家族や仲間が離散、その想い・・・毎年このときになるといろいろ複雑な思いが去来する。
我が入社最初の配属先、横浜事業部門はいまはもう売却され有名なShopping Mallになっている。・・・もしも。もしも、いまそこで同じサマーフェスタをやったら、 昔のテニス部の仲間、先輩、後輩とその家族までもが集まり一大勢力になっていて、和気藹々、ものすごく盛り上がっているだろうなぁ。そういう場合、例えばかなり上の大幹部になっている人に対しても「○さん!」、ナンテ感じで。ごく親しく呼び捨て気味で「仲間」意識がある。いわゆる「身内意識」。そういうことをどうしてもフッと想像してしまう。ここは府中。なんだかんだ言っても府中に長い人たちの天下なのだ。
入社が一年次下で一緒に会社(横浜)テニス部のサブキャプテンをやったMJさんは一昨年、二人の女のお子さん(学生)と愛する奥様を残し、咽頭ガンで亡くなった。例えば彼や彼のご家族も楽しくここ(横浜)にいて、下らない出し物でも見ながら、エガオで焼き鳥をつまみ食事していたはずだ、そして我々は他愛も無い昔話に盛り上がり、歓声を上げているだろう、、などと思わずにはいられない。どうしても心の底から/腹の底から/笑える気にはなれない。だから本部組織の中、隣の部の人にBeerを注ぎに行ったりして各テーブルを回って愛嬌を振りまく社交マナー(Practice)もよ〜く分かっちゃいるけど、実行する気に到底ならない。一人浮いている自分を気取られないようにするのが精一杯。
もう二度と腹の底から屈託なく笑えるサマーフェスタは僕にはないかもしれない、などと寂しい思いを巡らせ、そして今年もまたこの2時間が終わっていく。なんだか、皆とワイワイ騒ぐ気も失せて一人職場へ戻り、職場で残業してがんばる部下たちに冷たい飲み物を差し入れするのがもっと大事なことだと思った。夕方30度を越していただろう真夏の夜のすこししっとりと湿気を含んで落ち着いたとばりの中を歩いて一人職場へ戻る最中に去来するいろいろな想いがある。
いわゆる構造改革(Restructuring)で合弁企業や分社を作ってそこへ出された事業部門の人たち。電子部品系、システム系、完成装置系などさまざまな部門を見てきた。入社時一緒だったあるグローバルな事業部門は拠点である横浜を失い、そこから紆余曲折を経て玉川や府中へ否応なく転勤となった。会社から遠い自宅から、疲れて通う人が多い。自分は幸いにも府中も本社もいずれも近く通勤問題は無いが、大多数の昔の仲間達は何がしか不遇や不便を囲っている。誰も何もちっとも悪くないが、企業と言う組織はリーダーが時代と方向を間違うと成員を時として大変不幸にする。
それは通勤時間や給料の問題ではない。自分たち(のやっていた事業)が認められて本流として会社のある一箇所のところにずっと中枢で留まっているのか、認められずに「問題事業」としていっとき否定され、心の中で不安を抱えたまま、流浪の旅に出ていく。職場Locationも二転三転し、事業ポートフォリオの中で ”いまは問題事業”という「傍流にいる」ことの想い、そのGapや落差なのだ。つまり心の問題だ。
自らはスタッフなので問題事業からははずれ都度、必要な部門を助けているのだが、そのせいかこれまで転勤はとても多く、あちこち見ず知らずの職場へ裸一貫で異動した。そのZeroスタートでの苦しさを良く知る自分は、この手の会社パーテイーをうれしいな、と楽しい気持ちになることがない。正直、嬉しいとは思わない。
米国時代は会社のために事務所を縮小したり、移転したり閉じたり、レイオフの一端を役割として真剣にかついだこともあるが、どうしてもそれを割り切ることが出来ずにいまもこんなことに思いを馳せている訳だ。これじゃあ偉くなれないなぁ。願わくば自分が社長や役員になり思い通りの事業運営をやれれば。。だが会社と言うもの、特に大企業はそのような人間的思いはセールスや生産性向上に関係ないし成長にも意味が無い。心の「ノスタルジックな思い」には価値や意義がなく、その実現はおろか検討するべきことすら、全く遡上には上らない。それが営利企業の現実だ。そんなことは百も承知。
でも本当にそうなのか?日本型リストラは、もしかして捻じ曲がり誤っているのではないか? 改革を行い痛みを伴った後に、大切な社員を励まし、処遇する人事待遇を実現すべきなのが、できていないのではないか? われわれは自らの経営を振り返ってよく反省すべきだ。
少ない体験や見聞きした見聞に過ぎないけれど、 欧米一流企業は大体、仕事についてはProfessionalとして実力主義で行く(デジタルな割り切り)、一方で会社Campusとか、職場単位のSocialな活動は、けっこう一体感を持っている。瞬間的、刹那的であろうとも幸せなひとときを家族のような感覚で過ごしていることが多いと思う。少なくとも自分の米国生活2回、合計11年間はそのようなとき、だった。それは単に経済が好調だったからなのか? はたしてバブルだったからなのか?
「人は石垣、人は城」である。
貴重な人材たちに、喜んで、うれしく一所懸命/一緒賢明に、働いていただけるような、そして家族からも「いい会社だね」と言われる、真の世界のExcellentカンパニーにこれから絶対にならないといけない。そのようなレベルのスゴイ会社、いい会社になってくれないと、会社に長く留まっている意味は無くなってしまうだろう。ある人が言っていた。「会社は優秀な社員をフルに活用できるようになってませんね」 まさにその想いでこの数年、私はずっと心に澱を抱えた状態でいる。いつかきっとこのような状態を脱し、きっと過去を見返して水面へ浮上する、そして仲間たちと勝利の美酒を掴むぞ。と。
夏の夜の夢・人は石垣、人は城
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