ときおり人生ジャーナル by あきしお ⁦‪@accurasal‬⁩

ときおり人生の思いを綴る雑記帳|andy-e49er | ID-Zerv 2b trusted @Accurasal

DAVIS CUP(R) と9.11.前のアメリカ

🇺🇸アメリカ勤務時代 ( Boston ) 1999年の話。

 2001. 9.11. に起きた同時多発テロ発生前の、私の中の「楽しかった自由でおおらかな」アメリカ合衆国を思い出す。そのときは西海岸のSilicon Valleyで仕事する朝の時間帯だった。話は長くなるのでいつかまた気分として語るときが来たらとしたい。

R.I.P. 世界が平和であることを。

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 アメリカには80年代後半から五年、90年代後半からの五年強と、偶然だが10年おきに生活した。80年代後半当時のアメリカは "American" のイメージそのもの。昔一般によくあったイメージ通りの "豊かで自由で、誰もが挑戦機会に恵まれた" おおらかな社会。移り住んだのが平均以上の住宅エリアだったという土地柄のこともあるけれど、中間層・中流階級の普通の人々が多かったという個人的な印象がある。

普通の人たちの日々の暮らしが豊か。屈託なくどんどんローンしてプレジャーボートを買うとか、車は2台以上が普通であるとか、家の🏠バックヤードにスイミングプール付きは割と普通!とか... そんな感じで。たくさん消費する、日常的にも明るく楽しい、あこがれの国だった。特に二度暮らした北カリフォルニアはそうだった。

 1997/3 赴任2度目はBoston。調達輸出する仕事。バイヤー業務の監督管理と輸出マネジメント、組織の計画、予算立案から執行までと、部門の総務全般だった。米国西海岸Sacramento / Roseville の半導体生産一貫工場のサプライチェーン周りの担当業務から、雰囲気は打って変わって、東海岸ニューイングランドの代表格の保守的な白人社会での管理監督と駐在員的な役割だった。

だが生活と社会全体はさほど変わらず、80年代以降と同じ香りを放っている。そうしてカリフォルニアとは文化の異なる初めての東海岸、白人有意の社会だったけど、基本は仕事主体の生活だからすんなり入れた。ソフトランディングだった。

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 1997/3 まだ雪降る寒いMassachusetts 州は Boston近郊の町、住処として選んだベルモント にまず単身で赴任。半年後に家族が合流。それから2年で仕事にすっかり慣れ、生活も安定・順調。順風満帆でした。

そんな中、ある金曜午後。NYにいる上位上司 (私の上司 Gerard Hall, VP&GM, Purchasing and Export Division の Report to ) 日本人K氏 ( EVP, 広報などご担当) から滅多になく直接の電話が入った。突然のことで「何事か!」と身構えた、それが発端。
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JULY 16 - 18, 1999. DAVIS CUP (R) by NEC日本電気株式会社)

I was there in Boston, had attended The Reception held in JFK Memorial Museum.
( shot some photos of PM Australia, etc. )
Very Good Old Days of U.S.A. era of mine.

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 時は移り変わって現代。明日、二世代目・三世代目と連れ立って遊園地のプールに遊びに行く。よみうりランド。何年ぶりかで🏊スイムパンツ他、スポーツ関係のものを出すためにタンスの引き出しを整理していたら、一番下に入れてあったのがこれ。

🙆仕事でNYからのお客様ご夫妻( 某大手商社米国法人社長ご夫妻 ) をNY在日本人上位上司 ( Exective VP ) ご夫妻と共に接遇した、記念品。

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 BostonコプリープレースのMarriott ホテルにお客様ご夫妻を出迎え、私のホンダオデッセイで🎾会場のBoston郊外テニスクラブへお連れした。Boston museum にもご案内した思い出。

🫷あの頃のアメリカ。平和で銃乱射事件なんてのも身近では (1件を除き) 全くなく、世界トップを走る、強くて頼られるよい国だった。それは間違いない。

✴️ 1776年の建国から250年にはまだ満たないが、その歴史を積み重ねてきた。英国からピューリタンが出国して移住し創り上げた民主主義の当時の素晴らしきモデル国家にして、その後の南北戦争奴隷解放の国。やがてはウーマンリブの国。そして国の発足からずっと移民の国… 

それが今や暴力と銃乱射と、大統領候補が罵り合う低レベルの、"ていたらく" に陥りつつある。分断はますます深まり、ことばの暴力が横行。先鋭な市民同士が深刻にいがみ合う、一部で心根の歪んだ、残念な国へと陥りつつある。移民社会は恐ろしい。

長い時間軸で彼の国を思うとき、私の心は物悲しく、ときに腹立たしく複雑になるのだった。