ミース・ファン・デル・ローエ:『神は細部に宿る』
この言葉が好きだ。理由は分からない。細かなところまで気を配り、完成度を高めるとか、人のことをおもんぱかるとか、何かの準備ではできるだけのことをする、その上に人智を超えた神の配慮がある、という感覚・世界観・感じ方、捉え方なのだと解釈する。そんな Feeling から心が「欲している」ことばに聞こえる。
▲自分が思う通りに好きなだけ頑張ってきて、ある程度の "細部" までリーチ(reach)しただろうか。
『到達力』というコトバが頭をよぎった。ある分野の知識と実践的な経験とが結びついた "経験知" あるいは "知見" とはそのような概念( "notion") なんじゃないかなと思います。
この好きな言葉にまたここで、期せずして出会った。不思議と琴線に触れる言葉。心の扉を叩いてくる。
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バウハウスの卒業生には、非常に多作で影響力の大きい人々が多い。1933年にナチス政権からの圧力によって閉校となったあとでさえ、バウハウスで学んだ芸術家やデザイナーたちは、その教えを広め続けた。
建築家であり、バウハウスの最後の校長を務めたミース・ファン・デル・ローエは、シカゴに亡命してアーマー大学(現在のイリノイ工科大学)建築学科の主任教授になった。
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公開された、3万2,000点を超える「バウハウス・アーカイヴ」 | WIRED.jp
▲「セレンディピティ」という言葉がある。予期せぬ幸運、偶然の何か、幸福を掴む…。発音が「セレブ」「セレブリティ」などとちょっと音感的に似ていなくもない。実は無関係。
調べてみると、これは "造語" なのですね。しかしそこで言っているような、偶然の出会い、一期一会のイメージを私は持っています。
「神は細部に宿る」とはまさにセレンディピティ(*注釈@末尾掲載)のように、ある日突然、閃いたり、誰かと出会ってインスピレーションを得たり、感動したり、何かを決意したり、ということと深い関係があるように思います。
人により違っているのは、既存のつながりの中だけで探すのか、あるいは外に向かうのか、という個体の性質や考え方=動機…そして置かれた環境。#信仰 #宗教 は内に向き合う所業。売買を始めとする #経済活動 は経世済民。外に向かう生きる為の技。ホモサピエンスは1人だけでは生きられずに探し求める。 https://t.co/rOi2jWl6Lx
— Andy S. の雑記帳 (andy-e49er) (@Accurasal) 2021年5月3日
冒頭の写真の説明はこちら🔻
1週間早い母の日。golden weeeek
— Andy S. の雑記帳 (andy-e49er) (@Accurasal) 2021年5月2日
我が家に家族勢揃い(but my mother…。〰︎)七名。外食なし。
写真はお昼のおやつ也🍭 場所: タケノとおはぎ https://t.co/Wl87cQbNhb
☝️「タケノとおはぎ」🌸桜新町🌸🔗👇
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★(*注釈)セレンディピティ "serendipity"
Definition of serendipity in English:noun
[MASS NOUN]
The occurrence and development of events by chance in a happy or beneficial way
- 'a fortunate stroke of serendipity'
[COUNT NOUN]
— Oxford Dictionaries Language matters
- 'a series of small serendipities'
日本語訳では、通常は音写の「セレンディピティ」「セレンディーピティー」等が用いられる。「偶察力」と訳される場合もあるが、確固とした訳語は定まっていない。(出典:ウィキペディア)