完全満員で驚く。赤坂から千代田線も普通に混雑。情報通り人手不足▶︎店は客満員でも、フロアサーブは2人だけで片付けとか大変そう。" 以上が、リアルな再会と実体のある空間・場所でのいわば『実体記憶』なのかと。
☝️これに対し、『平面記憶』(←勝手に名づけた)ということを考えてみました👇
"写真"の話です。こちらは二次元的記憶 ということになりましょうか。
- 昨日facebookで提示されてたこの2D写真 : 10年前の香港🇭🇰空港の記憶
- この時の周辺記憶は自分の脳が呼び戻せる。けれど脳のマッサージ効果は
ない感触でした。
写真記憶を辿り、空港の土産物店で "フカヒレスープのレトルト品" を買ったシーンは我ながらよく思い出せます。その (やや期待と違ったことでの) お味、食べたときに感じたことや家族から不評を買ったこと (笑) も覚えていて思い出します。
- なのに、リアルな脳の刺激は得られていない様です。(残念)
もしこの "思い出し行為" が「メタバース空間」での追体験であれば、きっと脳への刺激はかなり違ったものになる気がします。いわば現実にその場に戻った感覚などを体で理解して味わったりができるのではないかという期待感です。
香港空港🇭🇰✈️
今から10年前 : 2012/10/18 as my last overseas business trip.
⭐️ 思い出せば、初めての海外業務出張は、シンガポール (・・・当時あった、会社100%出資子会社の半導体組立:後工程の生産工場) でした。1987年
この時、乗り合わせた隣の席のアメリカ人夫婦の親切な対応は忘れません。航空会社がUnitedだったということまではっきり記憶しているのです。いわゆる良い思い出と経験値が結びついているのでしょうか。
✴️ そして最後の海外業務出張は香港の事業子会社。当時私の職責が、長かった国際調達ではない時。所属する事業部門の企画本部員としての出張。手を挙げて出かけた経営管理系の微妙な責務でした。”Discovery”
その用件は、法務部の若手(彼は初の海外出張) I 君を、ある法務マターがあって
対象の事業部門のための案件なのだから、「誰か1人随行せよ」
と法務部長から直々の要請を受けた案件でした。こちらもクリアに覚えています。リスクの感じられる案件だったから、うまく行かなかったらどうしよう(実際にはどうにもならない)とビビるような案件だったです。確か1泊か、多くて2泊のごく短くて簡単な出張。2012年。
初め と 最後と。この間2度のアメリカ合衆国・現地法人2社へ、合計11年になる海外出向を含めると、海外出張の業務目的は会議目的だったわずかなケースを除き、ほぼ9割5分は、「調達先である相手企業との難しい直接交渉」(納期・価格・品質)ばかりでした。
平面記憶、そして、実体記憶
- この香港行き;裏話をすれば、会社内で年功的なポジションから、本業の海外調達での海外行きがもはや期待薄!、そう思えていた時でした…。
- ならば、別のタスクで自分なりに機会を作り、海外出張に出て行くか!!、と自ら前向きに志願したものだったという・・・裏側から見た後日談でした。