☝️浅草側から隅田川の向こう、墨田区を望む。アサヒビール本社には黄金の泡。東京スカイツリーも完成済みと言う、観光客ショット(笑)
2012年といえば、もう9年も前になってしまった。あの頃は、🚴♀️ロードレーサーに乗り始めて8、9年経って、慣れてきた頃だったろうか。
たまに仲間と連れ立って多摩川を越え、都内に入り、さらに都心を横断しては台東区辺りまで足を伸ばしたりもしたものだった。
(私は中2に千葉県の地元中学から "越境入学" の転校で、遠い親戚が住む浅草橋に住民票を移して、台東区立の福井中学校に転校した。)
その後,都立の上野高校に進んだので、同級生たちは第五学区である台東区、荒川区、足立区辺りの出身者が多かった。その意味では、ここも中学・高校時代の地元みたいなものではあるのだが…。
☝️浅草の人力車と車夫👇
後ろ姿は隅田方向を望む車夫ふたり。風情を感じられるアサクサ、ではある。
P.S. この年の頃は、2004年に地方工場から府中にある大きなコンピュータとソフトウェアの事業部門に在籍トータル9年間の最終年度でもあった。
◎ そこから最後に本社に戻る前のラストラン2️⃣年間に役員の指示を受けて手がけた、社長や役員向けの新しい報告管理システムの制度設計を行い、その仕組みを立ち上げた。報告内容のデザインはその後定着した。
◎ 2013年の春。結果的にはその仕事を持ったまま、元の所属・母体の調達本部へ定期異動により出戻り。しかし兼務で経営企画のその報告管理システムの事務局みたいなことをずっと引き継いでやっていた。
この写真はその転換期前年の夏だったと思う。
後日、社長以下並み居る役員の前で、所属する部門の常務の代わりにプレゼンをしたことは、会社人生で一つの集大成的な出来事だったのかもしれない。この頃は、会社人生の最終フェーズを自ら意識して、社内でボランタリーな後進教育の企画と実行を手がけ、私生活では月一ロードに出て走り、バランスの取れた充実ぶりだった…などと少し記憶を辿ってしまった