ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

ときおり人生の思いを綴る雑記帳|andy-e49er | ID-Zerv 2b trusted @Accurasal

ブルネロ・クチネリ

f:id:andy-e49er:20260118104611j:image

日本の東京・青山の派手なファッション・ブランドの話やそのイメージからは離れ、ブランド名=創業者の信条や哲学が日経日曜版で紹介されている。非常に好感が持て、好きになったので、この個人目的のメモとして取り上げたい。

ブルネロ・クチネリさん 人の尊厳と美を追究、新時代のブランド築く
NIKKEI The STYLE「My Story」から
My StoryThe STYLEライフスタイル2026/1/18 5:00
日本経済新聞 電子版

◉前段、導入部から⤵️

イタリアのファッションブランド「ブルネロクチネリ」。創業者で会長のブルネロ・クチネリさんは、働く人の尊厳を守る「人間主義的経営」を実践してきた。一見、理想論に思えるビジョンを、ビジネスの成功に結びつけた強い意志とは。

(中略)

クチネリさんの独創性がもっとも発揮されているのは製品ではない。働く人の尊厳を第一に考える人間主義的資本主義」を堂々と理想に掲げ、実践してきたことだ。

(中略)

「村に再び命を」利益を働く人や地域に還元

ブルネロクチネリの本社は、ペルージャ市の中心部から車で15分ほどの小さな村、ソロメオにある。妻フェデリカさんの故郷だ。創業時のイタリアは都市化が進み、夫妻が暮らしていたソロメオ村も人口が流出していた。中世の面影を残す村が寂れていく様子に心を傷めたクチネリさんは「この村に再び命を吹き込み大切に保護したい」と、本社の移転を決意。崩れかけた古城を買い取って修復し、85年から拠点に。会社の利益を少しずつ働く人や地域に還元していった。

 まず工場をつくって地元の人たちを雇用した。荒れていた教会や街道など公共の基盤を整備し、野外劇場や図書館など文化施設の建設に着手。職人養成学校をつくって若者を支援し、ワイナリーやスポーツ施設なども完成させた。建物のほとんどはもともとあった建造物を伝統工法で修復した。

社員の残業は極力少なく、食堂では地の産物でつくられたおいしい食事が提供される。工場で働く人たちはイタリアの平均より2割高い報酬を受け取っている。美しい田園風景とともに人々の豊かな暮らしが徐々によみがえった。

(中略)

理想とビジネスは両立するのだろうか。「(物事を始めるときに)大切なのは天才的な資質を持っている人が関わること」という言葉がヒントになりそうだ。

 象徴的なのが自社で人工知能(AI)を開発した時。シリコンバレーから招いたエンジニアのほか哲学者、数学者、芸術家で成るチームを作って作業に当たった。

思い描いたのは、テクノロジーの語源で、古代ギリシャで技術と芸術が融合した創造的行為を意味した「テクネ」の現代版だ。

(中略)

 さらに言及したのは世界史上最大の奇襲作戦のひとつといわれる「ハンニバルのアルプス越え」だ。カルタゴの将軍・ハンニバルローマ帝国に侵攻する際、強力な海軍を避けてアルプスを越える陸路を選んだ。「象を連れて冬山を越えようなどという狂気はAIからは生まれません。創造力を支えるのは人間の狂気であり、AIはそれを越えることはできないのです」と人間の可能性への深い信頼を口にする。

f:id:andy-e49er:20260118092133j:image

「星の輝きに照らしてもらおう」というメッセージをくれた(上)。「永遠に生成し続けるのは頭上の星空と内なる道徳律だ」というカントの言葉に10代で感銘を受け、今もよく空を見上げる。ソロメオ村には「あなた自身や他の人を単なる手段として扱わず、常に目的そのものとして扱うように行為せよ」というカントの言葉が石の銘板に彫られている。

ファッショナブルな聖人は静かな狂気を秘め、理想に向かって前進し続けている。

出所 :  NIKKEI The STYLE「My Story」から
My StoryThe STYLEライフスタイル2026/1/18

🇮🇹イタリア🍝🍕はその料理や🍷ワインを含め日本人なら親密さを感じる。ラテン系の明るい性質のお国だという印象を持っている。

(引用)創造力を支えるのは人間の狂気であり、AIはそれを越えることはできない

『狂気』といっているがそれは文字通り狂った精神だととらえず、"何かを超越したユニークさ、独創性" という意味で解釈したい。

人間中心の資本主義、に共感を覚える。

▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

P.S. 🇮🇹イタリア訪問の思い出

🇮🇹は1994年 出かけた。

 国際調達をする全社集中組織に当時の海外プロジェクトグループ担当の課長として勤務。その任務は、海外通信プロジェクト(PJ)に使う機材の取引先探索と管理に、契約、調達、そしてデリバリー管理などだ。

イタリア行きの目的は、🥣お椀の調達…笑…いゃ、通信用の "お椀型の" 丸いパラボラアンテナ📡 (アルミ製で設計通りに作らせる) を、アフリカPJ用に。それをメーカーを探し出して新たにヨーロッパで契約発注するのだ。新規メーカーを選んで、発注し製作してもらう。それを期日までに調達して、デリバリーのアレンジも含めてPJ現地サイトへ直接国際輸送して "送り込む" ことを検討していた。現地工事ももちろん外注する。アンテナ技術部門の課長Mさんとチューリッヒで合流しヨーロッパ大陸を回った。

 我が社のロンドン拠点・調達事務所のイギリス人🇬🇧バイヤーが事前調査により訪問先を選定してくれた。その彼のアレンジと同道による現地各地での移動の案内を得て、『ヨーロッパ・アンテナ・サーベイを行った。

その際に🇮🇹イタリアを初めて訪れている。

(別件で契約交渉だった) 南アフリカ🇿🇦ヨハネスブルク発のスイス航空🇨🇭に搭乗。Zurich (チューリッヒ) 入り。そこのスイス企業を皮切りに、イタリア、ドイツ🇩🇪、オーストリア🇦🇹、ノルウェー🇳🇴

五カ国5社、一週間で訪問する強行軍

 2番目の訪問先イタリア社は、小さな町工場的な会社。今思えば、パラボラアンテナを作れる設備を有することで🇬🇧バイヤーPeter氏が選び、アポを取っていたものだ。

 初お目見えの同社の社長の出立ちに度肝を抜かれた。まずお顔。白いフレームの今では見かけることもあるスポーツフレームのシャープなメガネが印象を強める。そして柄シャツにド派手な黄色とかピンクの入った色使いのネクタイだったか。それは、およそ工場の責任者とは思えない、まさにファッション・ショーから出てきたド派手なアウトフィットで現れた。

今もあの時の強い印象が心に残る。もちろん、明るい口振りで、天真爛漫なラテンの人、という印象だった。

 その後、ドイツ企業ではダークスーツ姿のビジネスマン四名が出てきた。あのドイツ企業との落差の激しさがイタリアンのイメージとして今でも心に残り、大変驚いた現場での経験とその感覚として、体に刻まれている。(^^)

🔽 🇮🇹イタリアと🇯🇵日本の話、もう一つ ⤵️

『頑張る』こと、その日本的意味 - ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩