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ボストン・ニューヨークで芸術鑑賞 

 ボストンでは、まずボストン美術館(mfa Boston), それとボストン図書館も初めて行きました。NYでは、メトロポリタン美術館MoMA(近代美術館)へ行き、その他はオフ・ブロードウエイのBlueManGroup ”Tubes”(コメデイータッチのパフォーマンス、日本でもSMAPとTVで共演、大晦日の紅白歌合戦でチョイ出しましたね)、ブロードウエイでは1時間雨中を並んで、半額の当日券をゲットして$60で「オペラ座の怪人」を観劇しました。Art、Performance がテーマ、ということで少し書きますと、ゴーギャンの絵画である「我々はどこから来て、何もので、そしてどこへ行くのか」、を mfa Boston(* Museum of Fine Arts)でのメインFeatureにゴーギャンゴッホピカソマチスなどを多く鑑賞しました。

▲我々はどこから来て、何もので、そしてどこへ行くのか(By Goguin)
NY MoMAニューヨーク近代美術館)ではモジリアーニ

▲モジリアニーの女
ダリ

これは拡大、真ん中で横を向いている顔がダリの自画像だそう

▲サルバトール・ダリの絵
キリコ、マイロ(特別展やってた)。NY Metropolitan美術館では数多くあるロダンの彫刻の一部が下の写真です。


エドガー・ドガ


エドガー・ドガの踊り子の彫刻を挟んでドガの一連の絵を眺める広い空間
 ドガの描く 踊り子は、バレエと言う空間や場面をいろいろ描いていて一枚ではない。一連のテーマの複数の絵があるのだと初めて見て知りました。それぞれじっくり時間をかけて一人心行くまで何度も見てきました(などと書くといかにも美術通みたいですがそんなことはぜんぜんありません。(自分の子どもたちが幼少期にボストンでバレエを習っていて素人ながら発表会があったり、クリスマスの季節にナットクラッカーを観劇に行った思い出と重なり合うので見ていてなごむのですね。やはりこの歳になってそれなりに長く生きているからこそ、絵画と結びつけて記憶を辿り当時を偲んだり、懐かしむ、という鑑賞のスタイルが「分かった」。今年が明けて1月18日になって思い返してみて本当にそう思ったのでした)過去、ボストンの住人だった頃には、出張者やお客様接待で引率者の立場。だからちゃんと見ていないので今回「俺流」で自由に好きなだけ好きなところをゆっくり気ままに見ようというわけです。一人旅なので家族のケアもいらないしその点ほんとに自由で動きやすかったです。
 一方で食事。一人でレストランに入ってもつまらないし、何と言っても一人の食事でTipを払うのはムダなものです。(大勢で食べれば話も弾みフロア係りにいろいろ頼むことも多いのでTipは有用なのですが)もったいないのでNYではほとんど行き当たりバッタリのデリなどで、気の向くままにテイクアウトするジャンクフードなんかで軽く手早く済ませてました。もう少し長期に滞在ならば、お気に入りのデリを見つけたりベーグル屋へ出入りもしたかったのですが、たかだか3泊なので結構、近所のマックにも頼ってしまいましたね。
 【マックで見かけたジャーマンな?光景】 隣に座った見るからに観光客のドイツ人家族がアメリカのジャンクフード文化をあざ笑うかのように食べかすやケチャップでちょっと汚れたテーブルを、さも軽蔑した仕草でクリーンにしていた場面に遭遇。その態度を横目で見ていて少し腹が立ちました。私も基本は彼らに賛成なのですが、わざわざ相手の国や文化を馬鹿にするような態度を取るのなら観光に来なければよいのですよね。郷に入っては郷に従え。ある国のある場面には何かそれなりの理由や背景がある。知らずして表面だけ見て、侮蔑するかのような態度、私は是としません。何事もよく見極めて相手を尊重する態度で外国・外国人と接しないと真の理由とか社会の価値は見えてこない。
 話を戻します。ジャンクフードをピックアップして予算・時間両面でメリハリをつけるのです。この辺(効率化)はまさにアメリカンな考え方ではないかと。TPOに適った全体予算配分の適正な行動かな。一人写真撮影しながら、好きなだけじっくり美術館内を行ったり来たりして見歩けたのが実際にリフレッシュメントになりましした。(家族同伴だと写真を撮っているとせかされたりアレコレ干渉されますから)ちなみにこちらの美術館は写真撮影禁止のパネル注意書きなどがないところは全部、撮影はOKなのです。パリのルーブル美術館でもそうで、あそこで写真撮影が禁止なのはナント、モナリザの微笑だけであとはほぼ100%撮影は自由なのでした。