ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

ときおり人生の思いを綴る雑記帳|andy-e49er | ID-Zerv 2b trusted @Accurasal

[書籍・随想]ユダヤ人を救え(デンマークからスエーデンヘ)

エミー・E・ワーナー 池田年穂訳/2月6日現在
第10章 「たった一人でも命を救った者は」から引用
 
救助者たちが子どもの時に親や、親代わり、教師から、5つの重要な原則を教わっていたことを発見した。
(1)人間は本質的に皆同じで、個人個人の違いは尊重されるべきであるということ
(2)この世界は「我々」と「彼ら」とで分けられるのではなく、人間性という普遍の絆があるということ。
(3)正しいことと間違ったことの明確な感覚を持つべきであるということ、そして自分の信念は擁護すべきであるということ
(4)他者に対して親切にし、思いやりのある行動をすること
(5)依存せずに自立すべきであり、決して大勢に盲目的に従わないこと

個々の救助活動は、しばしば外的な環境に左右されることもあったが、この5つの原則が多数の救助者の特質を形作っていたように思われる。彼らは、自分自身を「普遍の人間性を通して、あらゆる人間に結びついている」と考えていた。

1958年、ゲオルク・フェルディナンド・ドゥックヴィッツはボンの外務省に異動し、東欧部門の責任者となった。
3年後、1961年、彼はインドとネパールの駐ドイツ大使に任命された。ニューデリーカトマンズに派遣され、1965年秋まで西ドイツ大使館の長を務めた。それから彼はドイツに戻り、自発的に早期退職した。
1967年、ヴィリー・ブラント首相は、彼をドイツ連邦共和国外務省の文官の最高位に呼び戻した。ドゥックヴィッツは、終身「国務長官」(一般の外務大臣ではない)に任命されたのだ。
1970年の春、ワルシャワ蜂起から27年目のその日に、ドゥックヴィッツはベルリンのユダヤ人コミュニテイから
、ハインリヒ・シュタール賞を授与された。
ドゥックヴィッツは1973年2月16日に、故郷のブレーメンで68歳で没した。