ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

ときおり人生の思いを綴る雑記帳|andy-e49er | ID-Zerv 2b trusted @Accurasal

溝ノ口から溝の口へ (歴史的パネル展示)

(2025/1/26 日曜 ノクティ11F フロアの改装途中だろうか、パネル展示されていたので足を止めた。いくつかshotを撮影しておきました。) 

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👇東急線溝ノ口駅ホーム。奥を左に行くと国鉄への乗り換えだった。
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✴️ 旧・南武鉄道と、東急の多摩川電車の線路は昔は並行していた!のだとか。それを現在の直角に交わる形に変えたのか。さすれば、昔のカーブは今のどの辺に当たるのだろうか?
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↑昭和57年。1982年。

遡ること大学四年、昭和54年。私は自宅が千葉県松戸市だった。その頃どこか・いつか一度、当時の "溝ノ口" に来た。その記憶がある。

その頃、東急から国鉄(当時。今は "JR") へ路線を乗り換えるときには上の写真にあるような、確かこんな感じ。地面の、平面の普通の "下を歩いて" 国鉄に乗り換えた記憶がある…。
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上の一枚は、歴史的な変遷を物語る。

👉2017年は溝口駅北口再開発20周年とある。1997年に再開発が終わって、人工地盤的な2階建てのプロムナードが出来上がったのだとすると、私がBostonへ旅立っていた頃になる。

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二階建ての人工地盤により、東急の駅舎から丸井 ( ○ I ) へとつなげる前は、地元の商店街が、線路の横にひとつひとつの店が連なり、それなりに活気をもって賑わっていたのだろう。
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南武鉄道は、軍需や工業生産のための鉄路と聞く。要するに海外から輸入して川崎港で陸揚げした資材や物資をその鉄路を使って立川方面へ。この鉄道沿線に点在する内陸の各工場群へと運搬していたのだろう。また逆に多摩川の河川敷で採った砂利を京浜工業地帯へ運んでいたとか。それが自ずと現在のJR東日本南武線の鉄路と、南武線沿線道路や府中街道になり、多摩川の流れとほぼ並行し北西へと進んでいる。
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国鉄の貨物で、荷物を親戚に送るなんてことが当時はあった。それをかつては「チッキ」と呼んでいた。語源は知らない。昔、両親が故郷からチッキが云々などと話していたことがあったかなぁ…などを少し思い出すのであった。