おはようございます。今朝三連休の月曜日、8時に起きました。外はとっても気持ちよく晴れていました。そこで窓を開け放つと外の空気感が、ちょっと春めいて感じられました。あぁ春が来た。鳥もさえずり、冬の後の春に似る。急に子どもに返って、走り回りはしゃぐ気分の朝。なんだかうれしくなりました。束の間、コロナ禍とか、親の介護の心配を忘れます。
突然ですが、今朝起きる前に呟いた一連のテーマ(のTwitterを使った思考回路のサラ回し)です。結局、最後は何なのかと。人が生きていくのに一番大事なことは、何でしょうね。
禅問答や哲学的思考、道徳、宗教などになるのか。究極は好きか嫌いか、安全か危険か。
最後は生きるか死ぬか。人生とは、書いて字の如く人が生きること。人が誰でも持つ直感的な即応力でホモ・サピエンスは生き残って来た。今後も動物としてはそう言う力でしょう。
つまりは本能ですね。だけど本能に任せ、衝動に身を任せず社会性を身につける、みたいな(笑)話に、お付き合いいただけますか?
→いきなり道徳の話かい、と笑われそうだけど。お寺の和尚さんの談話みたい…。
ツイッターって、さまざまだけど、時にはハッとしたり、参考になってアレコレ考えさせてくれる、一瞬・刹那の交流があり、それを記録しておきます。だから何じゃい、と言わないで。
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横から失礼します。”普通に”生活している人が大多数。生きるには学力でなく生活スキル的な能力で十分。家庭科とか道徳・公民・保健体育が大切。立ち位置感覚で他者と付き合う。好きか嫌いか、安全か危険か。その方向感覚や善悪の判断で十分生活可能。学力で判断されない。己を考えていく人生力が大事。 https://t.co/z8vLCoaq4Y
— Andy S. の雑記帳 (Andy-e49er) (@Accurasal) 2020年11月22日
賛成です。学力偏重の教育方向に反対。学力高くても、社会を騒がせる知能犯や道を外れて法に触れる行動に走る人は出て来る。大事なことは美意識(美術や音楽)社会帰属の感覚を育む道徳・哲学や公民、社会科と家庭科、それらに読者習慣とスポーツを通じて自己判断出来る力。目標を定める力が大切です。 https://t.co/Xn00WX86OR
— Andy S. の雑記帳 (Andy-e49er) (@Accurasal) 2020年11月22日
続けて考えてみると、進学の際の試験は定番の五教科とか、それらの内数の知識力の多寡では無く、レポートでの論述力や芸術・体育的なもの、人との面談の対応力、つまりは話し方に現れる人間性、主義とかを見極めて決めた方が正解なんでしょうね。いわゆるAO入試的な評価ですね。 https://t.co/6DZg6wBanP
— Andy S. の雑記帳 (Andy-e49er) (@Accurasal) 2020年11月22日
その共感を私もシェアさせて下さい。
— Andy S. の雑記帳 (Andy-e49er) (@Accurasal) 2020年11月22日
何かに迷ったり、人生の岐路での選択を簡単に言えば”総合力”で判断することになりますが、その時いわゆる知識型の学力だけは全く役に立たない。文学や音楽、美術などの直感的な”美しさの認知力”や歴史や文化道徳の理解から次の「正しい」道を決めるよう考える力。 https://t.co/KqDeaqIWaU
正しい方向性を見出す能力を養うには、近頃私の中でクローズアップされているのが、山口周さんの書いた一冊です。再掲🔻
【推薦】本を文字で読むべき。#山口周 氏の書いた「コトバ」で自分で咀嚼しながら読む方が文章を「自分ごと」として腑に落ちて絶対に良いと保証。
— Andy S. の雑記帳 (Andy-e49er) (@Accurasal) 2020年11月22日
『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営におけるアートとサイエンス』動画は簡潔にまとめてるが平板すぎる。https://t.co/5IjtVlsdhN
🔺この本で「真・善・美」を学び、具体例としては、マツダの魂動から、ナチスのアイヒマンによる犯罪とシステムへの盲従まで。一つ一つ説得力ある彼の裏付けを読んでいるが、その見識の高さには恐れ入る。でも大して分厚く無い新車なので、もうすぐ読み終わります。
サイエンスではなくアートを愛でる審美眼を持つこと。そして文学を読むことがいかに大切か。最終の第七章でよく分かります。
さて、美しい朝です。今日から、何が『美しいか』を判断の拠り所にして、毎日楽しく生活していこうと思っています 🎵 皆さまもどうぞ健やかにお過ごしください。やっぱり一番大切なことは、家族、友情、安心安全、全ては気持ちの良いこと。『美しいこと』って結論にしておきます。