Andyの雑記帳blog (andy-e49er) ⁦‪@Accurasal‬⁩

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都立大目黒キャンパス

ぶらぶらり春うらら

■ 駒沢公園の正しい使い方
 5日5ヶ月ぶりでチャリに乗りと書きましたが1週置いて今日も好天の中、走りました。ぶらぶらり春うらら、あぁ気持ちイイ。コースは多摩川を渡り、多摩美大(環八)、駒沢通りを東へ駒沢公園へ。朝9時から帰宅する4時台まで、途中ゆっくりのんびり休憩し、ダイエー碑文谷の向かいのスポーツショップを覗いたり、図書館で雑誌を10誌くらい読んだり。充実したわずか400円と自力による二酸化炭素なしの行動でした。ECOだなぁ〜。
走行時間はネットで2時間半弱でした。集中的にエネルギー燃焼は着いたばかりの朝の時間に公園内の外周サイクリングロード(1周2Km)を5周。それから帰りの駒沢通り(家から駒沢まではものの4Km程度しかないのにビックリ)

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■ 東京オリンピックはここ! 
 駒沢はスポーツの春!インターハイは体育館でやってるし、ジョッギングするチームや個人がわんさかいて「つられます」。実は大学時代、体育会硬式庭球部(公式低級部)のあほう学部生でした。現役時代3年間はいつも駒沢公園のジョグロードをチームで走ってタイムトライヤルなんかしてたんですよね。懐かしくて。思わずキャプテンだったSK君を思い出しました。それで駒沢公園から昔、走った道筋を辿り「八雲」へ向いました。昔チームで2列に並んで走った住宅街の中の細い道を旧・都立大目黒キャンパスへと向いました。いまは下の写真で分かるとおり「めぐろ区民キャンパス」と言います。でも私にはいまも「目黒キャンパス」です。この場所はオリンピックも開催されたスポーツの「メッカ」なんですよね。スポーツフリークたちが集まってきます。若いエネルギーに満ちてます。

■ 東京都立大学の移転
 91年大学移転(1991年広大な八王子南大沢の新キャンパスに移転)後、当時のものとしては都立大附属高校だけが残っています。それも綺麗で瀟洒な建物に建て変わっています。テニスコートだったかつての場所は附高グラウンドに変わってます。全体敷地の東側2/3を占めていた当時の都立大の目黒キャンパス(教養学部人文学部、経済学部、法学部、図書館など)はいまや目黒区立の高層アパート・区民向けの八雲図書館・めぐろ区民キャンパス、そしてメモリアルホール、芝生公園などにすっかり様変わり。でも僕には今もここが大学の学び舎です。あそこが旧学館(汚ねぇ〜部室)、この辺はかつての図書館、ここはA棟、こっちがB棟、などと思い出します。そして理学部、工学部があった駒沢公園隣接の「深沢校舎」は、マンションに建て変わっています。
 
 今は立派でモダンな建築になっていて遊歩道やビオトープが敷地の周囲にあります。こじゃれたカフェの隣接するホール兼図書館は地階フロアにあります。円形でデザインもカッコいいったらない。下の写真は南側の道路。木々の向こうに見えている緑色っぽい建物が目黒区の賃貸アパートです。とてもいい場所にありますね、東急東横線都立大学駅から徒歩10分ですから。

 
■ 目黒区はとっても綺麗!
 区民キャンパス敷地の南側はこんな感じで寺やお墓に面してますが、当時よりもさらにきれいに歩道が整備されてます。ゴミひとつ落ちてませんでした。これはうれしいですね。この長〜い路を、当時大学2年生、コート整備係のHM君は自動車運転免許無しに、特殊軽車両になるコートローラーのトラクタを敷地内のテニスコートから出してコノ路を(やむなく)走りました。まさにそのとき!どんぴしゃ運よく碑文谷警察署パトカーに遭遇。無免許運転で警察へ連行されたことが懐かしい限りです。「語り草」という奴ですね。

■ 東京都立大学のリストラクチュアリング 
 昔、海外転勤から(2002年10月)戻って、その後いつだったかここを初めて見に来たとき。都知事をうらむ気持ちをたまさか持ちました。今あらためてここに来て見ると正しい決定、選択肢だったかも。なぜなら; 進化するものは常に流転、変化している、 だからこそコケが生えない。街にも米国では流行り廃りがあり、中心街は常に変わっていきます。コノ場所が人を集客できる中心的な場所であるためには必要な、まさに Restructuring だったと、いまは冷静に思えます。
 【効果検証】移転してその結果、一部の学生と教職員(だけ)の大学であった当時より進化。大学は八王子の広大なキャンパスへ移転して広くて綺麗な欧米の規模のキャンパスを手に入れ(Win)、ここ目黒キャンパスは目黒区民の憩いの場となって家族連れ、特に小さい子達で賑わい、図書館もたくさんの人が利用してます(Win)。コレってまさにWin-Winでいいじゃんか。50歳台になってしまったアタシのような非目黒区民も自由に出入りできて利用もできる、いいですよね、と思った。なんか健康で文化的なんですよね。ゆとりがある感じです。不思議なエネルギーと波動を受けるのです。前回もそうでした。私にとっては幸運の場所なのかも。

■ 東京都立大学 正 門 跡
 さて正門跡に行ってみると。

人気もないのにきれいな幅広い遊歩道が長く続いてます。そこここにきれいな木のベンチもあり。両端が石造りなので自転車ヨッコラショ立てかけて、と。ちょっと座って木陰でホン読んじゃったよ。あ、イイナぁこれも・・オツだなあ〜。感動。ふと気づくと私より15歳以上くらいも年上と思しき紳士が正門前でじっと正門の残されたカタワレ(柱)眺めてた。アレはさても卒業生かもな。っということで昔正門だった辺りで愛車を携帯でパチリ。・・しましたのでね。もう今日と言う日は二度と来ないので記念撮影だ。とっとこ〜。生きてるうちがハナ。

■ 首都大学東京= Tokyo Metropolitan University =(結局)東京都立大学 
 いまは首都大学東京、と日本語表記と語順は変わりましたが、変わらぬものは英文名称:Tokyo Metropolitan University なのです。グローバルであるということは素晴らしい。いくら日本語名称を変えようと変えることができないもの、それは思い出と世界での呼び名。です。

この柱に手をつけて、ご挨拶をしてきました。(SK君の分も・・・)

■ 一日400円の旅
 いったん碑文谷ダイエーへ走り産まれて初めてそこでの買い物。太巻きと焼きソバパンを買って、旧大学の東側通用門前にあって、巷で(我々テニス部で)有名だった蕎麦屋「更科」(もう無くなってます)、パン屋(まだあります)の前、バス通りに面した柿の木坂1丁目の遊歩道ベンチで2時くらいに遅い昼食を食べました。住民が多い住宅街なので結構、人通りありますね。更科では当時の王選手や浅田美代子さん、三田佳子さんをお見かけしました。高級で綺麗なそば屋でしたが昼時にクレイコートで汚れたテニスシューズの汗臭い我々が入ってきて、一番安くて量もある「玉丼大盛り」が定番でしたね(カネなかったなぁ〜アノ頃は)。だから今だに貧乏性です。
カネはないが健康と夢と情熱はPricelessでした。

 ベンチの後ろ側、芝生公園との境には細長いビオトープがしつらえてあります。水辺があって気持ちイイ。子連れのお母さんが複数、水遊びしてます。ゆるやかな昼下がり。実にほのぼの。スズメも出てきて私が投げた焼きソバパンの小さなかけらをあっというまについばんだ。ここは緑あふれる大都会の中心。目黒区民は実にいいです(目黒区民になりたかった)

■ 今回ツアー締めて
距離39.54Km、平均時速16Km/H、最高時速37.1Km/H、走行時間合計:2時間26分、でした。帰りは駒沢公園から約4Km、20分程度で一気に走って着きました。近い。これからは地元図書館より目黒図書館(八雲)を頻繁に利用しようかなぁ、とも思ってます。図書館で怪しげなモジモジ君様の黒タイツ目黒区民を見たらそれは私かも!

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