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映画:明日への遺言

このところ戦争の悲劇や人間の生き様を描いた映画やテレビ放映が相次いでいるそんな中、会社のイントラブログで紹介のあった、映画「明日への遺言」を見た。
未来に対して何を活かしていくべきなのだろうか
その見所;
(AAA)

  • 裁判委員が発する、岡田中将の行為は米国法で認められている違法な侵略者に対する「報復」(正当防衛)ではなかったのか?という問い。中将判断によるB29戦闘員に対しての略式での処刑という戦時下の行いを正当化できる可能性のある質問に対してもあくまでも、米国の戦争犯罪(※)に対する、自身の責任と権限による「制裁」であったと決然と主張、戦争裁判で有罪となり、絞首刑に散っっていった岡田資(たすく)中将。(※)自らの主張を貫くことで、報復ではなくアメリカ軍による市街地無差別爆撃は大量殺人であり、それに対して制裁を略式で(裁判にかけず自身の一存で決めた)ことを一貫して主張する。

(BBB)

  • 自身を弁護するフェザーストン主任弁護士に対し、自ら英語で家族を、孫を、法廷での開廷前に紹介する岡田中将。これだけ「命のかかった」修羅場においても、平常心を全く失わず、人間としての礼節をわきまえ、ごく自然に実践している姿。

(ロンドン大使館に駐在した経歴のなせる業か)またそれに対応するフェザーストン氏のふるまいが極めてアメリカ人的なフランクさ(大らかで家族思いの人間性あふるる)
(CCC)

  • 自身を陥れることにつながった日本軍法務部少将による、為にする調査報告書についての少将と岡田中将のやりとりについて、裁判で当時の様子を検察官から尋ねられた際に、自身が信仰する仏教世界を例に引いて相手の非を直に非難せず、哲学的に

認識と少将への対応を理性的に解説するシーン。
(DDD)

  • 嘆願書が出されたにもかかわらず、自ら裁判結果を肯定し受け入れて、散っていった姿。その日が来たとき。呼び出しに対し独房の水道で、口をすすぎ、顔を少し洗って、日本手ぬぐいで拭き。手ぬぐいを丁寧にたたんで部屋を出て行く主人公。実直さが表れる。映画ではあまり描かれないのだが、私は検察官の主張する通りだと思っている。爆撃実行者だけではなく、同乗する通信員も含めてB29乗組員を裁判にかけずに略式で東海軍司令官として口頭命令を下し斬首処刑したことには(残念だが)行き過ぎがあったと思われる。(この辺り、検察官の冷徹で時に感情を交えた「犯罪である」という一方的な主張だけが描かれるのだが、冷静に見ると私にはやや行き過ぎがあり、古来の日本武士のやり方には近いのだろうがグローバルな世界で理性が勝つ法律の下では、その行為は適法とは認められづらい気がするのだ)戦時下とはいえ結果的に同じ人間の命を残酷に奪ったことには違いはない。その結果については、決然と部下をかばい自らの責任を全う(主張)してそして文字通り命を持って責任をとったのだと思う。

「本望である」の言葉とともに。

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  • 引用(あらすじ)

1945年、東條英機元首相らA級戦犯東京裁判で裁かれる中、
横浜地方裁判所では、戦争犯罪行為の命令者であるB級戦犯、及び
実行者のC級戦犯の裁判が行われていた。
東海軍司令官だった岡田資中将と部下19名は空襲の際、
パラシュートで降下した搭乗員を捕虜として扱わず、
正式な手続きを踏まずに処刑したことで殺人の罪に問われていた。
フェザーストン主任弁護士の弁護のもと、岡田は、すべての責任は
自分にある事を主張した…。
数多くの戦記ものを発表している大岡昇平の「ながい旅」を映画化。
太平洋戦争末期、アメリカ軍機の搭乗員を処刑した責任を問われ、
B級戦犯として戦争裁判にかけられた岡田資中将の法廷での戦いを
描いた本作。彼は一貫して「太平洋戦争におけるアメリカ軍による
市街地無差別爆撃は大量殺人である」ことを主張する。
処刑した搭乗員は“戦犯”なのかどうかを考えるにつけ、
9.11以降アメリカがイラクに対して行ったことの是非を
考えずにはいられない。また、映画の冒頭で映される貴重な
ドキュメンタリー映像の数々にも、刮目して観ていただきたい。