目指すは、"ラーメンの鬼・佐野実の" 「支那そばや本店」…@戸塚駅西口下車。駅前の大型デッキを歩いて歩道橋から地面に降りる前に、人の並ぶ列が上から見えてすぐ分かった。
(列はざっと20名以上か) カップルもおり、一人の待ち人男性も多い。店前到着12:04、ここから何分待つか。タイマー計測開始(^^)〜3分後に二人連れが私の後ろについた。
14分して後ろを見ると、前と同じくらい長く、多分二桁の人数が並んでた。
- 列が進んで前が減った。店の正面から右手端に、日傘の貸し出しがあるのに気づいた。今日はかんかん照り。気温25度にちかそうだ。庇の下に入れたら風を感じて、店のらぁ麺🍜の香りも近づく。
20分経ち列が進んで、店外に八名が前にいる。
35分後、案内されて店内決済機械で注文する。
入り口の右手奥に細長い調理場に向かってカウンター五席。店入り口の左サイド、カウンター背後に椅子テーブル席が三つ。作り手は三名に、接客一人と、入り口正面に見えるL字型の厨房にもう一人がいる。五名オペレーション。
佐野実氏の大きなポートレートが正面にかかっていることに気づいた。
それを左手に見ながら、カウンターに着席。
迷ったが、塩らぁ麺🍜を注文した。
麺は美瑛の丘で作られてる「春よ恋」を使用と、ちょうど頭上の大パネルに美瑛の小麦畑のフォトフレームがある。正面の厨房は、銀色一色。清潔感。作業者は白の網キャップ。半袖の白い料理人服で統一。フロア係が女性店長なのか?黒のハンチング。
☝️塩らぁ麺、キター。^o^...;; 塩といいながらスープはご覧の通りブラウン。細かく切ったネギが浮いている。背脂ではない脂は薄く表面にある。混ざってちょっとゼリー状にみえる。一口含めば塩味だがさっぱり目の旨味。美味しいので、麺に行かずスープを何口か先に味わう。
らぁ麺の鬼と言われたオーナー語録の
「麺は男、スープは女」その真意・極意は読み取れないが、このスープは確かに美味しい。
続いて麺だ。麺は語録の割にはとても繊細な感じ。白いストレート麺。かなり細麺。食感的にはツルツルと滑らかで、そうめんに近い。
シナチクが、奥から右手へどんぶりにそって2本。長くて食感がよく、味もなにか熟成した感じの味がして旨味あり。チャーシュー2枚は厚めで肉の部分がとても旨い。脂身もしつこくなく、脂っこいのは好きではない私にも⭕️🈴
緑色、細めの切った野菜が2本あり。シャキシャキで、味からしてセロリか?分からなかったが、言えることは全体と調和して色も食感もちょうど合う。設計された一食だと思った。
(ちなみに醤油らぁ麺だと、海苔になる)
麺は喉越しよく、分量的にも多い気がした。美しいスープは麺と合わせてレンゲでつど啜り、それで次第にスープが減りたびに麺が鉢の中で多くなり最後の一滴まで飲み干した。美味。
一般にラーメンはどれも塩気が多い。水は初めに一杯弱、食べ終わってもういっぱいを飲み干した。食べ終わったあと、帰宅してもまだ喉が渇いていたので、外気の乾燥度合いもあるが塩分は多く摂ったのだろう。
店を出て正面からパチリと撮影し歩き出した。
お値段(¥1,200)の価値は十分にある。満足しました。
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戸塚駅前は人口地盤のプロムナードが広大。JR駅の東西両出口を通して広くまたがっています。地下には横浜市営地下鉄。JR東日本の東海道線、横須賀線が入るかなり大きな街。
遠い記憶では西口を出て線路沿い東戸塚寄りに確か日立さんの大きなキャンパスがあったはず。そこには同社のソフトウエア事業拠点があって、確か2011年度くらいだったか、アライアンス活動で役員を含む幹部と複数で訪問して2度ほど打ち合わせにお邪魔した。見ればおそらくその他と思しき広さが更地になり、開発工事中🚧になっていた。時の流れを感じる。
◉横須賀線で二駅の保土ヶ谷駅へ。ここは古いままで昔と変わっていなかった。ここから、桜木町行きの神奈川中央交通🚌山手ライナーに乗り、京急井土ヶ谷駅、横浜市営地下鉄蒔田駅▶️経由で南区の中村橋へ向かう。今回は少し手前、途中の東蒔田町バス停で下車。ヘアカット予約時間の3時までは⏰時間が余ったので、昔住んだ街の方角へと軽く足を向けました。
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【蒔田町】「魚末」という割烹料理店は健在で駐車場に人がたくさんいた。きっと母の日の今日、家族一同で会食でもあったのでしょう。横浜南区のこの近辺はどこも道幅狭く、下町の小さな家ばかりの住宅街。いつも静かです。今日はそこだけ人の気配がありました。
☝️昔住んだマンションの南の角から、遠くみなとみらいを望む。
三度台(さんどのだい)洞門...この近くに縄文時代の遺跡が公園として残され保存されており、おそらくこの地はそこへの入り口に当たっているのか、不明ですが。
山がちの丘を削っての大型建築で緑もあります。ここから山を超えた向こうは、ちょうど海側・根岸方面との境目に当たる。三溪園も車なら近い。少しだけ最後に坂道を登ってトップまでいくので、荷物が多いと車がないとちょっと大変。良かった点は、このマンション内に小さいけど20mくらいのプールがあって、家の真下がプール。そこが決め手でした。上の子が幼稚園前で楽しく泳いだものでした。(o^^o)
サクラメントから帰国して、いっとき京急の南太田駅近くに落ち着き、続いて1992年の夏から1997年の春前までここに住みました。当時の新築マンション。北北東の方に開発途中だったランドマークタワーがよくみえる東向きの高台に建ち、日当たりは今ひとつでしたが、桜木町経由で田町まで1時間+で、蒔田駅まで徒歩12分くらい。まずまずの満足な住処でした。
蒔田町の"三度台" まで歩いて来ました。
ここまで来ると、上の子が地元の幼稚園に入り、下の子が当時は(みなとみらいへの移転前で)関内にあったけいゆう病院で産まれた頃に記憶が戻ります。
あの頃、私は、1ドル80円台という超円高で、輸入コストが低く、それで海外調達を拡大するためのアジア新調達市場開拓の命を受け、ベトナム🇻🇳から、ついで🇲🇲ミャンマーの首都ヤンゴンに出張中でした。
今日五月11日は母の日。亡き母が祖母として初孫の上の子とブランコで遊んだ隣接の小さな公園。あの頃 - 1992 〜 1997年を思い出します。初孫をベビーカーに乗せ、車で5人、八景島に行った思い出も。
洞門の上には緑の山が残り、その先には蒔田小学校の校庭が広がります。結局、1度目のアメリカ子会社出向からちょうど10年が経つ1997年から2回目を命ぜられて、ボストンに赴任。このマンションには五年だけ住んだことになりました。Boston、そしてmillennium2000年7月西のサンタクララへ移り、2002年に日本に戻った先は、埼玉の子会社工場だったのでここには戻らず、大宮の賃貸マンションになりました。
[ May 14, 2025 ] 📢📺
また塩ラーメンを食べたくなる