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 96.55Kmの旅

【写真、来たので掲載しました】
 前回7月から久しぶりの自転車ツアー(よく晴れた秋晴れの一日)。今年の夏も漸く終わり昨27日晩から気温が明らかに低めになり朝は半袖だけでは肌寒い。私は長袖、長パンツ姿で出立し、温度調節はぴったり。行程はいつもの通り二子新地に集合@8:30AM。参加隊員:3名。Trek1, Pinarelo,Gios(新)
コース:当初、「引越し直後で用事あり・軽め出走を要望するもマンション大規模修繕で5時まで我が家は配水管交換工事ということで、5時までに戻ればいい」、としたところ結局フルコースに。楽しいので文句はさらさらない。久々にサドルにまたがった身としてはまず臀部。ステアリングを握りすぎた両の手、そして足の筋肉が痛いが運動をした充実感あり。

 さて隊員一行は一列に縦列しまずは多摩川を渡る。用賀や桜新町を通り246で渋谷道玄坂から金王坂下〜青山学院大学前を通り、表参道。一旦(明治神宮外苑絵画館前で休憩)。青山一丁目、皇居・三宅坂から桜田門へ逆S字カーブを切って素早く下る。快調快調。東京駅を見て、新丸の内ビルを過ぎる。丸善の入っている例のビルの裏手を行く。大手町界隈から江戸通り、JR山手線ガード下から、やがて馬喰町、日本橋、浅草橋経由で浅草へ。
浅草橋では私の卒業した旧・福井中学校跡地を辿り、記念撮影タイム。
 
今では東京女学館になったらしく正門を避けて旧プール跡の前で撮影。
 浅草橋駅前へ戻って人形の久月を仰ぐ。そこから蔵前〜浅草駅前へと。浅草駅前で右折して隅田川を渡る。言問橋から国道6号へ出るのだ。そして墨田区へ。遠い昔、入社間も無い頃(相模原)矢部の独身寮にいたが、当時オンボロ CIVIC で松戸の実家へ週末に帰るときいつもこの同じ道順で帰ったもんだの。道の脇の風景、建っているビルこそ変わってしまったがなんとなく当時を思い出させる。
そのあと亀有、金町へ国道6号を主に歩道で走る。
そして京成金町線踏み切りを渡って、線路沿いへ転じ、寅さんの柴又帝釈天へと着いた。ここまで約50Kmの距離。相模原矢部から新松戸まで片道75Kmと記憶してるので、その2/3を走る勘定。例によって社会見学的に我々は帝釈天境内で記念撮影。松の枝振りが素晴らしく、私は思わず松の木前での撮影を所望。

 帝釈天参道は想像よりごく狭く道幅5mくらいか。狭いため不思議にお客が多く見える。その賑わいを肌で感じる。う〜む。。。葛飾区という感じ、だ。店は正面間口が広い割に一階軒先の高さが低い。あたかも江戸時代の日本人平均身長と思しき?150cmとか160cm位にあわせている感じ。瓦屋根が黒くきれいに光ってる。こざっぱりとこぎれいな、居心地のよい瀟洒な感触を漂わせる。さすが寅さんで有名な一級観光地のことはある。おぬし、やるなぁ、という好印象。
店はどこも変わらず、ぎっしりと売り物が詰まってる。売り子は中年から年寄りが多く派手さはない。売らんかな、の押し付けがましさを感じさせないのはさすがだ。(歳食ってるだけか?)感服。例えば川崎大師参道と比べても狭く、呼子は声を張り上げない。ためにそこはかとない風情が壊れない(だからヨイんだなぁ)くどいが、比較文化すれば浅草寺参道は出店だと垣間見えるのだが。帝釈天はまさに「我が家の軒先でまんま商売してるもんね、的生活感」が程よ〜く感じられる。東京の下町は美しい。
 しかし、である。昔、トントコトントコやっていた飴の包丁叩き切り音がない! 騒音防止条例がここ葛飾区にも出来たのか、はたまた「うるさい!」と客がのたまったか。
「とらや」で昼食とデザートにだんご。隊員一行の風貌はここで違和感ありだが、一向に気にせずどこでもこのもじもじくんスタイルでのし歩く。店に押し入る。ゴメンナサイ。とらや:正面の店構え(店頭で3人が名物草餅を売っている立ち姿・・)とショーケースの立派さ、メニューの多さにものすっごく期待感を膨らませるが。あにはからんや店に入ると、”たたき”に小さなテーブルと椅子があるだけの4人がけの昔風単なる食堂ではある。あれま。さらに攻撃は来る。かっぽうぎ姿の中年女性が「食券買って」、とあからさまな指示。従う。まるで立ち食いソバ屋の風情なのだ。江戸風ナノカ。
 閑話休題。食事のあと居心地がよく、なついてしまったわれわれは更に追い討ちをかけるように団子も食べようとすると! 信用力がついた。一見の客から今や取引実績ある身へと昇格したのであろう。オバサンは実に親切に声をかけてくれ団子を二皿出してくれアルマイト盆を私に手渡すのだ。聞けば後ほどお盆は取りに行くから、もってけとのこと。更に驚きは食券ではなく、「てづから代金を払えばよい」のであった。
え、このままでいいの? ハイ、いいわよ。人生とはかくも取引実績信用力が大切、とは思い知るや。
 さて帝釈天から江戸川べりへ出て、矢切の渡し


 ここで社会現象の研究。万が一、川での運送事故が起きたら、みな川で溺れて大変なことになるなぁと思いつつもニッポン性善説。事故などは無いものとして救命胴衣などはなから頭にない。長さ10mほど、喫水線が浅いその木船に実に36名余りが無防備に(屈託なく)乗り込み、江戸川を向こう岸へと渡る。船頭に命預け向こう岸に渡っては次のラウンドですぐにこちらへ戻ってくるのであった。片道大人一人100円也。ここは運送約款もなければ、補償条項もない。当然ながらWaiverもない。国交省の許可はあるのだろうか?ないんだろうねぇ。誰もこのような下世話なことは思いもしない。もしも。外国人が観光立国ニッポンに、大挙して押しかけ、やがてここまでOh! Japone と言って来たらどうなるかと思わず想像を膨らませてしまった。英文表示で補償条項が要るナ。Own-Riskでどーぞ。なんだろうなぁ。江戸時代(?)の信頼関係、信用スキームがいまだ生き残る証跡であった。素晴らしき哉、日本国。我が試算ではこの日およそ7万円の水揚げがありそうだ、となった。季節のよい春と秋の商売なんだろうか。あちこちで見て考える、自転車の旅は楽しい。
 隊員一行は帰路は往路と違う道を選択。ずっーと自動車と一緒に都内を走ってきた今日。歩道も走るので上下動で手が痛い。なのでここらで平らな自転車道をゆったりすっきりと走りたい。実際は時速20Km以上で速いんだが。江戸川べりのサイクリングロードを秋風とともにどこまでも飽くことなく一気に南下。そろそろExhaust気味。
葛飾区→江戸川区→そして江東区へひた走る。東京湾を臨む葛西臨海公園
ここで東京湾を眺めながらコーヒー休憩。足が疲れてヘトヘト状態。


 残る2隊員はいたって元気。既に3時半を回り陽が傾いてきた。ここから北上を開始。夢の島から豊洲を通り歌舞伎座を右に眺め築地、銀座。土曜銀座は人がぎょうさん出てはりますな。銀座からJRガードをくぐって日比谷へ。お堀を右に掠め見て外堀通りを左折。三井住友銀行(旧・三井銀行)ビルを左にもっと走る。やがて沿道のAMPMでの最終休憩。 休みすぎずに東京タワーを臨みつつ増上寺と東京プリンスを右手に見ながらもっともっと走る。疲れてきてるのでついてくのがきつくなる。田町界隈、三田の慶応大学キャンパスを横目に白金から五反田目黒界隈。遅れまいと歯を食いしばる。アップダウンをひぃひぃ言い最後尾についてく。中原街道を辿って雪谷大塚辺りでは、びゅんびゅん走って。最後、多摩川へは下りなので流す。
 やっとの思いで東横線多摩川駅近くから丸子橋で川へ出る。多摩川べりを北上し、二子新地へ。途中数回休憩はするものの朝からひた走り、ネット走行総計が5時間11分(走ってた時間)計96.55Km。平均時速 18.6Km、最高時速 42.7Km。(五反田への下り)帰宅午後6時ちょうど、ああぁ〜疲れた。でもまだ体力はあると確信。捨てたもんじゃないの満足感、充実感、そして達成感あふるる一日を過ごしたのである。
●よかったこと:
その1:三宅坂から桜田門外へ続く外堀通りの逆S字カーブ(下り)。車窓から見る景色がスバラシクよい。青山方向から下ってくると皇居にぶつかり正面にお堀と皇居の深い緑。それを右折し左眼視野に堀と緑をしっかり捉えつつ、右に霞ヶ関(官庁街)や国立劇場を観て一気に下って走る。風が爽快。景色絶景。東京中心地を実感できる一品。Speed感よし。
その2:浅草橋で旧・福井中学校跡地へ立ち寄ったこと。今はナント東京女学館(の校舎の一部だろうか)になっていた。看板を入れ証拠写真を撮影。(上に掲載)

その3:墨田区新東京タワー建設場所を実地見学(押上駅近く)。

ここはかつては東武線浅草駅終点で操車場だった場所との事。その後、承知の通りいまの浅草寺近くまで線路が延伸されているのだそう。
■反省:自転車ギアには油を指そう。途中6号線で江戸川を渡る前にギアダウンでチェーンがはずれた。いっとき行方不明者になった。他には問題なし。安全運転励行。信号遵守(コンプライアンス、コンプライアンス)。品行方正。そういえば日本橋、浅草橋、蔵前、界隈で秋の交通安全の警視庁のみなさんに遭遇しました。敬礼!ご苦労様。

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