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ボストン物語

◇新天地 ボストン(1997年春)
 97年3月中旬、僕はボストンにやってきた
この地で3月と言えばまだ真冬低く垂れ込めた暗灰色の雲が印象的。宿泊した Marriott Residence Inn から見える隣の物流倉庫ヤードは灰色で青白い蛍光灯の街灯に照らされていた。そこには海からの強風に砂が舞い飛んでいた。海が近いため風が強く、夕暮れがめっぽう暗い。 「気温のシンと低い土地だな」、というのが僕の持った第一印象だった。乾燥しているので口や鼻が渇き、鼻孔が悲鳴を上げる。手はかさかさになる。
Wakefield という、ボストン・ローガン国際空港から車で20分くらいの町にある、Edgewater という名のビジネスパークの一角。4階建ての茶色いビル。 正面に池があり、眺めがたいそう美しい。
 職場は4階西側の位置にあった。夕方には沈む夕日が見える部屋を与えられた。ジェラルド・ホールVP&GMには暖かく迎えられた。そのときにBostonで会うのはたぶん2度目ではなかったかと思う。氏の運転するビュイック――それはまさにアメリカンカーという感じの大型セダン―― でハイウエイ93号をボストンダウンタウンへ向かって南下したとき見た、夜の暗さと道路沿いの木立が記憶に今も新しい。
話好きなのかしきりに助手席の当時の2代目駐在員のAさんや、時には後部座席を振り返りしゃべる姿がいまでも強く印象に残っている。
アメリカ人特有のホスピタリテイもさることながら、彼の明快な指針に心が解き放たれた感じがしたものだ。家族を一番に面倒見ることをとても強調されたことが今も思い返される。
海外では仕事に打ち込むと言っても、家族を犠牲にするといった旧来の日本的「滅私奉公」はそぐわない。日本国内のように勝手しったる土地でもない。それで家族はさまざまな問題に直面する。だから一家の長が仕事に「逃避する」ことは簡単でありがちだが、許されない  良く家族の面倒を見て、良き夫、良き父であり、生活基盤を安定させる。後顧の憂いを断ってそして仕事も一流、人より倍働く、というのが理想の駐在員像か。
 キリスト教的な家族愛を大切にする価値観とひとびとに囲まれて、隣人に敬意を払いつつ、日米の異文化コミュニケーションを日々行なう橋渡し役というのがここでの僕の使命、だったろうか。
<次回97年4月へつづく>
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