Andyの雑記帳blog (andy-e49er) ⁦‪@Accurasal‬⁩

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 新しい朝,希望の朝

♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ
♪ 喜びに胸を開け 大空仰げ
どこか 懐 か し い うた
 06:45 府中市日新町  2008年04月30日(水)  日 が 新 し い、 と書いて日新町。しばらく書かなかったブログ日記を再開。ゴールデンウイークの狭間 さわやかな乾いた空気の朝6時45分、分倍河原、府中界隈へ歩いて来ると、誰一人として歩いてはいないその正門を通ることができた。空がやけに大きく青く澄み渡っていた沿道には、季節とともに移り変わる木々や花々が見られ、毎朝目を楽しませてくれる。 いまはサツキやハナミズキハナミズキの白さがかなり衰えて色褪せてきている万物は流転する 人は成長し、家族は大きくなり、親は年をとる そして世代から世代へと引き継がれるものがある ちょっと前、晩冬の梅が、いまはもう初夏へとむかっている 花や草木と言えばボストン時代を思い出す。
 春の芽吹きがすごかったな/4月の終わりごろにようやく春が終わり/そして突然、芽吹いた木々の新芽が赤く、Route128を染める ちょうど今頃だったろうか。その真っ赤な森の中をエンジ色のカムリのステアリングを握り締め毎朝くるま通勤したもんだ。128は環状道路で行き右カーブ系。長い目で見れば、府中界隈を含む東京都の勤務民となって、これで5年目の春を迎えることになる/あこがれと懐かしのBostonへ行きたい、と思いつつ はや6年目の春になった。私の人生、流転の連続であっちへ行き、こっちへ戻り、また行って考えれば転勤人生ではあった 今は落ち着いてきたけれど 
 会社に入り、独身寮(相模原)、勤務先が横浜(鴨居)。結婚して住んだのが横浜の緑区(当時)で、こどもの国のちかく。緑区テニス協会を立ち上げて一時は理事をボランテイアでやった。そして本社へ転勤し半年で海外へ行けと言われ結婚を早めて転勤しホントに1年で米国のRosevilleへ行き、ひとこえ5年半。RosevilleでAmerican River近くのSelby Ranchという昔「馬場」だったアパートメントハウスに住み2年後(だっけ?)Orangevaleの一軒家に転居。お国へ戻り横浜市内、港の方角へ一旦落ち着きそこから桜木町経由田町へ通い5年。途中家を1回変わってる。山の中腹から山の中腹へひとっとび。長女が生まれたのがSacramentoで、2ヶ月で首が据わらないうちに帰国し南太田のどんどん商店街の坂の途中のくりはらビル・マンションに住んだ。親も4人健在で孫をかわいがった、平和で幸せな時期だった。5年間本社勤務の途中にベトナムミャンマーへ出張中、次女がオギャー。親父はミャンマーヤンゴンだ。
閑話休題
 そしてまた米国(英語が出来たから重宝がられ)、こんどは遠い東海岸のBostonへ行き、3年半。で、いろいろあってシリコンバレーに家族4人で2000年7月4日(独立記念日)にQuebec旅行&Boston経由移り住んで2年半(Sunnyvale在住Santa Clara勤務)。それから帰国して、土地勘の全くない大宮駅のほど近く、さいたま市に産まれて初めての縁ができた。とってもいいところだった。ずっと住んでいたかったが、1年半で職場を首になった。で、府中へ転勤。ちょうど長女が都内の中学高校に入ったので親子一緒に仲良く転校(転向)だ。新しいガッコウには馴れるのがツライもので例外なし。転校生は中学2年次も、このときも周囲からはよそ者。それからあれから5年5ヶ月。う〜む、、長いようで、早かった。やっとやっと、Insiderになれたかも。
この途中、また2006年4月から田町地区にまた勤務。またまた見知らぬクラスへ入って、さあ、ようやく先輩後輩とお仲間になれたかなと言うイイトキに会社都合で、1年間で勤務場所がまた逆戻り。結果、府中オフィスを出入りしたので、過去2年間で自身の座席は府中(ぼろプレハブ)→田町(ビル最上階の海側窓際、快適な一年間)→府中A(廊下近く見ず知らずの場所)→府中B1(12月:出口近くドアがピーピーうるさい)→府中B2(今。空調が効かず暑いんだよ)と5箇所を転々と。(仕事はちゃんとヤッテマスよ〜ご心配なく)現在はさいたま市大宮から2004年4月に移り住んだ、世田谷区から見た向こう岸、多摩川のほとりにほぼ、落ち着きつつあり、土日は月1くらい多摩サイ出没4年目。
日々新(あたらし)
 昨年は田町地区におり、Parisへ出張があった/今年は府中地区が根城で、海外出張はまだない/しかし常に心機一転、挑戦していく心で臨もうと思う今日30日はなぜか朝早く目が覚めた。なので普段より1時間早く起きて一人朝食を摂って会社へ行った。誰より早く行く、というのは何か優越感があり余裕が生まれ、そして仕事は誰よりも速くそして多くアウトプットが出せた一日(自己満足でもいいじゃあないか)
人生、凸凹道 楽しいことは少なく苦しいことや仕事に追われることはある意味、しあわせなんだ。そしてGold RushのSacramentoにちなんだ49ERはいまや50になった。人生残りの方が少ない。既に日付は5月1日に変わって空が白み朝のカラスが我が物顔で(顔は見えないけど)鳴いてる。昨晩10時半には轟沈したせいで、今朝も早くに目が覚めた。
 4時14分。世間的には「トシトルトアサハヤイネ」とも言う/そしてブログってるうちにいつしか気づけば、すずめの合唱の声に変わっており、車の音もし始めた。5時半。早起きは3文の得、というけれど 私流に言えば、早 起 き は 3 倍 増 、 という感じか。Dog Yearほどではないにせよ、だ。そしていつまで生きられるかは 神 の み ぞ 知 る きょうからわたくしのゴールデンウイークがはじまるどんなゴールデンウイーク?

P.S. 機種選びに悩みに悩んだ末にMP3 Playerを購入。結局、りんご印でなく盛田さんちのにした。大学時代に流行してたMusic(Queen)なんかをい〜っぱい、あさなゆうなに聴いてると脳が活性化され。やたらに夢見ます。

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