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国と国との架け橋

 "ポール・マデン" さん、Paul Madden(British Ambassador to Japan)

2月末に職責を終え離日する間際になって、彼のこと、活動、そして日本への愛を初めて知りました。🇬🇧英国と🇯🇵日本の架け橋、これからも期待したい方ですね。

https://twitter.com/paulmaddenuk/status/1358540711763714049?s=21

 今朝2月の11日朝のフジテレビで知りました。日本へのThank you サンキューにかけて、39のツィートを、日本各地の美しい写真とともに発表なさっておられます。

 39枚の中でも、特にこの一枚。私の人生の1ページとも重なる事実なので目につきました。ブログで引用・掲載をしておき、長くこの英日の友好を続けて行きたいものです。

 これについては、後ほどこのブログにアップするであろう、私のロンドン旅行中の旧知の友人とのepisode、英文と写真になると思いますが、を付記しておきます。

 さて毎度私事で恐縮ですが。2年前の話。London、そして、ソールズベリーSalisbury やWimbledon(🎾テニスの聖地)などを訪れました。97年3月からの2度目のアメリカ勤務。これ、実のところは、こんな経緯がありました。本来🇬🇧英国はロンドン郊外の街であるReddingにあった海外生産工場への出向・駐在予定が内定していたのですね。その赴任のための準備も進めていたものが、会社都合により全体の人事ローテーションが大きく変わって、途中でBostonへと変わったものでした。個人的にはまさに、青天の霹靂 状態でした。

 それで2度目となるアメリカへの赴任。任地は1度目のサクラメント半導体一貫生産工場ではなく、東の(ロンドンに似ているニューイングランドの大都市)ボストンでした。ローガン空港に足を下ろした時、そしてそこからのレンタカー生活、ホテル暮らし、運転免許の取得などは、同じ国への2度目の赴任で何かと手慣れていてsettle down(立ち上げ)が極めて楽でした。が、いま思えば、たぶん本当はU.S.A. ではなく 初めてとなるU.K. の方に行きたかった(かもしれません)。

そこに行っていたら、その後の出会いから始まる我が職業人生も、何か大きく変わっていたかもしれません。人生に『たら・れば』は禁句ですけれど…。それ程にまで生きていく中で大きなインパクトがある転機が海外生活、というものです。人が海外へ渡って全く異なる環境に身を置いて生活するということは、その人物の生き方に大きく影響を及ぼします。

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Twitterから引用)

 話は変わりますが、いま時の人・渋沢栄一翁もパリ万博で海を渡って、その生き方が大きく変わったようです。今度のNHK大河ドラマ。幕末の尊王攘夷から幕臣を経て、一転、激動の歴史の1ページ。明治維新という時代の転換期に世の中の仕組みを大きく変えるその原動力となり、また多くの企業などを生み出した、埼玉県深谷市生まれの、この偉人の生涯。一橋慶喜改め、最後の江戸幕府将軍・徳川慶喜との邂逅など、とても楽しみです♪