左 : Harrodsの土産物売り場、右 : 安宿での夕食
( 筆者facebookやGooglePhotoから転載 )
この投稿内容は文章校閲、編集が途中ですがとりあえず。
5年前(1/21) 2019年のロンドン。外資系某社を12月で辞め、その前にいた職場にもう一度返り咲き戻るまでの半年間、フリーランス生活中。ロンドンではあちこち自由に歩いた。写真を1,000枚+撮影 (*) し、たくさんの思い出がある。そのうちまた自由に海外歩きしたい。
#ロンドン #London #Photojournal
(トイレ近かった当時の体調での不便さもあったが。)
あの時1月分の給料をもらっていた。結構な金額だったし、16ヶ月間にごくいっとき、ほんの一部の顧客対応では相当辛く嫌な思いもしたけれど、それはそれでいい経験に昇華しましたし。一方で、職場は仲間がとてもとても素晴らしかった。働く会社としてはそこは世界的にも有名かつ中身が素晴らしくいい企業で、当時のオフィスも一番良い時に当たり、赤坂のど真ん中でした。あれはとてもいい経験をした。
その記念に1人旅することにした。
(*) 1,000枚撮影した写真をざっと並べておく…
横着してスミマセン…汗💦
行き先はオランダ他との選択でかなり迷った。それまで日本の会社勤務時代の業務出張で複数回行っても毎回たったの1泊しかしていないロンドンに狙いを決めた。
JALで割安チケットを買い、10日間行った。
これが心と記憶に残るラッキーな出会い。
☝️通称ウィンブルドンは、正式には "AELTC" オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ(All England Lawn Tennis and Croquet Club)といい、ゲスト用の案内付きツアーが複数ある。その中の、センターコートツアーを申し込んだら、私一人だけ。
- なんと英国テニスプレーヤーAndy Murrayの専属コーチが、man-to-manで案内をしてくれました。two-shot、ありがたくいただき。
その時の旅の行動の自由さといったら…。
特に治安の安全面と気軽さは、英語OKなところが性に合い、特に気に入った。たぶんロンドンに似るBoston駐在時代の自分の感覚が残っていて、その気持ちの延長でどこへでも一人で行ける、そんな感覚だった。とてもラク。今もよく覚えている。
- 例えばウィンブルドンへは、地下鉄駅から地元の路線バスへ乗り継いで行ってきた。バスの運転手の強い訛りの英語は全く何を言ったのか分からないまま乗車も行きは全く問題なかった。
- ところが、帰りの乗車したバスは神経を集中していてなんとなく感じたんだが、降りた地下鉄駅には直接戻らない回遊型?路線の🚌バス系統だったらしい。よくわからないまま乗っていったが、ヤバい思いだけ、その感覚だけはある。
- 軽装のアジア風の人が運転手に尋ねて降りた。そのバス停で直感で私も飛び降りた。そこが合ってるかは全くわからずのスリル満点。帰れなかったらどうしようか…、
- なんとかなるさ、のあの時の冒険の感覚。道に迷いそうになりながら、方向感覚と勘だけで、難なく駅まで戻れましたね。
そんなこともあったけど、基本はTubeの地図を頼りに、東京と変わらぬⓂ️メトロ(Tube)移動がラクだから。そんなストレス完全フリー旅、でした。
Cambridge theatreのマチルダ。
ソールズベリーの大聖堂
ここでは、マグナカルタを観れた。一応そっち系が専攻なものだから、これは知らずに行ったのですがうれしくて、超当たりでした。
✳️ 昔、ヨーロッパの5ヶ国を調達先ベンダー探し。アンテナの設計課長とサーベイ出張しました。それは全くの手探りで。毎日移動の強行軍。若かったなぁ。そのときロンドン調達事務所 (IPO Europe) で全スケジュールとアポイントメントを設定して同行してくれたPeter氏とは、何年ぶりかで会えました。幸いにもロンドン到着後に、連絡が取れて、パブで乾杯!
10日間過ごしてみて、ロンドンは若いときに留学したり生活したかった、とも思いました。
✳️ また、現地に入ってから、完全思いつきで別の安ホテルを探し出して宿を変えましたね。そこは東欧客ばかりの風呂なし・共同シャワー / トイレの狭い部屋の安宿。だけど朝は簡単ながらも必ず食事が取れるのが便利。日本人はおろかアジアに人間もゼロ、東欧系の旅行客ばかり。近くにロシア正教の教会があったな。駅まで歩けたのが良かった。夜遅くに帰るのも心配なしだったし。
Cambridge palaceではダイアナ妃の記念展をやってた。
◎ ハロッズで買った家族指定の土産物マグカップの話。夜のミュージカル劇場で落としてしまい、なくした。座席の下に置いた買い物袋から転げ落ちたことには、帰りのtube車内で気付いたがもはや戻れない。
翌朝、theaterを目指して行き、面からは入れず、裏口ドアを見つけてインターフォンで、なんとかして事情を訴える。それで人を呼び出し談判したら、気の毒に思ってくれたのだろう、一応連絡先を聞いてくれた。
- 結局、その後連絡はなく。もう一度ハロッズに行き同じものを買い求めた。そんなことも今は懐かしい行動の記憶。
Cambridge Theaterは、Seven Dials交差点の真前にある。夜、劇がはね外へ出た10時近く、イギリス人の若者同士の殴り合いの喧嘩。それを遠目に目撃したのも、珍しい思い出。
✴️ それから、工業団地にある、BROMPTONの製造工場に事前に申し込んでおき、ツアーに参加もした。made in U.K. いや "made in London" の折りたたみ自転車は英国では🇬🇧通勤の友。多くの通勤客が中距離電車から折りたたんだ自転車を軽々と下ろしては、町中を疾走していた。
🪨 ストーンヘンジは日本人のブログを読んで知識を得て、中距離列車のチケット買って案内なしで行って帰ってきた。簡単だった。韓国人グループがたくさんいて、ワイワイとSNS映えするような写真、撮って🤳いたっけ。
そしてこの頃3月までの間(フリーランス時代) に、貿易アドバイザー協会のネットワークを通じて個人的紹介を受け、日本経済新聞編集委員の方のインタビューを受けた。いい記念になった。FTA/EPA解説記事に実名入りコメントが載ったときは少し誇らしい気持ちになりました。
- あんなにたくさん質問を受けて詳しく話しても掲載された記事では、わずか一行程度でしたけれど。(^^)
最後に )
2019/1、ひとり旅10日間に撮った写真、合計1000枚+。1日平均100枚以上。観光地としては平均的だろうか。バックアップ目的で、iPhone、デジカメ、iPadの三台で使い分けた。だがあまりに整理が大変。なので、後日いつか必ず使おうと保存はしてあるけれど、5年の月日が流れて、例のデータの断捨離作業でも未だにこれには手付かず。
今回パソコンで、Google フォトを開いて閲覧している画面から複数ショットの画面スクショを50枚。トリミングして適当に選んで、ごくごく簡単に掲載した、ズボラさをお許しいただきたく存じます。