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『万法一如』(まんぽういちにょ)

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"禅の心に触れる" と題する一文を読んで学びの気持ちが開く。この項をなぞりつつ書くことで一つの思いが開いてきた。

『万法一如』(まんぽういちにょ)という禅の言葉は、すべてが互いに関連しているという意味。例えば、身の回りをきれいにすることが自分自身を磨くことになる。

掃除は『作務』(さむ)と呼ばれ、それ自体が修行である。

「まずは履き物をそろえることから始める」そうすることで心もまっすぐにととのっていく。

座禅の「坐」という字の中の、左側の「人」は「今の自分」、右側の「人」は「本来の自分」を表している。自分自身と向き合い心を露(あらわ)にする。

▶︎ スティーブ・ジョブスは禅に心酔していたと伝わるが、彼もこのような仏法や日本の伝統に感ずるところがあって、美しいiPodからiPhoneなどを世に出せたのだろうか?

"掃除は日ごろから必ず決まった時間にします。規則正しく生活し、自分自身に枠をはめ、利することから前は始まる。私はあえて「タガをはめる」と呼んでいます"

語りは(升野俊明さん、曹洞宗 徳雄山瑞雲院 建功寺住職・多摩美術大学名誉教授、禅僧であり作庭家。平成18年『ニューズウィーク日本版』にて「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれている

「禅の目的は真の自己と出会うこと。この境地を自由に表現したのが禅芸術であり、庭なのです。」

▶︎ スティーブ・ジョブスの言葉として、"Stay hungry, Stay foolish." という信念がある。英語から日本語への直訳だけではたぶんのその真の意味が伝わりにくいと思う。翻訳すれば

(美しいものを追求し貪欲になる、そして他人からあいつはおかしいと言われるくらいにこだわり追求、探求する。あきらめない)

という概念なのではなかろうか。

自身が盟友スティーブ・ウォズニアックとともに創業したAppleから一度は放逐されながらのちに返り咲き、真に復活の偉大な功績を残した。それはひとえに彼の心に刺さった禅の教えからの賜物だったのではないだろうか。

美の追求で己と向き合うこと。他人のことばや凡庸なる世間の評価などに一切惑わされず耳を貸さない。その独善ともいえる専横的行動により『美しいもの』を生み出すことに心血を注いだ。そのスタンスを貫いた彼の生き方に禅の教えの本質が基盤としてあったように思える。

出典 : 「大人の休日倶楽部」2024年2月号

"立ち止まり見つめる" そのままの自分を取り戻す旅へ、からその内容の一部を引用して、筆者が編集構成した。