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「黄金の15年」とこれから”おしまい”まで

今日は2月の初日。冬の一番寒く大変な時期です。「黄金の15年」というコンセプトを知って、これからのこと「今」考えてみませんか。

(facebookからの転載、同一メッセージ)

B-day コングラMSG をたくさんの方からいただきました。改めまして、ありがとうございます。

また私の拙いSNS各種をご覧の方にも感謝を申し上げ、駄文でのお目汚し、失礼つかまつりまする!

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「黄金の15年」60~74歳の15年間…『定年後』の著者の楠木新さん

From Twitter 2019/10/19(Sat). 

心に響いたポイント🔻

いろんな人間関係を楽しむ

“『定年後』の著者の楠木新さんは、60~74歳の15年間を「黄金の15年」と呼んでいます。

一日の自由時間は11時間でトータル6万時間もあるんですね。” / “「一生続けられる仕事を見つければよかった...」定年後に後悔しないために50代から備えを! 雑誌『PRESIDENT』編集長インタビュー…” というツィートを見つけて。

https://twitter.com/mayumiura/status/1185361302375428099?s=21 ◀︎ツィートの🔗

インタビュー記事はこちら🔻
https://mainichigahakken.net/future/article/post-150.php
抜粋👉

基本はやはり精神的な自立が大事で、最初からあまり人に期待しないほうがいいというのが私の考えです。人間関係は自分でコントロールできることばかりではありませんから、そこに生き甲斐を求めてしまうと、自分も相手もストレスになる可能性があります。配偶者、友人、地域のコミュニティに寄りかからない生き方が基本で、そのうえでいろんな人間関係を楽しむことができれば、精神的により豊かになれるでしょうね。(楠木新)

(珈琲ブレーク)▶︎ 人生の扉 - Andyの雑記帳blog (andy-e49er) ⁦‪@Accurasal‬⁩

  • こんな風に、一年また一年と年を重ねていくのだろう。#人生の扉 #竹内まりや

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定年後に後悔しないために50代から備えを!

今や定年はより高齢時期へと世の中が変わりつつある途上。企業や組織の "定年制" はいつかなくなるかもしれない。

👉働く人が自分と組織の中の役割で、自ら契約の終期を決めればよいと思う。私はずっと前から日本社会の定年制は嫌いで。アメリカでは🇺🇸年齢差別で、あり得ない契約形態。私のボスは自分で59才の時、引退を決めた。

社会や会社の労務システム(制度)、その背景にあるのが労働法・労働法制やその規制などは時と共に変わっていく。そうあるべきだ。

それでも変わらないこと大切な本質は?

  • 「仕事を終える、そのときを迎えたとき(ああしておけばよかった、もっと前からこうするべきだったか、と)後悔しないため、悩まないために、
  • 自分の年齢だけでなく、その人生のステージ (いま自分はどこにあるか) 、ステータス (何をやり、何を求められているのか) とよく相談をして、自分の先々に向けて、何をいつどうするか」そのことをから、

考えておくべきだ。悩んでおくのは今だ、ということかもしれないですね。今日やりましょう

  • そしてこのような教訓やアドバイスは別段、50才台に限らず、でしょう。
  • 以前アメリカ時代に知った、"Over the Hill" 、つまり人生の折り返し地点といわれている40才、それ以降の誰もが50才台でも60才台でも、はたまた70才になっていようとも、

その先のこと…人生、キャリア、生き方、やり甲斐を思っている限り、人生と人間関係を楽しむためにはどうすればよいか…考えて行動。 変化を求めていく。徳を積む。そんなところかもしれません。

「徳を積む」ということについてなかなか参考になりそうな話を見つけました。(一部を引用します)▼

神社参拝で幸福度向上 経営者やリーダー層が神社に参拝すべき理由とは:
出所 : ITmedia エグゼクティブ
神社参拝で幸福度向上 経営者やリーダー層が神社に参拝すべき理由とは:ITmedia エグゼクティブ勉強会リポート(1/2 ページ) - ITmedia エグゼクティブ ←🔗

神社参拝、それは神様からご利益として使命をいただくこと
 神社に参拝して「ご利益をいただく」という。ではこの「ご利益」とは何を意味するのだろうか。「利益」とは仏教用語で「神様の徳」、つまり「ご神徳」を意味する。「ご神徳」は命(みこと)でもあるため、「ご利益をもらう」というのは、「神様に、この世の中に貢献するための何らかの命(みこと)、使命をいただくこと」といえる。(中略)

 もともと、一人ひとりの人間の才能や努力には、それほど大きな差はない。しかし個人が持つ「意欲」には個人差がある。意欲の高い人がやる気を持って取り組んでいると、結果も出やすくなる。

▲(引用ここまで) これは確かなことだと思いますね。やり甲斐・生き甲斐の前には、目標や目的がある。そのための意欲があるはずです。今とそしてこれからのことをしっかり考え、先々に目標を立てるのもよし!、日々のやり方を確立するもよし!

一瞬一瞬、そのときを地に足をつけ、明確に確実に考えた上で、意欲的な毎日を送ろう、そう思ってこの項を閉じます。

▼んで、閉じますといった後に、こんな感動的な話を見つけた。こんな風に思えて人のお役に立てると喜ぶ終末期のがん患者さん。その素晴らしさをここで伝えておきたくて

@rinpuri0707 • 看護学生の時、 終末期の患者さんをみさせてもらった話。 癌の末期で�... • Threads

【後日に追加すること…将来を見据えて…】

両親のお墓、仏壇と位牌。これらを自分が元気で決められる意思のあるうちにどうするか決める。母のしたことを見習い、自分の葬式も事前に決めて残る人はその通り催行するだけになるよう予定しておかなければ、と思っています。
自分のとき : その際「法名」はどうするか。親と同じ墓に入るか、あるいは散骨とか共同供養の墓地にするか。お金の問題というより、後に残る家族や親族が困らぬように、本人が自ら決めておく。関連するポストへのリンク🔗👇

@idehiroyuki1954 • 「元々、仏教にはお墓がない」 仏陀が生まれたネパールとインドには、... • Threads

  • 「元々、仏教にはお墓がない」

仏陀が生まれたネパールとインドには、少数派であるイスラム教徒以外、お墓がない。ヒンドゥー教シーク教ジャイナ教徒は、遺体を死後火葬か水葬に附すが、お墓はない。そして、チベットブータンにもお墓はない。

ではなぜかつて、仏教国だった日本にお墓があるかというと、中国の儒教の影響だそうだ。(中略)
墓をおがんで供養した気になるのは、仏教でいう「執着」そのもの。部屋には幸せそうな父母の写真が貼ってあるが、それに毎日手を合わせている。それで十分。

  • 墓は自分で終わり。

白洲次郎ではないが「葬式無用」。